トラペジウムのレビュー・感想・評価
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どう見るのかが重要?
主人公の性格の悪さは、うわさに聞いていたが、やはり性格は悪い。
とはいえ、主人公の性格の悪さ、幼稚さは年齢を鑑みればむしろ変ではない。
主人公を自分自身と重ねようとすることは憚られる。
ただ、子供がいる人が見ると、そこまで嫌悪感を示すことはなかったのではないか。
また、「アイドルもの」としては珍しく?しんどい展開だった。
「しんどい=リアル」になりやすい。本作がリアルなアイドルものだったのかはわからない。
「物珍しい」という意味では面白かったが、「アイドルの苦悩」みたいなものを感じるには至らなかった。
タイトルなし(ネタバレ)
原作を読んでいないのですが
アニメーション映画作品としては、ふつうとしか言いようがない印象でした。
青春物語としてはそれなりに王道でもありますが、そこから出ていない。
そして逆に設定に関しては限定的であるからこそ、登場人物の感情にもう少し説得力がほしい。キャラクター造形も主人公以外は類型的な印象でした。
良い子ちゃんではなく策士の面を持つ主人公のキャラクターは、そうする以上はもっともっと生かしてほしかったし、ややネタバレですが、結末がいきなり数年後に飛ぶのがあるある過ぎるのはともかく、もう少しそれぞれの大人になっている描写も、ひととおりのものでない説得力が欲しかったです。
作品の対象になっている層とずれているのかもしれませんし、求めるところが違うのかもしれませんが。
それらが原作からしてそうなのか、アニメーションとしての手際から生じるのかは、原作未読ゆえに存じ上げませんが。
原作者が芸能のお仕事をなさっているがゆえの説得力は、少なくともアニメからは感じられませんでした。
画面や絵としては、現代的なきれいさだと感じました。絵柄も可愛らしく今どきに合って(合わせて)いる。でもそこから出ていないのも否めません。
人類やアイドルは嘘をつかないと成り立たないが、正直でありたいという主人公たちの葛藤は彼女たちを大きく成長させアイドル以上に輝かせたのであった。
4人の女子高生の青春ヒューマンドラマ。トラペジウムとはオリオン大星雲の中心部にある4つの若い星の集まりのことである。主人公の東ゆうはアイドルグループをみずから結成するという計画を立て、全国の高校を回ってメンバーを集める。4人揃ったのでアイドルをめざす活動を開始する。やがて東ゆうと他のメンバーとの間に活動に対する温度差が生まれ4人はアイドルグループを解散する。だが4人の友情は不滅であった。東ゆうとメンバーたちの美しい友情を描いた作品。
点数3.5。お勧めします。4人の仲間を集めてアイドルを結成する話。仲間と一緒に何かやろうとする者たちにパワーをもらいました。ただし、ドラマチックな展開が少なく盛り上がりに欠けるのでこの映画は私には刺激が少ないと思った。
政治や宗教などがそうであるように人類は嘘をつくことにより成り立っている。そうしないと全人類はたちまち大ゲンカを始めてしまうだろう。アイドルもまた大勢の人に嘘をつかないと成り立たない職業であるがこの作品の4人の女子高生たちは正直でいたかったのでアイドルグループを解散する選択をする。アイドルという職業は演技や歌などで嘘をつかないといけないが4人の友情は正真正銘の本物であることがわかって私は感動した。
人類はなぜ嘘をつくのだろうか。私の答えは人類はいつも正直でいたいと思っているが嘘をつかないと人類は成り立たないからやむをえず嘘をつくのだと思う。映画の主人公、東ゆうは本当に正直な女の子であった。アイドルになりたいという自分の夢に正直だし、ファンに正直に尽くしたいと思っているし、他のメンバーに対する友情もまっすぐで正直である。でも全部をかなえることは不可能でそれでは成り立たないのが現実なのだった。他のメンバーたちも正直すぎるがゆえにこのアイドルグループは解散することになる。アイドルはしょせん嘘だが4人の友情は嘘ではなかったということだと思う。同様に人類は嘘をつくが人類の愛は本物であるとこの物語は私に言っていると思った。
