「結局、QUARTET NIGHTの新たなる到達点(ユートピア)とはなんだったのか?」劇場版 うたの☆プリンスさまっ♪ TABOO NIGHT XXXX skyさんの映画レビュー(感想・評価)
結局、QUARTET NIGHTの新たなる到達点(ユートピア)とはなんだったのか?
うたプリ初期から箱推しのオタクであり、3次元アイドルのライブにも頻繁に足を運ぶアイドルオタクの視点からの感想です。
前提として、私は今回の映画を、前回までの2作と同様にカルナイの「ライブ映画」のつもりで観に行きました。
アイドル(に限りませんが)のライブとは、非日常を味わえる特別な体験ができる場だと思っています。
その観点から言うと、今回の映画は没入感を削がれる場面が多く、非常に残念な仕上がりになってしまったと感じました。
以下に、気になった点を挙げていきます。
・テーマの一貫性のなさ
これが最も大きな問題だと感じました。
ライブの中で「タブーなんてない」という言葉が都合よく使われ、結果的に「何をやってもいい“だけ”」になってしまっていないか、疑問が残りました。
劇中劇にすること自体の是非はさておき、それをやると決めたのなら、全編をその形式で貫いたほうがよっぽど一貫性があったと思います。軸がブレすぎていて、何を伝えたいのかがまったく見えてきませんでした。
さまざまな要素を詰め込みすぎたことで、本当に伝えたかったテーマがかえって薄まってしまった印象です。
このライブのテーマである「QUARTET NIGHTの新たなる到達点(ユートピア)」とは、結局何だったのでしょうか?
・情報量に併せて説明の仕方に工夫が必要だった
ストーリーの説明が急にスライドとナレーションで入り、1回観ただけでは本当に何を言っているのか分からない部分が多かったです。
そのたびに気持ちを切り替えて次のセクションに進まなければならず、観客に頼り過ぎていると感じました。たとえば、カルナイの4人が役を演じているシーンを曲間に映像として流すだけでも、設定がずっと理解しやすくなったと思います。
何回も通えば理解できてくるという評価もあるようですが、普通、ライブって何回も通えるでしょうか?カルナイのような人気アイドルのチケットは1公演分取れればいい方だと思います。この映画が「ライブ」映画である前提を忘れていないでしょうか?1回で理解し切れないものになっているのだとしたらやはりそれは問題だと思いますし、そういうリアリティのなさも入り込めない要因になっているんだと思います。
・役割の重なりが生む視点の混乱
アイドルがファンに見せるのは、アイドルとしての“パブリックな面”と個人の“パーソナルな面”の両方あると考えています。
今回はそこに劇中劇の“役としての側面”まで加わったため、情報過多で混乱を招いた印象でした。
今この瞬間の彼らの発言や歌は、「個人として」なのか「アイドルとして」なのか、それとも「物語の役として」なのか、観客が把握しづらく、何度も「私は今、どの彼らと向き合えばいいのか?」と戸惑う場面がありました。
・ライブと曲のつながりを感じない
セットリストはライブにおいて最も重要な要素の一つだと思います。
選曲やその順番次第でライブ全体の印象が決まるといっても過言ではなく、通常は入念に検討を重ねるはずです。
おそらく劇中劇の展開に合わせて曲順を決めていったのだと思いますが、すべての曲がバラバラに感じられ、前後とのつながりやなぜこの曲順なのか意味が見えてきませんでした。
新曲が少ないため、劇中劇で間をつなぐ必要があったのでは?とも考えられますが、もしそうだとすると、既存曲を劇中劇にうまく組み込むなど工夫はできたかとも思います。
新しいことにチャレンジしようとしている一方で、ダブルアンコールだけ過去作と同様に既存曲にするという「型」にとらわれていたのも違和感がありました。
ソロパフォーマンス単体で見れば、それぞれの圧倒的な歌唱力で「さすがQUARTET NIGHT」と感じました。
それだけに、それを生かしきれずバラバラに感じられた構成が非常に残念でした。
・アリーナ規模より広くも狭くも感じられる空間
今回はアリーナツアーという設定だったため、アリーナの持つ「ファンとの距離の近さ」が大きな利点で、ライブ冒頭、嶺二が客席から登場したシーンは、規模に見合った適切で効果的な演出だったと思いました。
ただ、舞台セットとカメラワークのせいか、藍以外のソロ曲では会場がやたら広く感じられたり、逆に他のシーンで妙に狭く感じる場面もあり、空間演出の一貫性に違和感を覚えました。
・技術の進歩=ライブの評価ではない
衣装の質感など、映像クオリティの高さから技術の進歩や制作側の努力は十分に伝わってきました。
制作サイドのコメントなどを見る限り、このライブでは映像美に特に注目してほしかったのだろうと感じています。
技術の向上は素晴らしいことですが、それはライブにおいて「高解像度カメラで撮った映像」以上の意味を持たず、ライブそのものの良し悪しに直接は関係ないと私は思っています。
私は衣装の質感を見にライブへ行っているわけではないです。いくらそこに力を入れても、ライブの印象を大きく変えることにはなりませんでした。
前作のスタツアでは、ライブ全体のテーマが一貫していて、没入感を削ぐ演出もなく、キャラクターの個性が光っており、ライブとしての完成度が非常に高かったです。また、例えば、スタアワで「未来地図」のオマージュがあったりなど、気づいた時に多幸感が感じられるような演出が散りばめられており、細部にまで愛が感じられる作品でした。
今回のように何度も足を運んで「頑張って演出の意図を探る」のではなく、自然に気づきが生まれるようなライブだったと思います。
スタツアでは、ST☆RISH自身が「自分たちがアイドルとしてどう見られたいか、どう見せたいか」「ファンに何を伝えたいか」を真剣に考えたうえで作り上げたライブだときちんと受け取る側が感じ取れました。
対して今回のダブナイでは、「QUARTET NIGHTが本当に自ら考え抜いて作ったライブなのか?」という疑問が拭えず、「QUARTET NIGHTが自ら考え抜いて作ったライブ」ではなく、「制作サイドが考えるカルナイっぽいライブ」を「作りました」という印象が強く残りました。これがこの2作の大きな違いなのではないでしょうか。
今や無数のアイドルグループがいる中で、アイドルたちは必死に「既存ファンを失わずに新規をどう獲得するか」を考え続けていると思っています。
その中でもライブは、自分たちを最も表現できる貴重な場であるはずです。今回はその貴重な場を生かし切れなかった作品だと思います。
少なくとも、私は今回のライブを観て「今後もうカルナイのライブには行かなくなるだろうな」と思いました。それほどまでに、心が離れてしまう作品でした。
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