「異なる種族の共存は可能なのか」猿の惑星 キングダム ココヤシさんの映画レビュー(感想・評価)
異なる種族の共存は可能なのか
チンパンジーのイーグル族の若者「ノア」(オーウェン・ティーグ)は、成人式の儀式のために鷲の巣から卵を盗み出す。だが、成人式前夜に、村に忍びこんで食べ物を漁る人間の娘(フレイヤ・アーラン)に驚いて、卵を割ってしまう。
再度卵を獲りに出かけて、娘を探すゴリラの武装集団と遭遇。娘がイーグル族に匿われていると邪推したゴリラは、村を襲ってノアの父親を殺害し、イーグル族を拉致。
復讐を誓ってゴリラを追跡するノアは、オランウータンの賢者「ラカ」(ピーター・メイコン)と出会う。ラカはノアに、その昔人類が文明を築いたこと、チンパンジー「シーザー」が猿たちを解放したこと、シーザーは猿と人類の共存を説いたことなどを語って聞かせる。だがいまや、シーザーの後継者を騙るゴリラが、猿たちの支配と人類の絶滅に乗り出しているのだった。
ノアとラカは彼らについてきた娘を保護し、「ノヴァ」と名づける。ゴリラの人間狩りに巻き込まれた3人は、なんとか逃げ延びる。その過程で言葉を流暢にしゃべり出したノヴァが、自分の本名は「メイ」だと名乗る。
結局、ノアとメイはゴリラに捕らえられ、ラカは激流に呑まれて行方不明に。
ゴリラの王国に連行された2人は、強制労働に従事させられている猿たちを目の当たりにする。そして、暴君「プロキシマス・シーザー」(ケヴィン・デュランド)が、核シェルターをこじ開けて人類の知の遺産を我が物にせんと企んでいることを知る。プロキシマス・シーザーがメイに執着したのは、メイがシェルターを開ける方法を知っているとにらんだからだった――といったストーリー。
シーザーは「猿は猿を殺さない」という掟を定めたが、この掟はプロキシマス・シーザーによって踏みにじられている。人類も猿も、どんなに高邁な理想を掲げても、ひとたび権力を握ると狂ってしまう、そう監督は言いたいのだろう。
シーザーはまた、猿と人類の共存を説いたが、メイは最後まで人類の復権にこだわっている。対立する種族が分かりあえるなどというのは幻想にすぎないと、監督は主張しているようだ。なにやら、ロシア人とウクライナ人や、ユダヤ人とパレスチナ人の関係を連想させるではないか。
文明が崩壊して300年も経つのに衛星通信網が生きているなど、突っこみどころも満載だが、能天気なハリウッド映画とは一線を画す味わい深い作品になっている。
続編が作られるとしたら、猿と人類の最終決戦を主張する主戦派と、それを押しとどめようとす共存派の葛藤が描かれるのだろう。