この映画は4人がアイドルグループを結成するまでよりも結成してからが注目点である。4人は自分に正直でありたいがために葛藤し、その葛藤は彼女たちを大きく成長させる。2005年アカデミー賞作品賞を取ったクリントイーストウッド監督・主演のアメリカ映画「ミリオンダラー・ベイビー(2004年)」という女性ボクシングとそのトレーナーを描いた映画があるが、この映画は主人公の女性ボクシング選手が無名選手からチャンピオンになるまでよりもそれ以降の主人公とトレーナーの心の葛藤が作品の主題だった。この「トラペジウム」も女子高生4人がアイドルグループを結成してからの心の葛藤が作品の主題だと思う。
アメリカの実写映画「ミリオンダラー・ベイビー(2004年)」では後半に主人公の女子ボクサーがケガをしてボクシングができなくなる。ボクシングができない体はもはや自分ではないから自分の命もいらないと考える主人公だが彼女のトレーナー(クリントイーストウッド)はたとえボクシングができなくても主人公に生きていてほしいと葛藤する。つまり嘘(楽に死なせたい気持ち、またはキリスト教の教えに従うこと)と本音(生きてほしいという気持ち、または人間の本質)の葛藤がこの映画の主題である。「トラペジウム(2024年)」の方は4人の女子高生のアイドルメンバーが嘘(偽のアイドル活動をすること)と本音(正直に生きること)の葛藤をして結果的にはアイドルグループを解散する。私は「ミリオンダラー・ベイビー(2004年)」と「トラペジウム(2024年)」は似ていると思った。そしてこれら二つの映画で描かれる嘘と本音の葛藤は人類の永遠の悩みであると思った。
視聴:液晶テレビ(有料配信Amazon Prime Video) 初視聴日:2025年7月13日 視聴回数:1(早送りあり) 視聴人員:1(一人で見た)
2025/7/30 追記1:
日本がバブル経済期だった平成2年公開の日本映画「東京上空いらっしゃいませ」(1990年)も女子高生アイドルが主人公の青春アイドル映画であった。主人公の神谷ユウ(牧瀬里穂:当時18歳)は現役女子高生でアイドルでキャンペーンガールだったがスキャンダル絡みの交通事故により幽霊になる。幽霊になったユウは東京の上空で彼女を成仏させようとする死神をだまして再び肉体を得て地上に戻ってくる。ユウが生き返ったと思ったユウの仕事仲間で独身で一人暮らしの中年男性の雨宮文夫(中井貴一)は最初戸惑うがアイドルのスキャンダルを隠すためにこっそりとユウを自分の家に泊めて一緒に暮らし始める。新しい人生を与えられたユウは幽霊ながらも懸命に生きようとする。映画のクライマックスでは他人の結婚式に飛び入り参加してユウは歌って踊るのだがこの場面での白いドレスを着たユウのダンスシーンは本当に生き生きと生きる人間の美しさを表現していて名シーンであった。アイドルとは生き生きと生きる人間の美しさの素晴らしさを世間に伝える役割をもった高尚な職業であると思った。生きていない人間が必死に生きようとするこの作品はお金やモノはあるが本当に人生を謳歌していないバブル期の人たちへの皮肉であろう。そしてこの皮肉はアニメ映画「トラペジウム」(2024年)での生き生きと生きていない4人のアイドルたちが解散し、本当に生きていると思える道へ4人それぞれが進む結末といいたいことが同じだと思った。
追記2:
映画「東京上空いらっしゃいませ」(1990年)も映画「トラペジウム」(2024年)も人間が生き生きと生きるとはどういう事かをアイドルという職業を通して問題提起している。「トラペジウム」の主人公東ゆうと「東京上空いらっしゃいませ」の主人公神谷ユウは名前がどちらも「ユウ」である。「ユウ」は英語で「ユー(君または君たち)」の意味であろう。だからこの映画は「君」または「君たち」の物語でもあると作者は言いたいのだと思う。君たちは生き生きと生きていますか。とこのふたつの映画は問うている。
