ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
全169件中、81~100件目を表示
それ、タモリな
こんなにも深い親の愛情。でも、リアルタイムでは気づかない
ラストシーンは、この映画を見事に象徴していて、泣ける。場面設定、カット割り、音の効果もうまいし、吉沢亮、忍足亜希子の演技も最高。
映画全体として吉沢亮の手話はネイティブのようで、違和感がなく、感心した。
ふたつの世界とは、「聞こえる世界」と「聞こえない世界」なのだが、「東京」と「石巻」というふたつの世界で成長していく主人公を描いたようにも思える。「思春期、親に反発した世界」と「愛情を感じている世界」のふたつ、と解釈することもできそう。
母親の無私の愛情がとても大きく、強い。主人公に愛情をそそぐ場面がたくさん出てくる。心から主人公のことを思って最善をつくしていた。
だからこそ、予告編にも出てくる「おまえのかあちゃん、しゃべり方、変じゃねえ?」という場面や「こんな家に生まれて来たくなかった!」という場面は、心が締めつけられて、悲しい。
そして後日、愛情をそそがれた場面を思い出して、その時の母親の気持ちを理解した時の、強い感謝の念と後悔の念に共感する。
父親の方も、主人公のことを信頼して「大は大丈夫」と応えたり、石巻に戻って来ないで東京へ行けと勧めたり、愛情が深い。映画「リトル・ダンサー」では、父親が息子の将来のためを思って自己犠牲の行動をとるのだが、その場面を思い出した。
主人公が挫折したり、つらいことが多く描かれる。主人公も観ている人も嬉しくなるような場面は少なく、映画の展開として盛り上がりに欠けるかもしれない。でも、実際には、この主人公は映画の原作になるくらいの本を書いて、成功しているライターである。ライターになる努力と成功をもう少しポジティブに描いても良かったかもしれない。
成長記録であってエンタメではない
よく集めましたね吉沢亮似の子役
まるで、出世魚のブリとかスズキのよう。産まれてから中3役の吉沢につなぐまで4人。
そして、吉沢本人は中3から30代を。最後の方は武田真治風のメイクでした。
宮城県塩竈が実家。
親子三代が暮らす漁港の町。
おじいちゃん(蛇の目のヤス)役はでんでん。
おばあちゃん役が烏丸せつこ。
お食い初めの支度風景。
でんでんがアワビ煮を口元に持っていくと火がついたように泣き出す赤ちゃん。
「なげーなげー、男は声とポコチンのデカさできまんだどー」
CODAの男の子(五十嵐大)はひとりっ子。
聾者の両親が子供を育てるのはとても大変。おじいちゃん、おばあちゃんが元気なうちはサポートできますが・・・
題名はこちらも、Both Sides Now(ジョニミッチェル)的 。
コーダ あいのうたでは描かれない細かい部分も多くて、より家族の物語でした。
補完しあえる映画。
漁港の市場での買い物シーン。オマール海老ではなくてワタリガニ。
バークレー音楽大学をめざしたりしないので、その分話に起伏はあまりありませんが、より身近に感じることができてよかったです。
高校を卒業してから実家と東京を往復しながらパチンコ店のアルバイトから雑誌ライターになった五十嵐大さんの半生の手記を元にした映画でした。原作を読みたくなりました。幻冬社刊。
母親役の忍足亜希子さんと父親(船体整備士)役の今井彰人さん、手話サークルの聾者の役者さんたちもよかった。とくに、忍足亜希子さんは生んだ時から30年以上の母親役を健気にあかるく演じていらっしゃっていて、とても綺麗でステキだった。
車内で手話を交わすシーンとか、息子に悪態つかれて悲しそうにするシーンとか。
聾者の夫婦って辛辣な言葉で喧嘩したりしない気がするし、自分たちだけで手話で冷静に話せて、普通の夫婦より仲がいい気がする。コーダあいのうたのマリー・マトリンも明るかったし、羨ましかった。
夕方に観たらやたら腹が減った。
家族で食事する場面やパフェやカレーのせいもあると思うけど、食欲が出る映画はいい映画なんじゃない?
