「コットの体験は、「もしも自分が」の先を垣間見る、予知夢的な出来事だったのだろう」コット、はじまりの夏 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
コットの体験は、「もしも自分が」の先を垣間見る、予知夢的な出来事だったのだろう
2024.1.30 字幕 アップリンク京都
2022年のアイルランド映画(94分、G)
原作はクレア・キーガンの小説『Foster(2010年)』
母の出産を機に親戚に預けられた9歳の少女を描いた青春映画
監督&脚本はコルム・パレード
原題は『An Cailín Ciúin』、英題は『The Quiet Girl』でともに「無口な女の子」という意味
物語の舞台は、1981年のアイルランド・ウォーターフォード州リン・ゲールタルト
大家族の末っ子として育ったコット(キャサリン・クリンチ)は、母メアリー(Kate Nic Chonaonaigh)の出産のために、母方の親戚アイリン(キャリー・クロウリー)とショーン(アンドリュー・ベネット)の元に預けられることになった
ショーンは牧場経営者だが寡黙な人物で、アイリンは気さくに話しかけ、家事などを丁寧に教えてくれる
コットはまだおねしょをしてしまう年代で、それをずっと気にしていたが、アイリンは家のはずれにある井戸水には不思議な力があると言い、コットに飲ませることにした
映画は、淡々と日常を切り取る作品で、田舎暮らしを通じてコットが成長する様子が描かれていく
また、その中でアイリンとショーンが抱えていた問題にふれていくことになり、コットは多くの経験を重ねていく
アイリンの友人シンニード(Grainne Gillespie)の父ジェラルド(Martin Oakes)の葬式に立ち会ったりするのだが、葬式には無関係だったコットは、シンニードの隣人ウナ(Joan Sheehy)の家にお邪魔することになった
そこでコットは、ウナからアイリンたちには子どもがいて、幼くして亡くなったことを知るのである
コット目線だと劇的なことが起きていて、人の死が理解できた頃に遭遇すると、その意味を深く考えるようになる
彼女の日常から死は遠く、どちらかと言えば「生」の方が充満しているのだが、アイリンたちの方角には「息子の死」「隣人の死」などが身近にあって、しかも息子が死んだ場所もリアルに感じられる
死を超えた先にある家庭と、そうではない家庭との温度差があり、コットにとっては強烈な体験だったのではないだろうか
自分の幼少期を考えても、祖父母は早めに他界して記憶がほとんどないけど、母は克明に覚えているし、成人してから妻の死を受けた時には「死に近い場所で仕事をしている」ためか、かなり鈍くなっている感じがする
これらの体験はいずれは積んでいくものだが、どの時点で理解に及ぶかはそれぞれの人生によって違う
コットがアイリンたちの悲しみを理解するのはもっと先のことなのだが、自分が溺れたことによる余波というものを先に体験しているので、命について深く考えるようになるのではないだろうか
いずれにせよ、9歳で主演女優賞を獲るだけの存在感はあり、完成されたように見えて純朴さが残っているというのは奇跡なんだと思う
これからさらに活躍の場が出てくると思うが、この時期の変化はとても早いので、彼女のフィルモグラフィーにこの映画が残ることも奇跡なのだろう
そういった意味では「はじまり」ではあるものの、邦題は飛躍し過ぎているので、もう少しなんとかならなかったのかな、と感じた