追記3:
アイドルとは何か。人間が生き生きと生きるとはどういう事であるか。何かを一所懸命にすることであろうか。家族や友人や他人など人とのつながりを大切にすることであろうか。または人類を救うことであろうか。それは個人によってひとりずつ違うのである。「トラペジウム」の4人のメンバーはそれぞれ人生の目的が違っていたがそれは当然のことだと映画は言っている。アイドルになりたい東ゆう、聖南テネリタス女学院に通う華鳥蘭子、ロボット製作を目標とする大河くるみ、顔を整形して人生を変えたいと思っている亀井美嘉。彼女たちの人生の目的は違うのが当然でありアイドルなのは一瞬の過程にすぎなかった。人間が生き生きと生きるとは人それぞれ違うし老若男女全員が違うのであろう。若い人たちだけではなく赤ちゃん、子供、青年、中年、老年と皆が生き生きと生きるためにアイドルという存在があるのであろう。そうすると赤ちゃん、子供、若者、青年、中年、老年とすべてがアイドルであるという結論になる。嘘をつかないと成り立たないような偽のアイドルは本当のアイドルではない。本当のアイドルとは生き生きと生きているすべての人であると私は思う。
追記4:
映画やドラマなどの俳優も偽のアイドルと同様に大勢の大衆の前で嘘をついて成り立っている。演技とは自分の心に関係なく大勢の前で嘘をつくことである。俳優が演技で嘘をついているのが許せなくなり私はある時期から実写映画を見たくなくなった。本当に心を揺さぶられるのは演技ではなく実際に起こった出来事である。映画で感動するのは演技を事実と錯覚しているから感動するのである。私は嘘は嫌いである。それはきっと自分が嘘つきだからだ。そういう意味では私も広義の俳優なのかもしれない。生き生きと生きるということは嘘をつかない人生をおくるという事ではないだろうか。だから人生の俳優や偽のアイドルをやめ自分に正直に生きている人が真のアイドルといえるだろう。
追記5:
「四天王」は、仏教における仏法守護の神である4体の神々の総称です。東方を守る持国天、南方を守る増長天、西方を守る広目天、北方を守る多聞天(毘沙門天)の4体で構成されます。
持国天:東方を守護し、人々の幸福を願うとされる。
増長天:南方を守護し、人々の成長を促すとされる。
広目天:西方を守護し、人々の知恵を広げることを願うとされる。
多聞天(毘沙門天):北方を守護し、福徳を授けるとされる。
(AI回答より)
アイドルの元祖は仏教の神々であろう。寺院に足を運ぶとさまざまなアイドルに出会うことができる。この「四天王」は東西南北を守護する神さまであるが「トラペジウム」の4人もまた神だったということができる。
追記6:
仲の良い友人が4人集まれば車での旅行も楽しいし麻雀の面子もそろうし丁度いい人数である。私も昔はある仲良し4人組の1メンバーであった。そこでは東ゆうのようなリーダー役の他の3人を誘う役割の友達がいたものである。その仲良し4人組で旅行などしたが年を取ってリーダー役が誘わなくなると4人組は崩壊した。実は私に内緒で新メンバーを追加して継続しているのかもしれないが彼らとは現在は連絡を取っていないので真相はわからないままである。
2025/8/2 追記7:アイドルの歴史
アイドルの歴史を考える。人類史上最大の3.5次元アイドルといえばイエス・キリストであろう。彼のストーリーは聖書という超ベストセラー本で知れ渡っており地球上で知らない者はほとんどいない。絵やフィギュアも盛んに作られており教会という名前の専門映画館も世界各地に存在する。最近流行になっているすとろべりーぷりんす(略称:すとぷり)というアイドルグループもやはりアイドルである。すとろべりーぷりんすは6人組みの男性アイドルグループであり、特徴的なのは顔をアニメにしている点である。顔をアニメにすることにより特殊な効果を狙っているのかもしれない。ともあれ彼らがアイドルの歴史の一部なのは確かであろう。
