「エドワードハンサム 顔に囚われた男」顔を捨てた男 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
エドワードハンサム 顔に囚われた男
エドワードのアパートの雨漏りする天井の穴からはずっとどす黒い水がしたたり落ちている。その天井の穴は徐々に大きくなり、そこからなにか得体のしれないものが零れ落ちてくる。
何か内臓の様なもの、そして次には無数のガラクタのようなものが落ちてきてエドワードの顔面に直撃する。
天井裏で増殖したその得体のしれないものはまるでエドワードが今まで溜め込んできた鬱積であり、それが積もりに積もって零れ落ちてきたかのようだ。
新薬の力により顔が変わったエドワードはガイとして別の人生を歩みだす。エドワードであった過去は捨て去ったはずだった。
しかし彼の手元にはいまだにエドワードのマスクが後生大事に置かれていた。そして街で再会したイングリッドに誘われるがままに彼は過去の自分に引き戻されていく。
顔が変わり今までの劣等感にまみれた人生に別れを告げたはずだった。女性にも不自由しない暮らし。これこそ待ち望んでいた人生。
エドワードの頃の忌まわしき人生など忘れ去りたいはずだった。しかし、彼はそんな過去に決別できてはいなかった。
自分の過去、あのエドワードの顔と共に生きてきた人生において培われたアイデンティティは顔を変えても断ち切ることはできない。たとえガイになっても忌まわしきエドワードとは地続きのままでいた。むしろ新たな人生を送るはずがイングリッドへの思い、過去の自分の人生の方へと引きずり込まれて行った。
エドワードの顔でも分け隔てなく接してくれたイングリッドは彼にとっては母親同様忘れ去ることができない存在だった。。
そのイングリッドの手によるエドワードの物語。それはまさに自分の物語であり、ほかの誰でもない自分だけが演じられるもののはずだった。
しかし、かつての自分と同じ顔を持つ男、オズワルドが現れてエドワード人生の歯車は狂いだす。オズワルドはイングリッドも自分の物語をもすべてをエドワードから奪い取ってしまう。
自分の人生を奪おうとするオズワルド。しかし彼にはエドワードと同じ様な苦悩がみじんも感じられなかった。同じ顔でありながら常にポジティブ思考で、周りの人を魅了する存在。
同じ顔でありながら、その人生においてただ鬱積を溜め込んできた自分とのあまりの違い。自分の苦しみを理解できてないように見えるオズワルドが自分の人生を奪おうとしてることに対して強い憤りを感じていた。なぜその顔で明るく生きられるのか。何より顔に囚われていたのはエドワード自身であった。
かつて自分が住んでいた部屋にオズワルドが移り住んだ時、天井の穴はきれいに修繕されていた。いくら棒で突っついても、そこからどす黒い水も得体のしれないものも落ちてはこない。天井裏には何もない、きれいなものであった。それはオズワルドの心の中を表しているのだろうか。自分とは違う何の鬱屈したものもない彼の心を。
しかし、エドワードの頭上には常にあの天上の穴が存在していた。それは積もりに積もった鬱屈した彼の思いが限界に達してついには彼の頭上に覆いかぶさり彼の体を押しつぶしてしまう。己の溜め込んだものが己の人生を破滅させてしまう。まさにイングリッドの舞台に乱入した彼の頭上に舞台の天井が落ちてきたのだ。
顔を変えても今までの人生がきれいに消え去るわけではない。今まで心の中に溜め込んできたもの、劣等感、卑屈さ、社会への憎悪。それらを抱き続けて生きてきた人生が顔を変えたとたんに雲散霧消するわけはない。
オズワルドに向けられた侮蔑の言葉は、エドワード自身に向けられた言葉でもあった。そんな言葉を発した作業療法士の男に対して凶行に走るエドワード。
たとえ顔を変えても別の人生を歩むことが出来ず、かつての顔で生きてきたのと同じような鬱屈した人生を刑務所の中で長く暮らすこととなる。
「君は変わらないねえ」オズワルドの何気ない一言がエドワードに発せられる。エドワードはたとえ顔を変えてガイとなっても中身はエドワードのままであった。結局はエドワードから決別出来なかった。
原題はデイフェレントマン。エレファントマンと韻を踏んでいることから、かの作品を意識して作られたと思われる。しかし個人的には「ジョニーハンサム」を思い出した。
生まれつき顔に障害があるジョニーはまともな人生を送ることができず犯罪に手を染める。共犯者の裏切りにより親友を亡くし、自身も刑務所で生死の境をさまよう。
医師の提案で一大整形手術により生まれ変わったジョニーであったが、彼は新たな人生を送ろうとはせず、亡き親友のために復讐に走り破滅してゆく。
かつての醜い彼を普通に親友として接してくれた友人との過去から決別出来なかったのだ。
本作のエドワードもジョニーと同様に過去との決別が出来なかった。エドワードの顔と共に生きてきた人生。その間に培われたアイデンティティはまさに彼の今までの人生において形作られたもの。彼のアイデンティティはエドワードの顔とは切っても切り離せなかった。
かつて顔に障害があった監督が自身の思いを込めて撮り上げた本作が観客から共感を得たというのが意外だったという。
エドワードの物語は誰もが他人事とは思えない。エドワードの物語は誰にとっても自分の物語になりうる。だからこそ本作は多くの観客から共感を得られたのだろう。
誰もが持つであろう天井の雨漏りの穴。そこには誰もが抱く鬱屈した思いが溜め込まれていて、何かのきっかけで自分に覆いかぶさってきてその人生を破滅させてしまうのかもしれない。