ポップスが最高に輝いた夜のレビュー・感想・評価
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よく実現したなと改めて感じる豪華な面々
40人弱の超売れっ子アーティストたちを集めて、たった一夜で(しかも夜通しで)よく最後まで完成させたなあと改めて感心しました。当時の映像をふんだんに見れて貴重な作品。
時代の寵児達
個人的にこの頃のアメリカン・ポップスには強い影響を受けた世代である。
随分前にWE ARE THE WORLD 20周年アニヴァーサリーのDVDを購入したが、これのドキュメンタリーも面白かった。
本作、Netflix版でのドキュメンタリーでは触れてなかったが、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズのパート部分が曲の前半と後半を繋ぐ重要なセクションであるということで、3人が「ブリッジ・ピープル」と呼ばれ、シンディ・ローパーが大ウケしているエピソードは微笑ましかった。
逆に現在のシーラ・Eが語る当時の心境は本作でしか知り得ないエピソードだと思うので、これは非常に興味深かった。
好きな人は両方を見比べるとより楽しめると思う。
また、当時を知らない世代の人も、ここから各アーティストを深掘りしていくのも面白いかも知れない。
奇跡の曲は "奇跡の様に"作られた ♪
「we are the world」この曲を知っている方は見るべし! 知らない方はyoutubeで最低5回は聞いて、サビを一緒に歌えるようになってから見るべし!
音楽ファンなら何度聞いたか分からないぐらいの名曲だが、あれだけのメンバー(総勢45名~)をどうやって一カ所に集めたのだろうと、いつも思っていた。
なんと、American Music Awards(アメリカ国内のグラミー賞級イベント)の終了後に、皆集合していたのだ!
世界中を飛び回っているスターにそれぞれ都合を伺っていたら、恐らく永遠に日程は決まらない。 それなら既に集まる予定の日にやってしまおうと大音楽イベント当日に決まったのだ。
提唱者はハリー・ベラフォンテ。 失礼だが私は「バナナ・ボート」の一発屋ぐらいに認識していて、なぜ彼がこの大スター軍団に入っているのか不思議だった。 が彼は、人権問題など政治活動も尽力していたようで、UKのBAND AIDでは、白人がアフリカの為に活動したのに、アフリカ飢餓救済になぜ黒人が動かないんだ!との思いで、US版のバンドエイドを提唱したようだ。
そして、クインシー、ライオネル、マイケルらのメンバーが中心になり、顔の広い彼らが、白人アーチストにも賛同を呼びかけ実現する。
ライオネル、スプリングスティーン、ヒューイ、他の数人は現在の姿で、過去を振り返り、途中何度かコメントしている。(ライオネルのマイケルと曲作り中のコメントは笑えるエピソードも多数♪)
驚くのはライオネルは、AMアワード当日、司会をして自ら6部門も受賞している。 その終了後にレコーディングに赴いているのだ! 普通そんな大イベントの司会をすれば、精神的にもヘトへトになっていたはず。
マイケル、ライオネルという天才作曲家が曲を作り、
クインシーという凄腕プロデューサーが、制作・進行を担当し、敏腕エンジニアが呼ばれ、
超一流ボーカル・アレンジャーが、どのパートが誰が歌うかを熟考し、
撮影やライティングスタッフまで一流が集められた。
(たった一日のレコーディングに機材搬入スタッフ等も含めると、総勢150名!)
その作曲の猶予期間にも驚いた。(見て下さい♪)
そして驚くなかれ、アワード当日のその一晩で全てをレコーディングしたのである!