追記8:人類はなぜアイドルを作るのか
人類は群れで行動する哺乳類である。なので群れで狩りをしたり一緒に暮らして身を守ったり群れの危機には戦ったり避難しなければならない。群れのリーダーを一人決めると群れ全体での意思統一をしやすく群れの生存率があがるのかもしれない。だから人類は生存率を上げるためにリーダーを作るのだ。群れのリーダーももちろん生きている生物なのでケガをしたりしてリーダーが交代することも多かったであろう。それゆえに人類は臨機応変にリーダーを作る能力に長けているのだと思う。人類は死なない究極のリーダーを作ることを考えた。アイドルの誕生である。アイドルとは死なないリーダーである。アイドルは群れのメンバーの脳内にある概念なので死なない。群れのメンバーが群れを離れるときにそのメンバーの脳内でだけ消滅する。死なないリーダーのいる群れは強い。よって宗教は群れの生存率向上のために人類によって作り出された旧式のシステムであると思う。そして現代の政治でも大統領という役職アイドルがいるので政治も宗教の延長線上にある。だが未来には新しいタイプの群れ生存率向上システムができると思う。アイドルの話に戻そう。アイドルとは顔である。群れのメンバーがリーダーをリーダーとして認識するには顔を見ないといけないからだ。だからアイドルは顔を盛んにテレビやユーチューブで映そうとする。顔を群れのメンバーに見せなければアイドルたりえない。
追記9:なぜグループアイドルが成立するのか
群れのリーダーは一人のほうが群れの意思統一がしやすく生存率が上がるはずであるがなぜグループアイドルが成立するのか。それは群れのメンバー一人一人が全て同じではないということであろう。リーダーの決め方は結構いい加減なのかもしれない。リーダーを認識して安心感を得られればそれだけでいいのかもしれない。結論として自分のアイドルを見つければ生活の中で安心感を得られ生存率が向上する。
夢を叶えなかった人には刺さらないのもわかる
過去にアイドルオタクをやっていた自分としては、ぶっ刺さる作品だった。共感ベースで作品を見る人には主人公の感情についていけず徹底的な否の意見になるのも分かるんだけど、悲しいことに最後の台詞は『夢を叶えた人にしか夢を叶えた時の気持ちは分からない』なので、分かってたまるかって感じだと思います。ある種突き放された感覚になるのが正解だと思うんですよ。
AKB48のドキュメンタリー映画を宇多丸さんが論じていた時に『この映画を見て娘がAKBになりたいと言わなくなった』というメールが紹介されていて、それが正常な感覚だよなと痛感させられたことを思い出す。常に理想的な偶像を求められること、可視化される己の人気(総選挙がわかりやすい例)、恋愛禁止なのか問題、SNSの普及、性的搾取(水着等の写真集)など、乗り越えるべきハードルがありすぎて困る。主人公はこの事を分かってて、それでも顔面の整った稀有な才能が、魅力的な曲と衣装でパフォーマンスすることの崇高性を十二分に理解している。誘われたメンバーにはその覚悟がなかった。この温度差が如実に出るシーンのヒリヒリ感はたまんない。松村沙友理が文春に撮られて…の流れも乃木坂46のドキュメンタリー映画で見てるから、原作者の高山一実も否応なしに経験しているはず。
オタクは推しを全肯定する狂信的な愛が求められると思うが、本来アイドル側の方が狂信的なのではないかと問い直すには良い作品。アイドルに関する類似作品は、この汚い部分は描かないor地下アイドルでお金がないみたいな描写ばかりなので、本当に新鮮だった。
圧倒的な才能が、自分で決めたはずの『東西南北』という縛りにより苦しむシーン。親が「私って悪い子だよね?」に対して、肯定もするし否定もするセリフ選び。『方位自身』の公開の流れと歌詞。好きなシーンはいっぱいある。光の当て方で、このシーンは誰に感情を乗せてほしいかが分かる演出も良い。
そして何より、アイドルという職業を貶めないのも誠実。主人公と同じように高山一実にとって良い思い出になっていますように。
