「「レースの勝敗はどうでもいい」というセリフに込められたテーマと、「瞳の先に映るもの」、そしてポッケの結晶について」劇場版「ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉」 my894さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0「レースの勝敗はどうでもいい」というセリフに込められたテーマと、「瞳の先に映るもの」、そしてポッケの結晶について

2024年6月1日
PCから投稿

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まず映像作品として非常に見ごたえがありました。特に2つあげると
・光の使い方と「瞳の先に映るもの」の表現
今作とにかく瞳のアップが多く、それに対応した光の使い方が実に多種多様です
それによって表現されるのは瞳そのものではなく「瞳の先に映るもの」でした
ポッケを見守るフジキセキのキラキラ輝く瞳や、タキオンの引退を聞きディスプレイの真っ赤な色にそまるポッケの瞳、自分のいないレースを見つめるタキオンの瞳などなど・・
演出としては過剰なくらい瞳のアップがたくさんあったので印象深く残った人も多いんじゃないでしょうか
特にタキオンは多めだった気がします

・被写体を中央におさめない構図
他にも印象に残る描写としてあがるのは、とにかく被写体であるウマ娘たちを画面の中央におさめず、画面の端に映すようなカットが多かったこと
端に映すからこそ目で追ってしまう、小さいからこそ逆に際立って見える
画面の中央が足の裏だったり段ボールの山だったりするシーンまでありましたからね
この描写も過剰なほど使われていたので目を引きやすかったと思います

そしてストーリーの話ですが、レビューを見てると「オペラオーとのジャパンカップの描写が物足りない」という声を見かけました
が、個人的にはこれは意図したものかと考えています
これは「レースの勝敗はどうでもいい」というタキオンのセリフがそのまま今作のテーマにつながるためです
そのため後半は勝ち負けの描写をあえてあっさりしたものにしたのです

じゃあ勝敗の代わりにいったい何を描いたのかというと
『また走り始めること』
これこそが1番のテーマかと思います

今作ではフジ、タナベトレーナー、タキオンが引退、ジャングルポケットも精神的不調をかかえるシーンがあります
しかしこの4人はそれぞれがお互いに影響し合うことで、また走り始めるのです
(描写は薄いですが一応カフェもこれに該当します)
これだけ何度も「また走り始める」という演出にこだわっているのですから、オペラオーよりフジやタキオンの出番が多くなってしまうのも当然のこと
最後に伝えたかったのは勝敗ではないのです

もちろんできればもっとあれも描いて!これも掘り下げて!という気持ちはありますが、それは色んな都合上仕方ありません
ですがしっかりと伝えたいテーマは描かれていたと思います

追記)
ポッケの結晶の説明がない!伏線の放置だ!というレビューも見かけましたが
「だったらあの結晶はなんなんだろう?」とご自分で考えるべきかと思います
全部セリフで説明されないと何もわからないのでしょうか?自分なりの解釈というのはないのでしょうか?

私の解釈では、説明がない以上、あの結晶はなんらかのメタファーだと考え、それは最強になるというポッケの「夢」を表現してるのだと結論付けました

冒頭「トレセン学園に入って最強になる」と宣言し高く高く掲げられるシーン
トレーナー室に結晶を置き忘れ、フジに「傷がついてるね」と言われるシーン
フジとの併走でスタートの合図かのように、フジからポッケへと返されるシーン
(見間違いでなければ)タキオンの研究室にもこの結晶はかかげられていましたが、その結晶越しにポッケとタキオンの会話がすすんでいくシーン
他にもあったかもしれませんが、これらのシーンからあれは「夢」を暗喩してるのだと考えます
ここは説明がない以上それぞれの解釈にゆだねられてると思います

なんにせよ自分の思い通りの展開じゃなかったからといって「説明がない!描写が物足りない!」で終わらせる人には少々むずかしい映画だったのかもしれません

my894