ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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やはり最高の作品でした。
昨年自分の中では1番の作品。Netflixで観れるようになったのでもう一度鑑賞。
映画館では広島の八丁座で観たのですが、ほぼ満席。その中の三分の一はろう者の方達がいた感じで、終わった後に皆んな手話で会話し合ってました。
原作も読みましたがこれも秀逸。ぜひ日本の全ての人に字幕で観てもらいたい作品です。
なかなか派手な作品に出演がちの吉沢亮ですが、素晴らしかったですね。バンパイヤは少し延期になってますが、「国宝」はとても楽しみです。
耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、ごく普通の家庭として過...
耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、ごく普通の家庭として過ごしていたが
小学生頃から、何気ない友達の一言や、周囲の目線で、ふつうではないんじゃないかと思うようになる。それから、母には反抗的になってしまう、一度にたくさんのひとと関わるようになって比較対象がたくさんできてしまう時期なので仕方ないことはあるなと思った。
ずっと、長い間、話すことを避けてきた母親に
「みんなが周りにいる中、手話で話してくれてうれしかった。」といわれて
いままで、ひどい扱いをしてきてしまった、母親の気持ちが強く伝わってきたのかもしれない。むせび泣く吉沢亮の芝居が胸に迫るものがあった
耳が聞こえなくても特別ではない
私自身ろう者の人と出会ったことはないけど、特別扱いするのはやめようと思った。
エンドロールは、母親の手紙が英語で歌われていて、そんなかんじで、言語が違うだけで何ら変わらないと伝えたいのかなと思った。英語をしゃべる人と会話したいときは英語を学ぶのと同じ
中学生になって、突然吉沢亮になって自転車を漕いでくるのが映った瞬間ちょっとおもしろかった、でも意外と中学でいけてたね。
出演者みんな演技が自然でよかった。
家に遊びに来た男の子が、大の母を不思議そうに見る表情がじわじわきたし、
花壇の犯人だと決めつけてきた女性は、絶妙にむかついた(笑)
この映画は全くのフィクションですね。
・「あしたば」ぐらい分かる!
・第2成長期は仕方なくとも、こんな息子いないだろ!
・両親よりもTATTOOな爺さんや新興宗教の婆さんの方が問題だろうが。
・TATTOO爺さんがいる家族の孫を近所の人が差別する訳がない。
・塾まで通って、高校落第して、親にアタルなんて、問題外のウマシカ息子。
・東京で働く意味の無い仕事をしている。
・障害を持った者はもっと狡猾に生活をする術を持っている。勿論、その息子となれば。
・編集は経験が無いと出来ないんじゃない。
・ろうあ者と言って同情はされたくないだろうが、差別されたくないって事でしよ。
・散文的なわけわからん話だね。この主人公のやっている編集社ってなんなんだろう。意味不明な雑誌。
・両親がろうあ者だから「おろせ」はなかろう!子供が欲しくて妊娠したんだから、そんな事言うジジイ、ババアに問題がある。
・爺さんがTATTOOあるだけで編集者になれる。実に羨ましい。
障害者の話だから、まったく評価しない訳には行かない。同情ではない。
ろうあ者がわかるように日本映画なのに字幕を入れるのは良いが、視覚障害者にはまったくわからない映画だった。
まぁ、最後は分かった。でも、そうなの?実話なんでしょ?但し、原作者のご両親はお元気なので、ご安心を。
追記
2011年にブログって流行っていたかなぁ。また、仕事探す時にネット検索したかなぁ。
失礼しました。2005年にブログって流行語になっているだね。知らなかった。
所で、ブログって「何」?