最後まで観てよかった
何も前知識なく見始めて、主人公の言動に少し疑問を抱き始めた。え、性格悪い…?ちょっと自分中心すぎないかと。
4人がアイドルになって売れ始めた頃あたりの4人の心情がそれぞれリアルで観てるのが辛くなり、視聴ギブアップかもと思いながらネタバレレビューを見てなんとか最期まで視聴できた。特にくるみちゃんの精神崩壊シーンが見てて本当に辛くなった。。
最後まで観て思ったのは、ギブアップしなくてよかった。
ラストは4人と1人、みんな生き生きしていたし、明るい未来でよかった。
作画はなんだか不安になる作画だったけど、それがまた図らずも東の精神の未熟さとマッチして一つの作品になっている気がしてしまった。
意外性も鮮烈さもない
友人から勧められて見たのですが、正直に言っておもしろくなかったです。
話の構成としては起承転結構成になっており、
起:東がアイドルユニットを組むための仲間を集める
承:ボランティア活動等を通し有名になりアイドル活動が軌道に乗る
転:メンバーの恋愛沙汰を皮切りに亀裂を生み、解散
結:仲直り
エピローグ:10年後にそれぞれ好きなことをしていながらも仲は良い描写
のようになっているのですが、終始主人公視点でしか描かれないこと、微妙な掛け違いがありつつも先に進んでいく流れから、開始20分ほどの段階でラストまでの結末が容易に想像できて、本当にその通りになったので面白みに欠けるといった印象でした。
恋愛沙汰が発覚した際の「友達にならなければよかった」という発言は強烈ではありますが、その後すぐに「言いすぎてごめん」と謝罪するシーンがあり、実際にはそれは何の解決にもなっていないのですが、本人の中では解消したことになってるのが、鬱屈や蓄積の浅さ、鮮烈さに欠ける要因の1つかと思います。
そこで謝らず、なんなら取っ組み合いの喧嘩でもして、ハッキリと喧嘩別れでもしておけば仲直りするためのハードルも高くなり、仲直りできた時のカタルシスも大きくなるものを、安易に解消してしまうのがとてもチープに感じました。
というか正義の違いでしかないんだからそもそも謝る理由がないんですよ、、、
仲直りした理由もCD販売という大人の力によるものなので、フィクションにおける奇跡というのはもっと鮮烈でありえないことでなければならないかと思います。
まあ、こういった印象の薄さ、浅さこそが総じて主人公、東がずっとオーディションに受からなかった理由である、と1周回った見方をすることもできるのですが。
星0.5でもよかったのですが、わたしが羊宮妃那のファンなので彼女の声が聞けた分のプラスで星1にします
不等辺四辺形
愚かな内面をキッチリとストレートに
アイドル好きにはたまらない
映画だとどうしても細かい部分は削られてしまってそこは仕方ないんだけど、そういう意味では原作の方が好きです。
でもアイドルもののお話なのでアニメ映像化して見られるのはとてもよかったです。
そういう意味ではアイドル好きにはいい映画だと思います。
アイドルにはなりたいか問う?
主人公東ゆうがちょっと変則技でアイドルになろうって話。話題性はそれをアイドルになった高山一実さんが小説にしたのをアニメ化なので、こんな話でも映画にしたのを考えながら見せられた。
主人公東ゆうはアイドルになるための条件を作ってクリアして芸能界へ。それに巻き込まれた3人の少女の辛い話。主人公本人は良くても、その為になりたい訳でない仲間になる3人は酷く辛い経験をする。それが数年後に良い経験をしたねでちゃんちゃんするけど、カワイイだけで打算的に友達になった仲間が、よくもまぁアイドル辞めても仲間でいてくれる様なちゃんちゃん話に最後落ち着くのはないなぁ。
「彼氏がいるなら友達にならなかった(一緒にアイドルに誘わなかった)」なんてセリフは主人公東ゆうの酷い仕打ちの一つで、聞かされるこちらはアイドルなんかこんなもんだと現実をつきつけられてアイドルなんかなるなよという反面教師を小説にしたのか?
