コット、はじまりの夏のレビュー・感想・評価
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少女の未来に幸あれ!
物語の背景となるアイルランドの暮らしぶりやこの一家の状況が判らず、冒頭戸惑う。学校でも家族の中でもうまくやれない少女コットが、夏休みに1人預けられた親戚夫婦との生活の中で、人生の宝物のような時間を手にする物語。
もう、あれです。アイルランド版「アルプスの少女ハイジ」です。「カルピスまんが劇場」のです。厄介者の如く1人だけ預けられた親戚夫婦の許で、彼女が手にしたかけがえのない時間が、その成長と共に綴られる。
着の身着のまま1人置き去りにされたコットに、最初から愛情を注ぐ妻アイリン。無口だが徐々にコットを受け入れる彼女の夫ショーンの姿は、おんじそのもの。コットの一番の理解者となった彼が、彼女を肯定し海辺で優しく語り掛ける言葉が心に沁みる。
夏休みの終わりと共に訪れる、かつての現実への帰還。誠実で分別ある夫婦が彼女を送り届けるその背中に、涙が止まりません。まるでハイジがフランクフルトに連れていかれるシーンで終わりを迎えるような終焉に、観客も彼女の幸せを只々祈るしかありませんでした。
そのラスト、彼女が口にした言葉は果たしてどちらに向けられたものだったのか。
スタンダードサイズ(1.37:1)で撮影された本作。
「物語も彼女の視点を通して描かれるため、まだ自分の周囲の世界を理解していない、視野もまだ広がっていない少女の視点を提示したかった」からだそうです。
昨年(2023年)のアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされていました。原作は英語でありながら、これが長編映画初監督となるコルム・バレード監督はアイルランド(語)への愛着とこだわりを見せている。その結果のノミネートとなり、日本での公開にも繋がってくれた。
公開が遅い!という気持ちと、公開してくれてありがとう!という気持ち半々です。観に行ってよかったと思える作品でした。
コット、透明で美しい!
私はこんな感動を求めて、何時も映画館に足を運んでいたのだと、こんな涙を流せる自分に出逢いたくていたのだと、気づかせてもらいました。コットへの愛おしさと共に、アイリンの慈愛に満ちた謙虚な豊かさに、我が身を省みて戒める思いです。
秘密があるのは恥ずかしい?
1980年代のアイルランドの田舎を舞台にした映画でした。アイルランドが舞台の映画と言うと、「ベルファスト」や「イニシェリン島の精霊」が頭に浮かびましたが、前者はアメリカ映画だし後者はアイルランド、イギリス、アメリカの合作であり、本作のように純然たるアイルランド映画は初めて観ることになりました。
そこでまず驚いたのが言葉。てっきり英語なのかと思ったら、登場人物たちは全然分からない言葉でしゃべっており、なるほどアイルランド語もあるのかと初めて知った次第。なんともお恥ずかしい限りです。1922年に独立するまで、長らくイギリスの支配下にあったため、英語は今でも公用語として使われているようですが、第一公用語はあくまでアイルランド語だそうです。
そんな本作の内容ですが、内気な性格の9歳の少女・コットが、夏休みに子供がいない親の従妹夫婦に預けられ、人間というもの、そして人間関係というものについて学ぶというお話でした。コット役を演じたキャサリン・クリンチは、本作が映画デビュー作にして主演を演じたそうですが、そうとは思えない自然な演技で、かつ中々の可愛らしさで非常に印象深かったです。
面白かったのは、預けられた先の奥さんであるアイリンが、コットに対して、「この家には秘密がない。秘密があるのは恥ずかしいこと」と言いながら、実は大きな秘密を抱えていたことが次第に分かって来るところ。でもコットはそのことを受け止め、とても優しく接してくれるアイリンのみならず、その夫であるショーンにも徐々に懐いて行くところは、非常に良い展開でした。はじめはぶっきらぼうなショーンでしたが、コットとの距離感を次第に掴んでからは本当の親子のように接することとなり、夏休みが終わってコットが実家に戻る時のお別れのシーンは、結構泣けました。この辺りの筋立ては、非常に良かったと思います。BGMは殆どなく、大自然の音がメインでしたが、この演出も登場人物の心の声を聴けるような感じがしました。
あと、40年以上前のアイルランドの田舎を舞台にしているため、出て来る車が中々カッコよく、旧車ファンだったらより満足が行ったのではないかと想像するところです。
そんな訳で本作の評価は、★4とします。
「言葉」を侮ってはいけない
この映画を観ていちばん考えさせられたのは、
「言葉」の大切さ。両親も含めたコットが出会う大人たちの無神経な「言葉」の選び方。決して罵ってる訳でもないし、傷づけようという意図もないはずだけど、無意識に発せられる言葉の数々が矛となって、まだ盾となる言葉を持ち得ない真っさらな状態(quiet)の子供の心を、少しずつ傷つけている。子供に対しての言葉の選び方を、もっと意識的にならないといけない。もっと言えば、大人だってSNSの誹謗中傷で精神を病んでしまうし、その逆もまた真なり。「言葉」を侮ってはいけないと思う。
見た人に任せる結末でしたが、養子として親戚夫婦に引き取られどうか幸...