コーダの人生を丁寧にリアルに描く
「そこのみにて光輝く」の呉美保監督作品。
とても丁寧で、リアルに描かれている。
コーダ(両親がろうで子供は健常者)の息子と母(ろう)の関係を生まれてから、20代後半までを描く。
とても面白かったので、色々と調べたりインタビュー動画を見た。
監督は、リアルさの追求を大前提で撮ったとか。だから幼少期から子役や小学生の子役たちは主演の吉沢亮によく似ていることを前提で選んだとか。全く違和感がない。そんなところも気を遣ったとのこと。
今回は、両親役は本当のろうの役者を使っていて、他に登場するろうの人は皆さん本当のろうの人を使っている。
手話の脚本もあり、手話の演出の人も常時立ち会って撮影した。
主人公の現在までの半生をその時代時代で点描していくのがとても滑らかで見入ってしまう。
でラスト。それまで、劇的効果を排していたけど(音楽なし)、ここで映画的な演出をする。静かながら、ドンとくる演出。
じんわりと泣けてくる。
音楽が全くない(エンドクレジットにはテーマ音楽が流れるがそれまではない)のは、ろうの人が見ても健常者と同じように楽しめるようにという考えからとか。
ドキュメンタリー的では全くなく、しっかり劇映画だけど現実を切り取ったようなリアルな世界がしっかり息づいている。
役者もみんないい。祖母役の烏丸せつこがリアル。いい役者になりました。
あと、母親役の忍足亜希子。彼女が声を出すのですが、それだけで泣けてくる。ろうの人は言葉にならないような声を出して手話をするのがリアルらしいのです。
呉美保は、凄い監督だ。
無償の愛
CODA、他の映画でメジャーになったから、少しは一般の人にも浸透してはいるんだろうけど。あのとき少し手話やろうかなと思ったが、時間を捻出して学ぶってなかなかどうしてできない。そして、私自身は聾者との接点を得ることのないまま、時は流れる。
お母さん役の忍足さん、もうアラフィフなのか。実生活では聴者の俳優さんと家庭を築いている。出会いはゲスト出演した舞台で、旦那さんはそこから手話を学び始めたとか。興味を持つ、もっとコミュニケーションをとりたい、っていうモチベーションの源泉は大事だよなぁ。その夫の兄が横浜ベイスターズの三浦大輔とか、一生懸命に努力ができるって、血筋や環境によるところが大いにあるな、と思った。
CODAもまた環境によって規定されるところが大きい。本作のように、20世紀の田舎(宮城県の沿岸地域)ではまだ周囲の理解も乏しく、経済的にも決して恵まれているとはいえない状況下で思春期を迎え。聾者の母を疎ましく思ったり、当たってしまうことがあるのも、未成熟な若者としては当然なのかな、と思う。お母さんの気持ちを思うと、凄く心が苦しくなるけれど、聾者・聴者に関わらず、多くの親が子の反発を儀礼として通過していくんだよな。振り返れば自分自身も親とぶつかっていたなと思い当たり、懺悔の念にかられる。
何も見出せないまま成人し、上京して。たまたま縁のあった居場所を見つけ働いて。何とか人生を軌道に乗せていく。人はそれぞれにあった居場所さえ見つけられれば、生きていくことができるし、何がしたいか分からなくても、大抵は何とかなるのかなと思う。そして、反発していた家族との間で培った手話が、東京での新たな絆を育んでいく。経験してきたことが、どこでどうプラスに働くかって分からないもんだよな。
時を経て、再び母と向き合い。母は変わらず愛情を注いでくれている。こんな母(両親)ばかりではないのは承知しているが、自身の親から受けた愛情について改めて思いを致した。
母子の情愛のベタつきを巧く回避。
心に響く作品。
心に響くいい映画だった。
「ぼくが生きてる、ふたつの世界」という言葉は、この作品にぴったりくるタイトルだなと、観終わってしみじみ思う。
でもそれを、「ろう者と聴者」とか、「手話と音声言語」とか、観ながら頭に浮かんだ「偏見や思い込み」とか、「悪意の有無」とか、「ディスコミュニケーション」だとか、そうした言葉で言語化しても、表面的で陳腐なレビューしか書けない予感しかない。
なので、今回は個人的な体験と重ねて、2つのことについてだけ、記録に残そうと思う。
<ここから少し内容に触れます>
①大が、手話サークルで知り合った友人プラスその友達たちと飲む場面。
大が、代表して飲み物やつまみを頼んだことに対し、しばらくして友人は「さっきは、ありがとう。でも、私たちのできることを取らないで」とトイレのそばで話しかけてくる。
このセリフがとても共感できた。
私自身、まだ、なって一年も過ぎないが、呼吸器障害を抱え、たまに車椅子ユーザーでもある。