とにかくこんな話を映画で観なくて配信になってから観てで良かった。
光るものってなんであんなに魅力的なんだろう
アイドルデビューを目指す青春ものでこういう流れはアニメでもよくあるけれど、この映画で印象深かったのが中盤の挫折シーン
コレが本当に重くて見ていて辛くなったけれど物語の終盤の6年後?に再開
東ちづるは挫折から立ち直りアイドルデビューするのは芯が強いなと感じるけれど、ほかのアイドルにならなかった子たちもそれぞれ幸せになり「あの時は辛かったけれど、いい思い出だったよね」とその時の歌がエンディング曲になるのは上手い流れだなと感じた。
若い子にもかつて夢を追いかけていた大人たちにもお勧めできる映画だなと思った
主人公に共感出来ないが、ギリ理解は出来る……
Amazonプライムビデオで視聴
公開当時から、主人公へのヘイトの噂だけは回ってきていた本作。
その噂の意図が本当に分かる。
とにかく終盤までの主人公の行動が共感出来ない。
夢に破れた中、何とかアイドルになる方法を模索した結果、
他の人に引き上げて貰うという考えに至った事までは、何となく理解できる。
しかし、彼女は「アイドル」=「最高に価値のあるもの」という価値観を通すあまり、
仲間を蔑ろにしてしまう。
そもそも、そこまで計画性を持っていたのなら、メンタルケアまで見据えて行動しそうなものなのに……。
結果的に、
離別→転落→改心→和解→それぞれの選んだ道
と言う大団円を迎える為、鑑賞後の後味は悪い訳ではない。
個人的には主人公がメンタルケアや仕事関係の調整をしても、間に合わなかったり、周りが潰れてしまうような流れ(主人公に悪意が無いような演出)にしてあげれば、もう少し感情に寄り添えたような気がする。
……まぁ、こちらの方に舵を切ってしまうと、他の3人へのヘイト感情が上がってしまうかも知れないので、バランス的には振り切っていた形の本作はある意味正解かも知れない。
また、アイドルのキラキラした感じを押し出すのではなく、ただ懸命に仲間と活動する事に焦点を当てている演出は素晴らしいと思った。
映像も全体的に美しく、CloverWorksさんの良い仕事を感じます。
声優陣の演技は、かなり良いです。
特に、大河くるみ役の羊宮妃那さんの壊れた演技は凄かったです。
JO1の木全翔也さんは、最初若干違和感ありますが、ギリギリセーフくらい。
ゲスト声優とも言える、じじい3人衆
・内村光良・西野七瀬・高山一実(原作者)
は、ハッキリ言ってレベルが低めです。若干物語のノイズにはなるかと思います。
ただ、これは先に知った上で見るのであれば、面白ポイント扱いにはなるかと思います。
結論の感想としては、主人公に対して、
「でもあいつ、やばいやつだったなぁ……」と思ってしまうのか、
「それぞれの道で輝いていて良かったなぁ」と思うのかによって、
感想が分かれそうな映画かと思った。
ちなみに自分は前者の感想である。
それでも観て損は感じない映画だとは思えたので、良かったと思う。
意外に良かった
解説に、「アイドルグループ「乃木坂46」の1期生として活躍した高山一実が、現役アイドル時代の2016年に雑誌「ダ・ヴィンチ」で連載した長編小説「トラペジウム」をアニメーション映画化」とあり、なるほど~と思った。
そもそもこの作品を見てしまったのをすぐに後悔したが、次第に面白さを感じた。
背景が新海監督のように細部にまでこだわった作りなのに対し、人物画は平面的で粗さが目立つ。
この粗さは、おぼろげな夢を見始める年代層を表現しているのかなと思ったが、アイドルだった作家自身の体験談だった。
作家がトラペジウムという言葉をどこで知ったのか?