(後に、3人のソロパートにみ追加レコーディングをした模様)
レコーディングシーンに入ると、もう一瞬も目が離せないシーンの連続。
これだけの大スター達が一堂に会しているシーンは恐らく、これ以後見れないだろう。
そのレコーディングの時間経過を見れば、皆さすがのプロ根性と言わざるを得ない。
詳細シーンは是非見て下さい。
後半のソロパートレコーディングで一際耳に残るシンディーのパートは、
彼女の後のキム・カーンズがフレーズ的に少し弱く、クインシーらの即時アイデアで3人ハーモニーに変更され、3回目のテイクであの爆発的なシャウトが入り、OKとなった。 見てる方も目が潤んだ・・。
そしてレコーディングが終了して、皆極度の疲労で帰途につく中、ダイアナ・ロスが帰ろうとせず、涙ぐんでいる。
そして彼女が語った言葉にまた、こっちも目が潤む・・。
あのポップの女王でさえ、そんな経験をした事なく、その場から去るのが名残り惜しかったのだ・・・。
尚、この曲は現在も収益していて、アフリカに届けられているそうだ。
必見!
↓ 歌の順
ライオネル・リッチー、
スティーヴィー・ワンダー、
ポール・サイモン
ケニー・ロジャース、
ジェームス・イングラム、
ティナ・ターナー、
ビリー・ジョエル
マイケル・ジャクソン、
ダイアナ・ロス
ディオンヌ・ワーウィック、
ウィリー・ネルソン、
アル・ジャロウ
ブルース・スプリングスティーン、
ケニー・ロギンス、
スティーヴ・ペリー、
ダリル・ホール
マイケル・ジャクソン、
ヒューイ・ルイス、
シンディ・ローパー、
キム・カーンズ
全員コーラス
ボブ・ディラン
全員コーラス
レイ・チャールズ
スティーヴィー・ワンダー
ブルース・スプリングスティーン
全員コーラス
ジェームス・イングラム
レイ・チャールズ
世界は歌う
名曲『ウィ・アー・ザ・ワールド』。
その誕生やレコーディング風景、参加アーティストたちの当時のインタビューや現インタビュー、色褪せぬ名曲の魅力を収めたドキュメンタリー。
音楽に疎い私。洋楽なら尚更。
しかし、そんな私でも知っている。メロディーも自然と。
飢餓に苦しむアフリカの人々の救いになるよう作られたチャリティーソング。
“ライヴエイド”などチャリティーコンサートも有名だが、こちらはたった一夜、ほんの数時間に、錚々たるアーティストが一つのスタジオに集結。
私でさえも集ったアーティストの顔触れには仰天…!
ライオネル・リッチーが呼び掛け。マイケル・ジャクソンと共同で作詞作曲。クインシー・ジョーンズがプロデュース。これだけでもスンゲェ…。
その他、ケニー・ロギンス、シンディ・ローパー、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ティナ・ターナー、ハリー・ベラフォンテ、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングティーン、ベット・ミドラー、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ…。俳優ダン・エイクロイドも。
アメリカの音楽界を代表するスーパースター総勢45人。
まさに、ミュージシャンの“アベンジャーズ”!
ライブにツアーに多忙で売れっ子。そんな皆を集めるのはほぼ不可能。
当初は一人一人レコーディングする予定だったが、それだと時間も労力も掛かる。
全員でレコーディングする。そんな事可能なのか…?
可能な一夜があった。
1985年1月28日。アメリカン・ミュージック・アワード。アメリカ最大の音楽賞の一つ。
多くのアーティストたちが集まる。その直後にスタジオに移動してレコーディング。
この名曲の構想や参加アーティストもスゲェが、レコーディングも大胆。
しかし、そうトントン拍子には進まない。
参加と不参加。当初、当時マイケル・ジャクソンと人気を二分するプリンスも参加予定だったが、不参加。
そのプリンスと親しく、説得するよう言われたというシーラE。
それぞれのアーティストたちの複雑な人間関係、事情…。曲を聞くだけでは見えてこない。
豪華メンバーが集い、遂にレコーディング開始。そこでも。
誰がどのパートを歌うか。
それぞれのアーティストの個性、歌い方もあり、レコーディングは難航。
これだけの面子なのに、緊張やプレッシャーも。
ライオネル・リッチーはいい曲を書かねば。各々、いざ対面でのレコーディングで相手に圧倒される。
スーパースターたちも我々と同じなんだなぁ、と。
歌のプロたちがミスも。
時間も限られている。
決して広くはないスタジオに、スタッフも含めると60人~70人以上がぎゅう詰め。
一月とは言え、熱気から来る暑苦しさ。
ピリピリムードも漂ってくる。
無事レコーディング出来るのか…?