全くの余談だが、京成線車内で吉沢亮と目があったとウチのオババ姫が妙にコーフンして話しておったのを思い出した。たぶん他人のそら似だよと言うと、京成線沿線に住んでいるし、京成のイメージキャラクターもやっていたから間違いない❗と自信満々に畳み込んできた。なんでそんなに意地張るのかね。
【追記】
でんでんお目当てで鑑賞した。やっぱりさすが😎
母親に甘えて反抗した若い日々。 今のうちに感謝の想いを伝えよう。後悔しないように。
全てをかけて育ててくれた毎日への感謝を伝えられなかったこと。
それどころかうるさがって歯向かっていたことへの後悔。
きっと誰にもあることを、思い出させてくれる。
間に合ううちに、ひとりでも多くの子供たちに、
母への感謝を伝えるきっかけになれば、
この映画はとてつもなく価値がある!
聴覚障がい者の両親を持つ青年の生活のリアルを描く。
両親役の俳優がともに実際の聴覚障がい者であるため、とても自然に観れる。
しかし、そこに描かれるのは特別なことばかりでなく、普通の母と子の想いと変わらない。
何もわからないまでも、子供がやりたいことができるように思ってくれている。
ちゃんと食べているか、常に気にしてくれる。
とてもシンプルな母親の愛と、その感謝を伝えられていない後悔が詰まっていて、泣けた。
日本版コーダ?音が少ないのが絶妙に良い
24時間テレビのドラマみたいなクオリティ
良い関係性を持った家族だなぁ
母の背中に涙。
耳が聞こえない両親を持つ青年の成長物語。
原作は未読。
描かれていた日常の差別的な事はほんの一部でしょうし、完全に理解はできないかもしれないけど、映画になったことは意義あることでしょう。
ママに抱きついていたかわいい子が、中高生になり母にひどい言葉を浴びせるけど、当事者にしかわからない苦悩があるけど。
思春期にはどこのご家庭も、男の子ならあんな感じですよと、お母さんに声をかけたくなりました。
手話サークルの仲間に「やれることを取り上げないで」と言われてその世界を理解したように、もっと接して理解できたらいい。ふたつの世界はひとつにはならないけど、より近づけたらいいなと思いました。
涙ジワジワでした。
吉沢亮、この役うまかったです。現状に悩む姿だけでなく、髪長めの時やパチンコ屋店員の時の投げやりな感じとか、就活してもこれじゃ面接受からない感じとか。
そして子役の子達が、吉沢君に似た顔立ちで違和感がなくて良かったです。
忍足亜紀子さんは知っていましたが、演技は初めて拝見。…と思ったら、レビュアー様のレビュー見ていて、「黄泉がえり」に出てたの判明。見たけど覚えてないです。もっと色々出演されてる作品見たいです。
烏丸せつこさんも久々に拝見しました。クレジット見るまでわからなかったです。
ぼくが生きてる、ふたつのせかい
静かな映画
聾者の両親のもとに生まれた主人公を中心に、
聾者とその家族の葛藤、愛情を描く映画
「聞こえない」親のもとに生まれた「聞こえる」こどもを、
『コーダ(Children of Deaf Adults)』と称するんですね。
初めて知りました。
主人公の出生から始まり、幼少期・小学校・中学校と進みます。
いろいろと嫌な思いをしたり、同情されたり…
自分の失敗を親のせいにしてみたりと、様々な葛藤がある。
しかも、同居の祖父は刺青しょった博打うちだし、祖母は宗教に傾倒しているし…
なかなかの家庭環境ですね。
私はエンパスの気があるので、ちょっと観ていて辛かった。
そんな中でも、聾者の両親は穏やかで誠実なタイプで、自己肯定感の強い、明るい人たち。
これが救いでしたね。
主人公も、いろいろと葛藤はありつつも愛情深くて、良い人。
静かな明るさが好印象でした。
映画としては、派手なことは何も起きなくて、
静かに静かにエピソードが紡がれていくもの。
エンタメとしてのおもしろさは無いかも知れないけど、
エピソードの向こうに透けて見えるものに感じ入りました。
母と子の暖かい関係