見た人に任せる結末でしたが、養子として親戚夫婦に引き取られどうか幸せに…と願ってしまう。
丁寧なエピソードの積み重ねが感動的 主演のキャサリン・クリンチの表情、自然な演技が素晴らしい
ギャンブル漬けで、人に預けておいて、家出娘呼ばわりするような、人としても駄目な父親。
終始物静かで大人しいだけなのに、変人扱いされるコット。
子だくさんで大事にされない家庭で育ってきたけれど、親戚のもとで初めて大切にされる。
とてもおだやかで優しいアイリン。
寡黙だけれど黙々と仕事して時々コミュニケーションをとってくるショーン。
(性格がコットそっくり。)
別れの日が来て、ついに我慢できなくなって、最後の疾走をするコットに、ひと夏の様々な思い出がよみがえる。
丁寧に描かれた数々のエピソードの積み重ねが効いている。
そして、ラストの一言二言が泣ける。
アイリン役キャリー・クロウリー、ショーン役アンドリュー・ベネットの静かで控えめな名演も良かったですが、何といっても主演のキャサリン・クリンチの表情、自然な演技が素晴らしい。
(蛇足)
このラストの先が気になるところですが、これは実話ではないので、観客の想像次第。
ありがちなのは、暗転後、キンセラ家の朝。
コットが学校に出かけるあわただしい日常がえがかれてクレジットとか。
いずれにしても、あの流れでは、そうでなくても苦しい家計に家族が増えて、物入りになる。
「子供を失って寂しいから頼むからコットを預かりたい」
と、ショーンが、父親ダンのプライドを傷つけないように頼めば、きっと、コットはキンセラ家の子になるでしょうね、
小さな優しさ
ひとりの孤独な少女が、新しい環境で少しずつ自分の居場所を見つけていく様を繊細なタッチで描いている。
観客と登場人物の間にある絶妙な距離感を抱かせる作品だった。
説明的な描写はなるべく避けているようで、主人公のコットが抱えている孤独感にはじめは共感することが難しい。
コットは両親と姉弟たちに囲まれて暮らしているが、どこか馴染めないでいる。
国語の授業では音読がままならず、学校でも変わり者と蔑まれ居場所を見付けられないでいる。
そんな彼女を夏休みの間だけ親戚夫婦であるショーンとアイリンが預かることになる。
コットを送り届ける父親のダンの態度は冷たく、まるで彼女は口減らしのために厄介払いをされたようだ。
どこかこの世界と繋がれないでいるコットを、アイリンはとても優しい言葉で受け入れる。
コットの受け答えのほんの過ごしのズレが、彼女の生きにくさを物語っているようだ。
特に大きなドラマは起こらない作品だ。
コットとショーン、アイリンの間で劇的なやり取りが行われるわけではない。
それでも彼らがコットに示す小さな優しさが、少しずつ彼女の心を解きほぐしていく。
たとえばアイリンはおねしょをしてしまったコットに対して、マットレスに水が染みていたのだと弁解し、彼女の罪悪感を拭い去ろうとする。
ショーンは黙ってコットの前に自前のお菓子を置く。
彼がコットに走ってポストから手紙を取りに行かせるのも、彼なりの思いやりなのだろう。
コットに対していつも穏やかな二人だが、実は彼らが過去に最愛の息子を亡くしていたことが分かる。
コットはその亡くなった息子の着ていた服を身に着けていたのだが、彼女はそんな二人の悲しい過去には気づかずにいた。
やがて夏休みが終わりに近づき、コットは自分の家に戻ることになる。
どうやら彼女には新しく弟が出来たらしいが、その報せにも彼女は興味がない素振りをする。
彼女が誤って井戸に落ちたのは、少しでも帰る時間を延ばしたかったからだろうか。
感情の高ぶりをあまり見せないコットが、最後に去っていくショーンとアイリンを追いかける姿に心を打たれる。
これからコットがどのように世界と向き合っていくのか、映画の余韻の中で考えさせられた。
こちらあみ子 を思い出した
主人公のあり様は違うけど、日本映画で一昨年の作品こちらあみ子を思い出した。本人の性格は全く真反対だけど、心の変化に自分が自覚しきれてないもどかしさ。それをこの作品、よく表してる。
愛を注げるのは実の親だけじゃない。