なので、自分に向けられた「思いやりや善意による行動」は、素直にありがとうという気持ちだ。
でも、積極的に周囲の人々に思いやりや善意の行使を求めたり、すがったりしたいわけではないこともわかってほしい。
私が「できることをできる方法でやってる」ことを認めて、見守ってもらえたらと思う。
②迷惑をかけたり冷淡な振る舞いをしてきたりしたことへの謝罪や、はるか昔の大学生の頃、友人と早く遊びたいが故に「忙しいから泊まらずに帰る」と言った私に「帰ってご飯を作るのは大変だろうから」と弁当を持たせてくれたことなどへの感謝。7年前に母が急逝してしまった今となっては、もう伝えることは叶わない。そのことを一番後悔したのは、今日この映画を観終わった時だったかもしれない。
吉沢亮と忍足亜希子、2人のやり取りに泣けて仕方がなかった。
コーダの話し
これはもっとたくさんの人にみてほしい作品。
⚠️私自身、配慮が足りず偏見のある書き方をしている場合があります。申し訳ございません。
冒頭のシーン。音が聞こえない。この始まりがまず素晴らしいと思いました。
私は普段ポップコーンを食べながら映画を観ますが、あの静けさはほぼ初。でもまんまとこのシーンで映画の世界に引き込まれた気がします。
冒頭でぐっと引き込まれてから、吉沢亮くんの芝居に最後までやられました。
親は悪くないけど、結局は産んでしまったから子供が不幸になってしまう。私の想像以上の苦しさを感じる作品でした。でも、それでも親は悪くないんです。
そこがわかるまでずっと親を恨み続けてしまうというか、親のせいにしてしまう大にも共感できてしまいました。
どの世界でも人のせいにしていたら成長は一生できないんです。それを知るまで成功なんてしないんです。失敗だらけなんです。でも失敗も成功もあるから成長するんです。
私の今までの人生を少し重ねてしまう部分もありました。
そして。最後も刺さってまたもや涙。
ぜひ皆さんに観ていただきたいし、2024年のTOP5に入る作品でした!
Diversity Inclusion、Unconscious Bias
吉沢亮君が世間を賑わす前の暮れに都内最後の上映となる映画館で鑑賞。
呉美保監督の9年ぶりの作品。淡々と場面が流れていく。
吉沢亮は東京リベンジャーズ、キングダム、最近観たのは大河ドラマの青天を衝けだが、それらの作品では悪くはないのだけれど、等身大以上の役を演じてる感があり、ちょっと白々しい印象を受けていた。それが、今回はすっと入ってきた。ああ、吉沢亮はこれが素なんじゃないか。そう思わせるぐらいの自然さだった。
印象的だったのは、健常者の吉沢亮がろうの人に親切心から手助けをした時に言われた、「ありがとう、でも私達から取り上げないで」と言う言葉。ハッとした。できる事が限られている人達は、できる事を大切にしたいのだ。余計に気遣ってほしくないのだ。普通に接してほしいのだ。多くの人達はできる事が多い側の人間だ。だから、たくさんあるものから優先度をつけて捨てていく。我々の世界は引き算だ。でも彼らの世界は足し算なのだ。できる事が限られている人達からできる事を取り上げてしまったら、引いてしまったら、ゼロに近づき、その人は自分の存在価値を希薄に感じてしまうのかも知れない。親切という名の傲慢。本当の優しさとはいつも難しい。
そして電車の中で吉沢亮がお母さんと手話で普通に話した後、電車を降りた時のお母さんの、「ありがとう、人前なのに話してくれて。普通に接してくれて」という言葉にも固唾を飲んだ。人は無意識に人の目を気にする。無自覚に偏りを持って人を見る。Diversity InclusionとUnconscious Bias。もっと色々な人達に触れ、想像しないと身に付かない。基本的に世の中は不平等だらけだが、平等であろうと心掛ける事はできる。どうか明日の自分は普通に平等な自分でありますように。
「ベビ大ちゃん・プチ大ちゃん・ミニ大ちゃん・チビ大ちゃん・ラスボス大ちゃん」【12月24日追記】
【12月24日レビュー追記】
私の2024年ベスト1映画です。
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「2024年ベスト3」
まだ何者にもなれない今の自分を受け入れ、周囲との暖かい関係に支えられ、少し上を見て前を向き生きていく、というラストの映画3本を選びました。
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「ベストレビュー」
12月初めに、私にとってのこの映画のベストレビューと出会いました。そのレビューに私の想いの全てがあると思い、素直に「読者でいたい」とコメントしてしまいました。
