「今も私の何割かは、この映画で出来ていることを確認した。」クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 equinoxさんの映画レビュー(感想・評価)
今も私の何割かは、この映画で出来ていることを確認した。
高校出たばっかでバイトしたりプラプラしたり
まだ何にも知らなかった頃、
歴史も当時の情勢も国名すらも全ての予備知識皆無で、
ミニシアターブームの真っ只中。
小さな正にその通りのミニシアター。
パイプ椅子が並んだ暗い空間で
4時間って超長くねえか?くらいしか思ってなかった。
何かが無茶苦茶に爆発していたと感じたり、
話が進むに連れてチャン・チェンが本当にガタイがよくなってってたり、
大人の顔になってってる気がした。本当に。
で、その日はずっと同じパイプ椅子に座って2回観た。また次の日2回観た。
全然長いと感じなかったし、納得出来る感情だらけだったし。
登場人物になってしまうとか、映画に入り込んでしまうとかだったのか。
”感情移入” とはちょっと違う種類のものだと思った。
で何年か後、バイトしてたビデオ屋で
レンタル発売した時、店長に頼んで新品2巻組を
仕入れて定価で売ってもらった。
これからもっといっぱい映画を観れば、
同じような体験がもっと出来るぞと思ったりもした。
が、本当に本当に希少な経験だったんだと、どんどんわかって来た。
ミンは可愛い。とても可愛くて、そしてスーをガッカリさせた。
当たり前の話だ。スーは世界のことなんか何も知らなかった。
自分は家族に大事に大事に守られていたのに
自分は学校にちゃんと通ってやってるとしか思ってなかった。
自分はハニーのカリスマに憧れているだけなのにも気付かず。
自分はあまりにも子供で、
ミンは最初からそれを判ってて一緒にいたのにも気付かず。
私は彼女にファムファタール要素は全く感じない。
世界中の、”変えられるはずが無い” もののひとつに過ぎない。
今、スーの父親よりも歳をとって思い出した。
実在するスーは、実在する事件から映画公開までの30年、
何してて、どんな人になったんだろう?
事実程恐ろしいものは無い。
事実のスーのことは、スーの家族のことは考えたことは無かった。
私が映画を観てからまた、新たに30年(と、ちょっと)が
過ぎていたのだと気付いた。
この頃の台湾って、私の居る国だといつ頃の雰囲気に似ているんだろうか。
スーの年格好の頃の自分と重ね合わせてもいいのだろうか。
今、何処の国の何処ら辺りをスーはうろうろしているのだろうか。
当時の私が観ることが出来て、本当に良かった。
今でも思うが、台湾だから出来た映画では無いと思う。
世界共通の、”幼い時の感情” でパンパンに張り詰めた映画だと思う。
0 件の「共感した!」