そこに重ねた東西南北という仮のグループ名と自分たち自身の輝く姿 夢
オリオン星雲の中心にある4つの星の集まりを指す天文学用語
アイドルになるための計画書
アイドルになりたいと思う強い願い
これが原動力であり強い牽引力だった。
ところがみんながみんな同じ思いではなく、次第に自分自身を殺しながら生活していることに気づいてゆく。
それ自体はどんなものにもありがちなことだが、アイドルのそれは他よりも圧倒的な束縛との犠牲の上に成り立つのだろう。
理想と現実のギャップ
浮かび始めた疑問と崩壊する関係性
そんな青春の1ページは決してネガティブなんかじゃなく、自分を成長させてくれたこと。
大人になってまたみんなで集まったこと。
それぞれの人生
最後にあった「10年後の自分を仮装で表現した」ときの写真
当時の自分
諦めきれない思いだけは間違いなかったことを確認したことで再出発できた。
星の輝きとその中のトラペジウムを目指したこと。
それをアイドル スターとして夢見たこと
理想と現実 夢と儚さ
崩壊したアイドルグループだったが、そこに刻み込んだ確かな足跡
人生で、夢を形に変えることができれば、こんなに素晴らしいことはない。
たとえ短命になったとしても、そこには確かに光があったのだろう。
そんな彼女たちの青春に拍手
アイドル誕生前夜
アイドルを目指すヒロイン・アニメ。今やすっかり定番のジャンル。
担当声優たちが作中のキャラやグループのまま“アイドル”として活躍し、楽曲も大ヒット。パフォーマンスも本格的。
仲間が集まり、練習、友情、挫折、成長を経て、念願のデビュー…話もTHE王道。
キャラデザインも可愛く、皆キラキラして、ピュア。
夢=アイドルを目指して。
本作もそんな王道系でありつつ、“陰”が。
元乃木坂46の高山一実が現役中に発表した小説が原作。
光も陰も含めて、これがアイドルのリアルか…!?
アイドルを目指す高校生・東ゆう。
大抵アイドル・アニメの主人公はピュアだが、本作のゆうはちとヤな性格がちらつく。
アイドルになる為、とにかくひたすら奔走。仲間集めに、南へ、西へ、北へ。
その頑張りようは見上げたもの。
が、仲間集めも注目も存在アピールや売り出しも、計画ノート通りに。ボランティア活動も善意からではなく、後々プラスになる打算としてとか、計算高さにちとドン引き…。
嫌な事や自分の思い通りにならない事があると、舌打ちや毒づき。
メンバーで恋愛スキャンダル。冷たく突き放す。
アイドルになる事やアイドルになってもアイドルとして居続ける事が絶対。
その為には何を切り捨ててもいい。嫌われたっていい。
アイドルはそれ以上のものを得、皆から愛される。
友情だって。
いや、ゆうにとっては“友達”ではなく、アイドルとしての“仲間”でしかないのだ。…その大切さに気付くまでは。
お嬢様風の華鳥蘭子。
ロボット・コンテストで注目された大河くるみ。
小学校時代の同級生、亀井美嘉。
ゆうの目的の一つ。東西南北から可愛い子を集める。
自分が“東”で、各方角の高校に足を運んで見つけたメンバー。
“南”蘭子はキャラ個性、“西”くるみは可愛さ、“北”美嘉はルックス。ゆうの目利きやプロデュース能力もまんざらではない。
その甲斐あってTV取材で注目され、そこからはトントン拍子に。
事務所に入り、“東西南北”としてアイドル・デビュー。曲も出し、一躍人気者に。
夢ではない。本当に私たちはアイドルになったんだ。この後の事も…。
目が回る忙しさ。学業にアイドル活動に。
ゆうはアイドル活動に熱心だが、他の3人は…。
ゆうみたいに絶対にアイドルになりたかった訳じゃない。ゆうに誘われ、流れに身を任せる内に…。
それでも最初は楽しかった。が、忙しくなるにつれ…。
自分が自分じゃなくなっていく。
美嘉は恋愛スキャンダル。元々目立つ事が苦手だったくるみは精神不安定に。
せっかくここまで来たのに。足を引っ張るメンバーにゆうは叱咤。
アイドルは世界で一番の仕事。幸せな事。
だが、その声は届かなかった。皆の事より自分の事だけ。
あっという間に人気アイドルになった東西南北はあっという間に活動停止。ゆう以外は事務所も退所。
終わった。アイドルも夢も…。
あの日々は夢だったの…?
私はアイドルだったの…? 私たちはアイドルだったの…?