2022年の米国アカデミー賞作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」に続く”コーダもの”(そんなジャンルがあるのか知らんけど)でした。 コーダ=CODAは、Child of Deaf Adultsの頭文字を取った言葉で、直訳すれば”聾唖者の親を持つ子供”という意味であり、本作でもこの言葉そのものもが出て来てました。「コーダ あいのうた」も本作も、聾啞の親と耳が聞こえる子供の親子関係にスポットを当てた良作でしたが、創作の物語でどちらかと言えばコメディ要素が強かった「コーダ あいのうた」に比べると、本作は原作者にして主人公でもあった五十嵐大(吉沢亮)のエッセイを元に映画化されていることや、舞台が日本であることもあって、非常に身近なお話に感じられました。
そして主役の大が生まれたところから始まり、大人になるまでを描くことで、特に母親である明子(忍足亜希子)に対する大の感情や二人の関係性の変遷が、非常に分かりやすく表現されていて、コーダの偽らざる想いが十二分に伝わってきました。
さらに大が故郷の宮城から東京に出て来て働き始めた以降の展開も面白く、第三者との関係性の中で両親、特に一度は反発した母親に対する想いが再び優しい方向に向いた時、こちらも自分の母親を思い出して涙腺が緩んでしまいました🥲
俳優陣は、主人公・大を演じた吉沢亮が、表情だけでなく後ろ姿を含めて実に繊細な感情表現をしていて素晴らしかったです。また、母親役の忍足亜希子はじめ、「コーダ あいのうた」同様に聾の役は聾の俳優が務めており、本作の見所とも言うべきものでした。
大が勤めることになった雑誌編集長のユースケ・サンタマリアも、怪しげでいながら魅力的な雰囲気で良かったです。
一点予想と違ったのが、東日本大震災の話が出てこなかったこと。原作者の五十嵐大は1983年生まれとのこと。主人公の大の生年は作中明示されていなかったものの、子供時代にファミコンでスーパーマリオに夢中になっていることからも、年代にブレはないのでしょう。従って、宮城県の海辺の街を舞台にした作品だったので、確実に震災の話が盛り込まれるだろうと思っていたのですが、実際はそうではありませんでした。
震災の話を入れるとそちらがメインになってしまいがちなので、それを避けたかったのか、全く当初から念頭にすらなかったのかは分かりませんが、そういう物語になっていたらどうだったのだろうと夢想しながら劇場を後にしました。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
ドラマ『デフ・ヴォイス』と共通したところ
人気俳優が主人公のコーダを演じ、ろう当事者が親や友人として多数出演するとともに、手話表現の監修や演出まで関わって丁寧に制作され、母親役として忍足亜希子氏が抜擢されている点では、NHKドラマ『デフ・ヴォイス』と共通している。実話でもそうなのかもしれないけれど、主人公の生き方がはっきりせず、祖父母の人物設定が冗長で、また母親に比べて父親の出番が少なく感じられた。子役が赤ん坊から細かく区切られ、小学生時代は、『君の手がささやいている』のエピソードも採り入れ、演技場面も多かったから、中学生・高校生時代も、相応の年代の子役の演技をみたかった気がする。ろう当事者との絡みの場面は、ドラマ『サイレント』よりも薄いけれども、自己主張の強いろう者像も随所にみられたことは収穫であった。阿武隈急行にも乗りに行きたい。
盛り上がる部分が欲しかった
誰もがいくつかの世界を生きている。
五十嵐大さんによって出版された自叙伝の実写化で耳の聞こえない両親の元に生まれた息子の成長を描く物語。両親を実際に聾者である俳優が演じている。
ごく当然だったことが、成長と共に違和感に変わってゆく。お母さんの通訳を誉められて誇らしかったはずなのに、いつの間にか手話を恥ずかしいと感じてしまう。そんな少年が成長しやがて東京へ旅立つ。そして都会の中にも両親と同じように耳の聞こえない人達がいて、それぞれが地に足をつけて生活していることを知る。
各世代の子役がしっかり吉沢亮に似ていて感心した。欲を言えば中学生までは子役でやってほしかったかな。さすがに吉沢亮の中学生はちょっと無理があった。
両親との確執ばかり描いたりせず、あくまで大の成長の過程の中での両親との関わり方を描いていて、そこがとても良かった。この世界の全ての家族と同じように。出版社のシーンも面白かった。
全169件中、81~100件目を表示