人の縁とは不思議なもので、そのレビュアーさんに自分でレビューを書くことをススメられたことがきっかけで、こうしてポンコツレビューにも追記しています。
大好きな作品だけに思い入れが強くレビューが書き終わらず、映画の中と外にあるものを書き散らかした下書きのまま、未完成のレビューを追記しておくことにしました。
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「非公式アンバサダー」
初日に映画館で観た後、毎日会う人に2種類のフライヤーを渡して、勝手にボランティアアンバサダー活動をしていました。
オススメした相手全員が、その当日から週末に映画館に行ってくれたこと、そして全員が良かったと感想を教えてくれたこと、そんな小さな奇跡が起きた映画でした。
(男の人たちは映画で泣いたと言うのが恥ずかしい様子で、その話を聞き出すのが楽しかったです、ごめんなさい)
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「ロングラン」
9月13日の宮城県先行公開、9月20日の全国公開から、細く長くロングランが続いています。『侍タイムスリッパー』も9月13日の全国拡大公開からロングラン中なので、どちらもファイナルランまで頑張ってほしいです。
11月17日の「ロングラン上映御礼舞台挨拶」に呉美保監督と吉沢亮さんが登壇して、公式Xで募集した質問に答えるというステキな企画がありました。
海外5カ国の映画祭で上映された報告を読むと、日本と同じように、コーダとしてだけではなく普遍的な親子や家族の物語として受け止められている印象でした。
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「バリアフリー字幕」
『ぼくが生きてる〜』で、初めてバリアフリー字幕を体験しました。映画館で2回観ましたが、初日に字幕で鑑賞したことは「ふたつの世界」の理解を深めてくれました。
邦画の字幕版のニーズは多様な理由で増えているので、座席で簡単に表示の選択ができるようになればいいなと思っています。
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「パンフレット」
劇場パンフレットを久しぶりに購入しました。初日に全国的に売り切れてしまったことをSNSで知り、再々入荷でやっと手に入れました。
「宮城県の漁港で東日本大震災は?」「ラストの演出の意図は?」「エンディングの手紙の歌詞はどうして英語なの?」、完成台本も掲載された素朴なパンフレットは、私の疑問に答えを教えてくれました。
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「監督復帰作」
呉美保監督は、次男が産まれた頃に映画の企画の話があり、小さな男の子2人の育児をしながら9年振りに監督復帰したそうです。この映画からやさしい母親の愛情が伝わってくるのは、復帰当時の監督の目線もあるのだろうと思います。
子役4人が本当に吉沢亮さんに成長していくように見える連携リレーは、五十嵐大さんのノンフィクションを映像化するのに欠かせない演出でした。
母親役の忍足亜希子さんが54歳、父親役の今井彰人さんが33歳、21歳差でも赤ちゃんを抱いている夫婦に見えること、30歳の吉沢亮さんと父親が3歳しか違わないのに親子に見えること、これも監督のマジックでした。
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「主演男優賞」
吉沢亮さんは、今年デビュー15年で、この映画で初めて主演男優賞を受賞。2018年に俳優として初めての映画賞の新人賞も、同じTAMA映画賞で最優秀の受賞でした。
11月30日の映画祭授賞式のスピーチで「緊張しています。ご縁を感じています。受賞したのがこの作品で良かったです」
監督とのトークで「30歳になる男が中学生を演じました。監督が絶妙なダサさにこだわった昭和の髪型のかつらは不安でした。手話は顔の表情によって意味が変わってくることを知りました」
監督から「役にも周りにも媚びないストイックな職人のよう」、脚本家から「役作りの努力や演技の苦労をおくびにも出さない」と、公式Xでもコメントがありました。
「俳優30歳の壁」をこの作品で乗り越えてくれたこと、吉沢亮さんとこの映画の一ファンとして、とてもうれしいです。
(12月23日、吉沢亮さん主演の吉田修一原作『国宝』の公開が、2025年6月6日に決定しました。予告映像に息を呑みました)