そんな場を切り抜けるのもスター。
レコーディング前のボブ・ゲルドフのスピーチ。
ライオネル・リッチーの人間性。
クインシー・ジョーンズの統率力。
ナチュラルなシンディ・ローパー。
ミスをユーモアで和ませるスティーヴィー・ワンダー。
存在感あるブルース・スプリングティーン。
クールなボブ・ディラン。
熱心な慈善活動家で知られるマイケル・ジャクソン。この曲への思いは真摯。
レコーディングは無事終了。感極まったダイアナ・ロスの一言。
アーティストたちの素顔、真剣な歌への向き合い方…。
歌を届ける事でアーティストたちに何が出来るか。支援金は勿論、精神的な支え。
参加アーティストの中には現在すでに故人も多く…。その貴重な(このレコーディング風景すら貴重だが)在りし日の姿。
音楽に疎い私でも、感無量…。
『ウィ・アー・ザ・ワールド』の詞の一節。
僕たちは一つの世界。
当初は黒人アーティストたちがアフリカの同胞たちを救う為に。
そこに白人アーティストたちも参加。男性アーティスト、女性アーティスト問わず。
人種や性別の垣根を越えて。皆、一つになって。
エゴは入り口に置いて。
この曲自体が全てを表している。世界を、我々を。
音楽が世界を一つにする。
誰かが誰かに手を差し伸べる。
世界は一つになれる。
この一つの世界に生きている。
決して理想事や夢見心地じゃない。
それを出来る力や心や愛を我々は持っている。
君と僕とで。あなたと私とで。世界と皆とで。
エゴは入口に置いてこよう…
We areThe World聞いたことは勿論あるが、こんなにスター達が一生懸命に歌っているとは知らなかった。互いにスーパースターだけど、失敗できない緊張感や、笑い、ピリピリムードなど熱気が伝わってきた。天才でありながら自由人スティービー・ワンダー、誰もが一目置くマイケル・ジャクソン、皆のバランスを取るライオネル・リッチー、クインシー・ジョーンズなど、スターの中のスターは文字通り輝いている。まさに奇跡の曲だったんだと思う。
感動の連続
あのWe are the world にこんなにいろいろなドラマがあったとは。当時は情報も少なく、あまりわかってなかった。
皆集まってワイワイしてるところにライブエイドのボブゲルドフが来て、本日の目的を話し、皆の顔つきが変わったこと。
クインシージョーンズのカリスマ、ライオネルリッチーの明るさ、ハリーベラフォンテへの皆のリスペクト。
大御所に囲まれてちょっと静かなビリージョエルやポールサイモン。
ソウルシンガーとカントリーシンガーが並ぶ様子。
スティービーワンダーの天才っぷり。皆がピアノのそばに集まってリハーサルすると、誰が来てるか声でわかる。途中スワヒリ語で歌うとか、自由さも彼らしい。
ダリルホールの美しさと繊細さ。
シンディーローパーの声量と音域。そしてじゃらじゃらアクセサリー。後で通しを見直したらコーラスの時とソロの時、違ってる。
スティーブペリーの歌のうまさ。
ボブディランが、慎重にソロにかけた時間。
ブルーススプリングスティーンはライブ後で疲労困憊なのにあの声を!