今年のベスト入り確実。子沢山で経済的も人手的にも大変な大家族、お母さんの出産前後のひと夏、叔父叔母の家に預けられる少女。珍しいお話でもないのに、一人一人、ひとつひとつが丁寧に丁寧に美しく描かれており、涙が止まらない。ラストの少女の一言、「daddy」の一回目二回目の意味の違い、向けられる相手の違い…台詞が少ないだけに更に印象的でこそにすべてが表れていて、また涙。
でも実の両親を、「悪者」「ネグレクトのひどい親」と決めつける気にはならないです。この親ほどではないにしろ、実の親は渦中にいるとなかなか毎日の子育てや仕事や家事で手一杯、手や愛情が回り切らないことってあると思う。なのでこの叔父叔母や祖父母など、ひたすら可愛がってくれる愛してくれる存在は子供にとって大切なことなんだなあと思わされる。別に実の親じゃなくても良いのだ。
雄大な時間と小さな変化
映画というメディアが持つひとつの特性に“時間の流れ”の描き方というのがある。故に映画は時に時間軸をずらして見せたり、前後の時間を入れ替えるなどの魔法を使って観客を翻弄し、魅了する。では、本作の時間の描き方はどうだろうか?複雑な時間のトリックはない。だが、木漏れ日溢れる美しい自然美を背景に映し出しながら、ゆったりと流れる時間を観客に堪能させる。これは実に贅沢な映画体験だ。
コットが走り出す、手を繋いで水を汲みに行く、農場の手伝いを行う、そんな些細なシーンの一つ一つにこそ彼女の心身の成長が垣間見られる。そして、それは同時にコットを預かる親戚夫婦の心の隙間を埋めていく。髪を梳かす、街に買い物に行く時に渡すお小遣い、洋服を試着したコットを見つめる表情。直接的な言葉は使わないものの、それら全てが偽りのない愛の形として描かれていく。
だが、その雄大な時間の流れもやがて終わりを迎えることとなる。実際、そこからの展開は早く、寒々しくも映る。しかし、親戚夫婦と過ごした時間の中で確実に起こった小さな変化の蓄積こそが最後に大きな感動を呼ぶ。一度見ただけで理解したとするには勿体ない作品であり、特に舞台となる夏の終わりにこそ繰り返し観たくなるであろう良作に出会えた。
自然な愛
小鳥のさえずり、木々を渡って木の葉を揺らすそよ風、月夜のさざなみ
そのような自然の営みの音が全編を通じて人の自然な営みとしての愛の在り方を思い起こさせる効果を与えていたように感じた。
主演の少女の尊さは私の拙い表現力では伝えきれない。素敵でした。
ひと夏のパパとママの、少女へのいたわりに胸をあつくしました。
当人に自覚があるかなしかは別として、悪意が全ての人から消えることはないのでしょう。それでも人の心を動かすのはやはり善意なんだと信じたいと思いました。
さてどっち?
ああいう終わり方は本来嫌いなんですが、なぜかこの映画は許せるかも。「おじさんさよならありがとう」なのか「やっぱりおじさんと暮らしたい」なのか、どちらにとらえても感動です。まあ親父が「ショーン、娘をたのむ」なら良いんだけど。
タイトルからは想像できない…
飲む打つ買うのダメダメパパと子だくさんママの家族の一番下の娘が、子供の無い親戚に一時的に預けられたことで、子供らしさというか人間らしさを取り戻していく内容
最後は泣いた😢周りからもすすり泣きが…
いい映画だけれど、寡黙すぎて‥‥。
アイルランドの風景がきれいだし、主役の少女は、透明感のある美しさ。ところどころ意味不明なシーンもあるが、少女のひと夏の経験を描いたいい映画だ。しかし、少女コットと、心を通わせるショーンの二人が、あまりにも寡黙過ぎて、いまひとつ感動に至らなかった。
ラストシーンも、少女の今後を想像すると、複雑。でも、見て損はない映画だと思う。
空気感は好きだけど、きれいすぎる
好きなスタンダードサイズの作品。
映るものが絞られることで、観ていて心地良い。
それぞれが不器用な登場人物がうまく演じられていて、セリフは多くなくとも、気持ちが伝わってくる。
田舎の風景や、家庭間の対比、子供を巡る夫婦の思いなど、短いながらも感じることが多かった。
ただ、映像はとてもきれいなのだけれど、画が整いすぎているというか、印象的なものがあまりなかったのが正直なところ。
自分が見慣れてしまったのか、画の綺麗さをもとめて、少しリアリティがうすくなってしまったのか。
総じて、期待通りの作品でした。
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