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「ティザー広告」
今年7月に少し退屈なハリウッド映画を観た日、この映画の予告編を観ました。ちょうどその日、この映画のフライヤーのティザーと本広告の入替えでした。
ティザーは、予告編でも印象的なブルーのシャツの吉沢亮さんのアップ、パンフレット表紙や原作文庫Wカバーにも使われたビジュアル(フォトギャラリー画像21)。
本広告は、五十嵐大(吉沢亮)とお母さん(忍足亜希子)が駅に並んでいる、映画.comのポスター画像です。
製作費も宣伝費も少ないこの映画で、このティザー広告のメインビジュアルと予告編は、「映画の嘘のない宣伝」と「この映画を観に行きたい」と感じた観客の予感の、本質を捉えていたのではないかと思います。
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「エンディングソング」
映画のエンディングに流れる「letters」のMVが、映画の大ヒット記念で、今年の10月10日から1年期間限定でYouTubeで公開されています。
呉美保監督の公式Xの表現が面白かったので、このレビューのタイトルにお借りしました。
「映画の編集中に、ベビ大ちゃん(3ヶ月)、プチ大ちゃん(6ヶ月)、ミニ大ちゃん(4才)、チビ大ちゃん(9才)、ラスボス大ちゃん(15才〜28才)、5人の大ちゃんがあまりにも似てるから、短めに繋いで主題歌をのせてみたら、なんかええやん!とMVが完成したのです」
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P.S.
まだレビューを書き始める前の、12月7日の自分のコメントを引用しておきます。
「ラストの駅のシーンを『ニュー・シネマ・パラダイス』に例えられていて、あー先を越されちゃった(泣)…を思い出しました(笑)
鑑賞後に完成台本が載っているパンフレットと原作を読み、公式SNSもフォローしました。
監督があの駅のシーンをラストと決めたところから、この映画作りが始まったことを知り、私の思いをレビューにしたかったのですが…」
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P.S.2
5/14「第34回⽇本映画プロフェッショナル⼤賞」監督賞受賞・2024年ベスト10第4位
4/24「第34回日本映画批評家大賞」作品賞・主演男優賞・助演女優賞・編集賞最多4冠受賞
2/5「第98回キネマ旬報ベスト・テン」助演女優賞受賞・日本映画ベスト・テン第6位・読者選出日本映画ベスト・テン第10位
1/8「第38回高崎映画祭」最優秀助演俳優賞受賞
2025/1/3「第67回ブルーリボン賞」1部門ノミネート
12/19「第79回毎日映画コンクール」3賞ノミネート
12/1「第46回ヨコハマ映画祭」2024年日本映画ベストテン7位
11/13「第37回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞」1部門ノミネート
11/12「第49回報知映画賞」2部門ノミネート
2024/10/3「第16回TAMA映画賞」特別賞(監督・スタッフ・キャスト一同)・最優秀主演男優賞2部門受賞
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今年は邦画の当たり年で豊作だった、という声をよく聞きます。
初日に鑑賞して、映画館でリピートした作品が何作もありました。
私の2024年ベスト3候補は、この映画です。
今まで映画.comはほぼ見る専門でしたが、★★★★★の作品には評価とレビューの投稿を最近始めました。
他の方のレビューを読むと自分の語彙力と文才の無さで、好きな映画ほど言葉が見つからなくなります。
✎____________
2024年9月20日・10月17日映画館で鑑賞
10月28日★★★★★評価
12月2日レビュー投稿
12月24日レビュー追記
2025年5月14日レビューP.S.2映画賞追記
自然体
悩んで育った自身の経験を文章にする事で、
自分を客観視する、
その姿勢が自然体だ。
そんな気がした。
美談でもない、
恨みでもない、
僻みでもない、
現実を現実として受け入れ、
そして寄り添うことが、身についている。
それはきっと聾者の両親を持つ五十嵐大の、
差別を受け、両親への不満に悩み、苦しみ
(どうして自分の親だけ、耳が聞こえないんだ!!)