一人になって思い出す事はアイドルへの未練ではなく、メンバーの事。
仲違いした今だけど、一緒に練習して、遊んで、仕事して、笑って楽しんだ。
“メンバー”や“仲間”じゃなかった。“友達”だった。
ある時美嘉と再会。わだかまりナシの笑顔の再会だった。
小学校の頃いじめられていた美嘉。それを助けてくれたのがゆう。その時から一番のファンだったんだよ。
皆でよく練習した高台で皆と再会。東西南北の歌も収められたアルバムがリリースされ、皆それを手にここに集った。
自分勝手だった事を謝るゆう。
東西南北の再結成や復帰は無い。皆、それぞれの道を。再会は新たなスタート。
皆でアイドルを目指す王道系と思いきや、
アイドルになるまでと言うより、アイドルになってから。アイドルである事の辛辣さ。
ゆうは再びアイドルの道を。人気アイドルへ。
プライベートでは4人でよく会う。
人気アイドルがブレイク前、知る人ぞ知る活躍をしていた。短命に終わったアイドルグループがあった。
アイドル誕生前夜。
元人気アイドルだからこそ描ける、フィクションでノンフィクション。
これこそがフィクションの神髄・映像作品の神髄
物語はそれを観るひとのためである必要がある。勿論両論あるだろうが、少なくとも私はそう思う。娯楽作品である以上原則的にそれは鑑賞者の癒しのためのツールであるという側面が必要であるし、しかしそれとは別に、鑑賞後からやってくる現実の世界を生きる上での助けとなる教訓と励ましと、そして背中を押す情報である必要もあるだろう。そしてなによりこの作品は観ていて“ワクワク”した。そしてそれは、非日常と現実の交差によってもたらされる。異物がすぐそばにあるという緊迫感と、一方でリアリティのエンタメ化が効果的に実現されている。
そしてなにより、今作は“映画”している。原作は一人称視点の小説である。主人公の主観にそのまま没入できるものであったが、今作では一歩引いた、客観的な物でありつつも、没入感を保ち、リアルタイムをそのままに感じられる。原作では比較的長めなシーンも全体として多少のオミット・変更はあるが、そのディティールが客観的な時間の中で見事に完結する。ここでも主観と、客観的な映像の両輪で現実性とフィクション性が交差している。
また今作は映像制作という集団活動についての示唆にも富んでいる。映画は単独で創られるものではない。映画は大規模になればなるほど、一人の作家が制御できるキャパシティを超える。無論小説だって一人執筆されるものではないが。今作は原作が、あるいは作家が持っていた主観的な感覚も維持しつつ、普遍性を持った映像作品に昇華できている。集団が、原作について、あるいは作家の意図や感性について考えに考え抜いたが故に、ある種作家の単独での作業以上に作品がブラッシュアップされる。これは別に所謂原作付きに限ったことではなく、作家を持つ全ての映像作品に対しても同じ理屈が通るだろう。
最後に内容の話をしよう。この話には希望が詰まっている。自分にとって一番近い現実は他でもない自分であり、それを受容し、胸を張って肯定できる。誰か・何かではなく自分であることに誇りを持てるつくりは、まさに生きる希望をみせてくれる。それをもたらす要因はやはり程よいバランスの現実と虚構のつり合いで成り立っていることは言うまでもない。
アイドルものって難しいよね。
CloverWorks制作やったし、乃木坂46の人が原作ということでどんなものかと思って、内容全く知らずに見てみた。冒頭でアイドルになりたい系って分かって、個人的にアイドル作品があんまり面白いと思ったことがないから大丈夫かなって少し心配になっあ。ちなみに唯一「神クズアイドル」という作品だけ面白いと思った!(それもギャグ要素強めで笑えたからやけど)。
東西南北のメンバーの中で主人公の性格が、難ありって感じで、徐々に自己中になってメンバーにキツく当たって行く感じが苦しかった。(別の目線からいうと夢に向かって全力!って言う側面もあってそーゆーのはいいのだが、、、)起承転結はあった。
くるみさんのcv羊宮さんが合ってない気がした、、、。
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