「大人の欲望の方が果てしないのは、空虚に思える時間が深いからなのかもしれません」映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
大人の欲望の方が果てしないのは、空虚に思える時間が深いからなのかもしれません
2024.12.13 イオンシネマ久御山
2024年の日本映画(104分、G)
原作は廣嶋玲子&jyajyaの同名漫画
ふしぎな駄菓子に翻弄される人々を描いたファンタジー映画
監督は中田秀夫
脚本は吉田玲子
物語の舞台は、関東近郊&都内某所
母校のわかば南小学校にて小学5年生の担任をすることになった等々力小太郎(大橋和也、幼少期:黒木将盛)は、母・紀子(田中里衣)、妹・まどか(平澤宏々路、幼少期:清水悠乃)とともに新しい生活を始めることになった
まどかは美大を目指して予備校に通っていて、友人の百合子(伊礼姫奈)とともに大学合格を目指していた
また、小太郎は大学時代の後輩・陽子(伊原六花)に想いを寄せていて、久しぶりに会う約束を取り付けていた
陽子は文芸誌の担当をしたかったが、今はファッション部門に配属されていて、編集長の浅井(山本未来)を筆頭に、本郷(渡邊圭祐)、由美(荒井玲良)、ミドリ(鮎川桃果)らのセンスに圧倒されていた
ある日のこと、授業後に生徒たちと話していた小太郎は、彼らがある時点から急に変わったという話を聞く
さらに、廊下で立ち話をしている生徒も同じようなことを言い、それは「銭天堂という駄菓子屋のお菓子を食べると願いが叶う」という噂話に端を発するものだった
小太郎はそんなまやかしのようなものがあるわけないと思っていたが、記憶の奥底で何かの駄菓子を食べた記憶が残っていて、それが彼の心をざわつかせていた
物語は、かつての自分も利用していたというもので、主人公の駄菓子のみ「本人の意思とは関係なく禁忌を忘れる」という都合の良いものになっていた
他の人の駄菓子は永久的に続く禁忌があるので、うっかり蛇の鳴き真似をしたりとか、勉強を疎かにしたりはできない
また、自分の能力を上げるものもあれば、他人をコントロールするものもあって、ある程度の「欲しがり」の連鎖を生む下地は整っていたように思う
不思議に思ったのは、たたりめ堂のよどみ(上白石萌音)は銭天堂が集めたコインが闇落ち(不幸虫)しないと商品が作れないので、銭天堂をライバル視している場合ではないし、潰したら商売が上がったりになる気がする
そのあたりはほとんど描かれず、おそらくはその辺のヘイトを集めても何かを作れそうだったので、おバカキャラにしないためにもひとつくらいは劇中で作っても良かったのかな、と感じた
基本的に小学生向けの作品で、うまくいかない現実に対してどう向き合うかを描いているのだが、根本的な性格が不幸の内容を決めているように思う
小太郎とまどかは根が良い人間なので、何かしらの願いがあっても自分の何かをコントロールしようと考える
紅子(天海祐希)が言う「私の駄菓子が勝つ時」と言うのは、よどみには見えていない「善意の塊が欲する欲望」と言うものがあって、それは不幸虫を生むことがないと言うことを知っているからなのだと感じた
いずれにせよ、情操教育に使うような内容で、秘密の道具を出してくれるロボットの系譜のような作品であると言える
そう言ったアイテムによって、みんながどのように振る舞うかを見るのが紅子の楽しみなのだが、高確率で不幸になっていることを考えると、転落するのを見るのが楽しみなのかなとも思ってしまう
店に選ばれる客はランダムではあるものの、何かしらのわかりやすい欲望を持っている人になるので、あれこれと節操のない人は選ばれないように思える
駄菓子はきっかけを与えるもので、その継続は努力が必要というものだが、その一歩の踏み出しというのは意外と大変だったりする
それが誰かのアドバイスだったりするのが現実だが、思い込みの力を利用するのなら、自分にプラシーボをかけて、その辺にあるお菓子にそれっぽい名前をつけてみるのもありなのかもしれません