そんな苦悩や怒りを乗り越えた先にある境地、
受け入れること、手伝うこと、
そして時にそれは自分を支えてもくれる。
だから主人公は、聾者の世界に居場所を見つけ、
時に寄り添い、
時に安らぎを見つけ、
障がい者を大きな包容力で受け止める。
「ぼくの生きてる、ふたつの世界」
聾者の世界にも、自分がいる、
健常者の大は、
余計なお世話・・・と、言われることもある。
しかし時には、聾者との橋渡しの役割も果たす。
聾者に出来ること、そして出来ないこと、
そこを補えばいい、
受け入れればいい、
それを主人公は自然に身につけている。
自然に受け入れている。
それは私たちにとっても必要なこと、
人間の一人として、
「お手伝いすることは、ありませんか?」
自然に言える事、
そして支える手を差し出す事、
主人公が苦悩し受け入れた姿がこそが、
「自然体」なのではないでしょうか?
それが「ふたつの世界」をひとつにして、
より豊かにする。
大ちゃんが成長する過程を演じた4人の子役たち、
3ヶ月位の赤ちゃん、
ハイハイ、伝い歩きをする1歳位、
小学生の大ちゃん、
中学生の大ちゃん、
みんな吉沢亮似のイケ面だったね。
5人で演じた事、
そこに真実味が色濃く出ていた。
自分ごととして共感できる成長物語
コーダとして生まれた主人公の
成長譚。
コーダであるが故の
悩みや困難もあるのだが
誰しもその人なりの
悩みや困難があり
誰にでも相通ずる成長の物語。
息子がどんなに反抗しようと
どんな生き方をしようと
存在自体を愛し信じ続ける
両親がすごい。
仏のような両親に
育てられたのだから
じゅうぶん幸せなのに、
そこに思いを馳せられず
思い通りにいかない人生を
両親や家族のせいにするしかない。
これも
誰にでもありがちなことだから
自分のこととして共感できる。
そして
自分らしい生き方を見つけ
いろいろな人と出会い
成長していく中で
両親や家族の思いにたどり着く。
両親や家族を受容することは
自分を受容すること。
子役が全員吉沢亮さんとそっくりで
小さい頃から見てきた気がする大ちゃんが
両親や自分を受け入れられてよかったと
親戚のおばちゃんのように
うれしくなった。
かつて
グラビアアイドルだった
烏丸せつこさんの
かつてを1ミリも感じさせない
俳優としての覚悟や大成を感じさせられる
演技に脱帽。
聞こえる世界と聞こえない世界
きこえる世界ときこえない世界を行き来する大。
その大を演じる吉沢亮さんが良かった。
コーダの一面しか見ていなかった大。
周囲と違うから、学がないからと胸をはれず
親のせいにしていた。
上京して違う社会と接して少しずつ大人に
なり、自分が経験してきた一面が他者と重なり
繋がり違う扉を開けてくれた感じ。
自分と同じ境遇の日本人が二万数千人、この世の中に存在すると知った時の表情は印象的。
電車から降りて母親が『電車内で話してくれてありがとう』涙腺がゆるむ。
その背中姿は無音だが、母親に対しての想いが
溢れ出てた。“ありがとう”と“ごめん”が
涙………。私も号泣。
体全体での表現。良かった。
素晴らしい記事がきっと書けると思います。
ありがとうございました。
あなたの人生が、うまくいく事を願っています
