「ソウルメイト成分がちょっと足りない」ソウルメイト ぼんぼんさんの映画レビュー(感想・評価)
ソウルメイト成分がちょっと足りない
元々オリジナル版の『ソウルメイト/七月と安生』が大好きで、今回のリメイクも楽しみにしていた。
オリジナル版の七月と安生が、それぞれ韓国版のハウンとミソだ。物語の大筋は双方ほぼ同じだ。
しかし正直なところ、オリジナル版を観た時ほど心を揺さぶられなかった。
なぜだろうと数日もやもやして、下記二つの理由に行き着いた。
1.運命力が足りない 二人の関係を「ソウルメイト」と位置づける理由と描写が不足していた
2.二人のコントラストが足りない 各々の個性が弱かった
オリジナル版でなぜあんなにも心を掻き乱されたのかというと、二人の関係がまさしく特別なものだからだ。
親友でも恋人でもライバルでもない、言葉では形容し難い二人だけの関係性を、オリジナル版は絶妙な匙加減で描き切っていた。
お風呂の中でこっそりと胸を見せあったり、相手のそばで排泄をしたり……七月と安生、二人の間で交わされるやりとりは、ただの親友同士では済まされず、決定的ではないが性的な親密ささえ感じられる。
なんというか、もし仮にどちらかが「一生そばにいてほしい」と本気で告白すれば、本当に一生涯を共にしまいそうな距離感だったのだ。
ところが韓国版のほうは、ハウンとミソが、互いの存在でしか互いを補完し合えない「ソウルメイト」たる描写が見受けられなかったように思う。韓国版の二人の関係は親友同士の枠を出ない。確かに仲はいいのだけれど、「ソウルメイト」と銘打たれるような、特別な、二人だけの親密さが感じられなかった。
キャラクターの個性も、オリジナル版には及ばなかったように思える。
七月と安生は何もかもが正反対だった。七月は保守的な価値観の一般家庭に生まれ育ち、地元の大学に進学。大学を卒業後は実家で暮らしながら銀行の、おそらく一般職として働いている。彼女の人生は、地方に生まれた優等生女子の既定路線そのものだ。彼女自身も映画の中で、自分の人生は終わりまで見通せると言っていた。
対する安生は幼い頃から母との関係が良くなかったことが伺える。自由奔放で勝ち気な彼女は、高校時代はライブハウスで働き、地元を離れてからは様々な男と付き合ったり別れたりしながら、職と土地を転々とする。
離れ離れになり、まったく違う道を歩みながら、けれど二人はずっとどこかで互いの人生に憧れていた。心の奥底で、七月は自由を欲し、安生は愛情を求めていた。やがて正反対だった二人の人生が、入れ替わるかのように交差する。だからこそ、七月と安生の関係は切っても切れない「ソウルメイト」なのだ。
オリジナル版の七月と安生と比べると、ハウンとミソは個性が弱く、キャラクターのコントラストがぼんやりとしているように感じた。
ハウンは合コンのようなものに参加するし、結婚前に実家を出るし、そこまで保守的な価値観の持ち主ではない。ハウンが選んだ教師の職も、女子率100%の地方銀行の一般職には保守度では及ばない。
ミソも暮らしこそ貧しいし職も転々とするわけだが、なにより絵を描き続けているわけだし、安生のように破れかぶれに生きているようには見えない。
二人のビジュアルからも、その対比の弱さは感じられる。
ハウンもミソも、私の目にはどちらも今時のオシャレな子のように見えた。
比べてオリジナル版の七月は可愛らしいけれどややぽっちゃり気味で野暮ったく、安生は目を惹かれるけれど痩せぎすで擦れている。各々の価値観の違いを、見事にビジュアルの面でも体現しているのだ。
また、ミソの「27歳で死にたい」は、大変重要なセリフだが、「27歳で死にたい」理由が弱く、ラストシーンではやや鼻白らんでしまった。
どうしてオリジナル版はこのセリフに説得力があったかというと、熱中できるものを何も持たず、他人の愛情に飢え続けている安生が、本気で「27歳で死んでしまいたい」と思っていたのがわかるからだ。
しかしミソはずっと絵描きになりたいという夢を持ち続けているのに、27歳で死にたいって、それでいいの!?と思ってしまった。しかもその理由がジャニスジョプリンが27歳で死んだからって……ジャニスのくだりは絵とは何も関係ないわけだし、いささか唐突すぎる気がした。
絵だったりブログだったりジャニスだったり、色々とモチーフを盛り込みすぎたせいで、結果あっさりとした印象で終わってしまった。二人の関係性の深みを描くのなら、これらのモチーフは不要だったように思う。
映像は私の目を滑っていくだけで、残念ながら心にまでは落ちてこなかった。
もちろん好みはある。オリジナル版の生々しさが苦手な人もいるだろう。
けれど韓国版を観て、私と同様にソウルメイト成分が足りない…!と感じた方はぜひオリジナル版『ソウルメイト/七月と安生』を観ることを強くオススメする。