そしてそしてマイケルジャクソンのこのプロジェクトへの熱意。you and me かme and youかで考えたり。
ステージ衣装もとてもきれい。
などなど感動しすぎて、眠れない。
あれからいろいろあって、世界はずいぶん変わったけれど、あの頃のシンプルに、何かしよう、と集まった皆がいて、今がある。
マイケル・ジャクソンの下働きに涙
もう、涙涙ですよ。
あんなツワモノ揃いのトップレベルの歌手を集めて、一晩で「We Are The World」のレコーディングするんですから。
みんな勝手だし我がままだし、それをまとめ上げたライオネル・リッチーとクインシー・ジョーンズはスゲェよ。
そして、アメリカン・ミュージック・アワードを欠席して、ひとり孤独にスタジオのセッティングをしてたマイケル・ジャクソン。
録音時の彼の美声!もう、思い出しただけでまた泣けるね。
この人達と同じ時代に生きれた事に感謝!!
自宅レイトショーNetflix『ポップスが最高に輝いた夜』
昨夜目に止まったこの作品・・・
約38年前だけどこの衝撃は忘れない最高で最強のミュージックビデオの舞台裏ドキュメント
スポーツにしろ音楽にしろ今の時代の方が進化して凄いのかもしれないが・・・
日本的には昭和なこの時代のスーパースターの個性ある歌声は、皆さん唯一無二の素晴らしさ!
この個性を一つにまとめるの大変って部分が盛り込まれた作品は、音楽好きなら必然的に観ないとダメなヤツです。
もう亡くなってる方も増えてきましたが、当時を語るレジェンドが熱い!
時間ある時にもう一回観よ♫
あなたは覚えていますか?著名なミュージシャンが大勢集まって歌う姿にときめいた頃を。
当時はこのメンバーの結集がどんなに凄いことなのか今一つ実感できなかったし、ボブ・ゲルドフが先んじた「バンド・エイド」の二番煎じと高をくくっていたが、それぞれが持ち味を生かして歌に集中して作り上げていく過程を見て、改めて見入ってしまった。
ハリー・ベラフォンテが言い出しっぺで、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが主導し、クインシー・ジョーンズがプロデュースをしたということだが、制作過程での人柄や関係性が興味深く、裏方の視点と時間に追われる中での緊張感等、カメラもよく追いかけたと感心。商業主義的なあざとさはおいておくとしても、ポップスファンとして、また大きなイベントの記録としても貴重なものだと感じる。鬼籍に入った人もいるし、懐かしく見ることができた。
才能の有効な使い道
ネトフリで新作紹介されていたのでちょっと見始めたら、結局最後まで見てしまいました。
いくら洋楽に疎い私でも当時聞きまくり誰もが知っている曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の一夜のレコーディング風景のドキュメンタリーです。
早い話、エンタメの“存在意義”とか“力”とか“価値”を存分に表現したアメリカの真骨頂的な作品なんでしょうね。
どんなに大スターであっても、どんなに才能があっても、どんなに栄光と喝采を浴びても、彼らも日々を生きている人間であり、日常では落ち込んだり、自堕落であったり、不幸であったり、人間としては普通人とそんなに大きな違いはないのかも知れないが、だけど絶対に違うのはこんな奇跡の一夜に参加できる選ばれた人達という事なのでしょうね。
レコーディングが終わり皆がそれぞれに帰っていく中で、ダイアナ・ロスが「終わって欲しくない」と言って泣いていたそうだが、その言葉がエンタメというものの様々な意味を含んだ象徴的な一言だったのかも知れません。
あと一番印象に残ったエピソードとして、あのボブ・ディランが最初から非常に緊張していて、自分の歌うパートのリハでもどう歌ってよいのか分からず、思わずスティービー・ワンダーに自分ならどのように歌うのかを聞いていたシーンは凄く興味深かったです。
「ポップスが最高に輝いた夜」を堪能
1985年、「ウィー・アー・ザ・ワールド」が世に出された時
こんな凄いことがあるのかと驚愕したことを思い出す。
その曲の製作過程を映画で観て再び驚愕した。
これだけの超一流アーティストを一堂にそろえて
一晩でこの曲をレコーディングしたなんて
今思えばあり得ないことをやってのけたんだなあと
改めてドキドキワクワクした。
クインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダーなど
それは凄いことをやってのけた人々。
題名どおり「ポップスが最高に輝いた夜」を堪能しました。
ウィ・アー・ザ・ワールド
1985年、「ウィ・アー・ザ・ワールド」が録音され、その後発売された。
企画に始まり、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが曲を作り、クインシー・ジョーンズによるスーパースターを集めたレコーディングまでのドキュメント。
ボブ・ディランが場違いな雰囲気に戸惑ったり、シーラ・Eがプリンスの呼び水だとわかり途中退出したり、ダイアナ・ロスがスタジオから去り難くなったり、などなど鳥肌の連続だった。
洋楽はあまり知らなくても、見るべき1作。
一言「よくこれだけ揃ったなあ!」
以前見たNHKドキュメンタリーと、若干被るところはあったけど。
1985年当時私、高校生。ネイティブの先生クラスで、この曲を歌う授業がありました。
あれから約40年。
ライオネル・リッチー、ブルース・スプリングスティーン、シンディー・ローパー等。
今も現役の歌手達が、当時を振り返る様子や。
故人のマイケル・ジャクソン、レイ・チャールズ等の、ありし日の姿も。
なぜたった1日で、40人強の一流歌手を集めて録音するのか。
どうやって曲を作ったのか云々。
携帯電話すら無い時代での、その連絡ツール。
全てがもう奇跡だったのでしょう。
洋楽はさほど知らないのに、歌える曲(なんとなく)。
その理由が最後に出てきて、だからヒットしたんだ。
そしてそれが、知らないうちに世界を救っている。
最後ちょっとだけ、ほろりでした。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「大事なのは、挑戦よ」
究極のUNISON♥にボブ・ディランのアドリブが重なる。
ポール・サイモンの隣にスティービー・ワンダーがいるだけでも鳥肌が立つのに。
シンディ・ローパーでしょ。
ブルースプリングスティーンが歌い終わって、後で手をたたくのが、ダイアナ・ロス。
ダイアナ・ロスが『終わって貰いたくない』と涙を流して言ったそうな。思わず貰いなき。
後、25分。もう、絶対に再現できないだろうね。
アメリカン・ドリームの
奇跡の瞬間なんだと思う。
まぁ、僕にとってももう二度と戻って来ない時間を感じる。ミーハーなレビューになるかもしれないが、昨日見れば、39年前何だね。(日本時間で)
ボブ・ゲルドフのスピーチがいい
日本の47人といえば、
赤穂浪士。
米国の47人といえば、
USA for AFRICA。
デヴィッド・バーンは断った、
とか、
デイブ・リー・ロスは行けたらいく、、、、
こなかった。
ケニー・ロジャースは、
デロリアンに乗ってる、
とか、
ジョン・デンバーは、
外で唄ってた、
とか、
ヒューイ・ルイスのパートは、
プリンスが唄う予定だった、
とか、
マイケル・ジャクソンの自宅には飾ってある漢字の掛け軸は、
バブルスが書いた、
とか、
当時さまざまな噂が飛び交っていた。
携帯もネットもない当時は、
雑誌かラジオからの乏しい情報から背びれ尾ひれがついた話題が少なくなかった。
バンドエイドの後の、
大きな話題だった。
WE ARE the world ・・
そして、
ライブエイドの衛星生中継は、
日本のアナウンサー、
キャスターはバンド名を知らない、
中継映像は途切れる、
多くのバンドの演奏も急成だからかガタガタ、
ツェッペリンまで待とう、
司会がジャック・ニコルソンだから我慢しよう、
やっぱり無理があるんじゃないか、
時差含めての二元中継、
観るのをやめようとしていた時、
声とピアノと拳で、
約7万人の観客と世界中のテレビの視聴者を、
ひとつの巨大な波に変えてしまったのは意外にも、、、、
ボヘミアンラプソディに書いてます。
レイス・ミュージック、
カントリー、シンだはずのロック等々
普段は言う事を聞かない猛獣のような人たちが、
アフリカの子どもたちの為に、
世界中の子どもたちの為に、
ひとつになる、
ボブ・ゲルドフのスピーチがいい。
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