耳の聞こえない両親の元に生まれた五十嵐大を吉沢亮さんが好演。パチンコ屋の店員として働く姿はイケメンホスト ✨
父・陽介を今井彰人さんが、母・明子を忍足亜希子さんが演じる。息子を思う母親の眼差し、夫婦で交わされる言葉が温かい。
祖父をでんでんさんが、祖母を烏丸せつこさんが演じる。お二人の妙にリアリティを感じさせるコミカルで自然体な演技が見事 ✨
ホームで母親の背を見送りながら思わず嗚咽する大の姿に、色々な感情が湧き起こり涙が止まらなくなった。
愛に溢れた素敵な作品。
-大は大丈夫だから
映画館での鑑賞
私の知らない世界
聴覚に障害がある方を描いた内容であることのみの事前確認で鑑賞。
ストーリー的には、両親に聴覚障害があり、その間に生まれた1人息子の誕生から自立までを描いたもの。
自分の人生では関わったことのない内容であったため、こういう大変さがあるんだなと、1つ1つの出来事を見ていた。
全体として雰囲気は重めで、辛いことやうまくいかないことが続いていくような内容。
物語を楽しむというよりは、ドキュメンタリーを視聴するといったような感覚。
主に子供想いの母と思春期の息子に焦点があてて描かれている。常に息子のことを1番に考える母と、まわりからの冷たい視線を感じて不満が積もる息子。息子が社会人になったあたりを境に、徐々に母の愛を実感し、また両親から教えてもらった手話を活かして社会とのつながりを持つようになる。
ハラハラドキドキや考察をするのが楽しいタイプの映画ではないが、聴覚障害の世界とそこに住む家族の愛情をみることができた。
障がいは可哀想ではない
障害者家族における親子関係の脆さと修復のドラマを通じて伝えたかったこと
1 耳の聞こえない両親を持つ子が穏やかな心境に達するまでの軌跡を通じて、社会生活や人間関係のあり方を描く。
2 田舎で耳の聞こえない両親及び健常者だけど伝法な祖父母と暮らす主人公。彼はある日友だちから母の喋り方が普通ではないことを指摘された。彼は恥ずかしいという感情から母
や手話を避け、意思疎通も控えるようになる。そして、一方的な被害者意識を持つてしまい、あてもなく家を出て上京する。そして・・・。
3 主人公は、東京で色んな経験をし、何年も経って故郷に帰省したある日。駅であることを思い出す。それは、上京前日に母と出掛け人前でも自然と手話で会話し笑い会ったこと。そこで彼はようやく気付く。普通に接することがなにより大事だと。
4 本作では、一つの障害者家族の実話を通して、障害者を特別視することのない意識と気付きのみならず、健常者と同じように当たり前に生活できる社会の姿が大事であることが示された。そのための課題として、障害の状態に応じ聾唖教育など適時適切な教育の付与や職務経験や集まりの場など社会から孤立しない取り組みが必要であることも示された。劇中において、主人公の母親が親の無理解から適切な教育を受けられず、置かれてきた境遇は余りにも悲しく、東京で知り合った手話サークルのメンバーは生き生きしていた姿から明らかであった。
5 監督は、重めのテーマを含んだ個別ドラマを説教臭くなることなく、巧みな編集でサラリとまとめあげた。主人公の吉沢は好演。
観に行って良かった!
全260件中、41~60件目を表示