エスのレビュー・感想・評価
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友情 愛情 そして繋がり
あるある話 大学の演劇部?サークル?繋がりで、アラサーまで定期的に繋がってきた女性三人男性四人(一人は軽い刑法犯罪で短期服役)友達が逮捕されたことで、少なからず影響が及んだ人もいれば、新しい関係を築いたり、夢を諦め田舎に戻ったりと、各々のベクトルに変化を与え始める 服役したこと(人生の汚点)をネガとするのか、ポジとするのかはその人次第 とする教訓?をダラダラと映像化しているだけで、今一つ はまラナイ…😓
主役の女性のもどかしさは手に取るように分かるが、配偶者(結婚している)はよくなんともないな〰️ なぜに二人は結婚しなかったのかが…
もう少し丁寧な説明が欲しかったという映画。
今年262本目(合計1,354本目/今月(2024年7月度)25本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「墓泥棒と失われた女神」→この作品「エス」→次の作品「」)
大阪市では6か月遅れで本日公開日でした(ミニシアターは土曜日はじまり金曜日終わりのスケジュールのところが多いです)。
映画の趣旨としては、監督の過去に触れつつ、監督自身は映画に一切出てこず(「エス」とだけ呼ばれる)、それを案じている人が嘆願書を出すだの出さないだの、あるいは許せるか許せないかといったことを論じるタイプで、意外に見たことがないタイプ(本人が映画にほぼ出てこないというのは珍しい)でよかったかなといったところです。また、「過去について」極端に美化したりあるいは正当化することもなく、事実のみを淡々と描いている点についても良かったものです。
人は誰でも誤ちを起こし得ます。もちろん誰が見ても許されないレベルの凶悪犯罪、たとえば地下鉄のガス事件もあれば、日常起きるレベルの万引きや盗撮など色々ありますが、それらが「当然に」同じ裁きを受けるわけではないし、「当然に」同じ社会的制裁を受けるべきものでもありません(ここでいう「社会的制裁」というのは、復帰後の人付き合いの制限などのことをいう)。
そして日本の犯罪類型には「被害者なき犯罪」というものがあります。覚せい剤などの単純所持や単純賭博などのように「被害者の存在が想定・観念できない」類型と、明確に想定できるケース(万引きやこの映画の例など)です。ここによってもひとつ、ニュースを見た人によって印象は変わります。また、刑法に定められている刑罰法規以外でも、法定刑自体は低めに設定されていても「動物愛護法違反」(動物虐待等)はやはり印象が悪くなります。ここは道徳感といったものが出てくるので、言葉でズバリかけるものではありません。
そうしたことまで考えたとき、本件は「被害者との和解・示談が大方終わっている、終わった」という前提において、それほどの刑罰をもって臨むべきものではありませんし、また社会的制裁もそれ相当になるべきものです。ここの「相場」が極端に崩れると、人は誰も立ち直れなくなります。
決して犯罪を推奨するわけではありませんが、一人の行政書士の資格持ちとして、「何でもかんでも犯罪者は全部刑務所に突っ込んで社会でさらし者にすればいい」みたいな極端な意見には到底賛同できず、一方でこの映画は実話をもとにしており、「当然、被害者の方の心情も理解できる」ものであり、またその一方で、「大筋において和解・示談がすんでいる」前提において、「こういうことがありました。真相はこうです。今後はこういう道を歩みます」というような映画を作ることそれ自体は、更生への第一歩であり、またそのような製作活動は、前科者等(この映画の例では起訴見送り?)であっても同じであり、彼ら彼女らががそれのみを理由として制限されるいわれはない一方、実際におきた事件について、被害者のプライバシーを一切考慮せず公表することもまた「表現の自由」の限界を超えます。すなわち、「前科者等にも表現の自由は等しく及ぶが、表現の自由は絶対無制限ではない」というものであり、それは何も「前科者等」でなくても「誰であっても同じ」結論です。
そうであればこのような作品が公開されること、それ自体について議論はわかれましょうが、個人的には「憲法でうたわれる権利は保障されるべき」という立場に立つので、公開には意義があったと思います。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.3/サークル仲間だけで嘆願書を提出できるか)
提出すること自体は自由(日本国憲法の「請願権」の一つ)ですが、実際には、被害者の方がどう思われているかがもっとも重視されます。もちろん上記に述べた通り、道路交通法違反等に対する嘆願書は伝統的に行政書士が多く受け持つほか(点数がつくことで運転禁止となると、本人が病院に行けなくなる等で生活につまるケースがある)、外国人に絡む「よくある犯罪」(金額の低い万引き、ゴミ出しトラブルに端を発した全治3日程度のごく小さい喧嘩程度)でも、外国人関係の受け持ちが行政書士なので、その限りで嘆願書を受け持つところはあります(特に弁護士過疎地のようなところではありえます。もちろん、その場合でも、被害者と大筋の和解が取れている場合にできるのであり、和解を持ちかけたりすると弁護士法に触れます)。
ただ、この映画は明確に「被害者が想定できる」ケースであり、映画内で「被害者」と呼べる人は一切出てこないのに、延々とサークル仲間やら仕事仲間やらで嘆願書を出す出さないの話をしても、絶対に重要なのは「被害者がどう考えているか」であり、それが全てを左右します(何万の嘆願書が集まっても、被害者が許さないといえば起訴はされます)。
この点については、この事件が実際のものであったという事情から、この点に関する描写が一切ないのですが、字幕でも何らか補足は欲しかったところです(何でもかんでも嘆願書運動となり、「思わぬところで、結果的に」被害者軽視となることはよくないことです)。
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染田初段
一昔前の下北沢ではああいう人達が居酒屋でストラスバーグがどーのこーのと口角泡を飛ばしてたんだろうなぁ。
人の心の暗黒面を面白がるという姿勢がなかなか面白かった。
アドリブっぽい台詞の応酬が楽しかったが、アフタートークで意外に全部台本通りだと明かされてびっくり。
たまたまアップリンクに行く時間ができて、なんとなく適当に観てみたら...
たまたまアップリンクに行く時間ができて、なんとなく適当に観てみたらめちゃくちゃ面白かったパターン。
期待してないから面白く感じる場合もあるけど、この作品は特別だと思います。
こういう特殊な映画は大きい劇場ではなかなか観れない。
またぷらっとアップリンクに足を運んで観てみたくなりました。良い劇場ですね。
こういうのは貴重な体験になるから、自宅でサブスクで観るものとはだいぶ違う。
役者も良かったなぁ。
人間関係の生々しい空気感に他人事では居られなかった
大学時代のサークル同志が
仲間の逮捕事件をきっかけに再会する。
気まずく複雑な状況にありながらも、
とぼけた生返事に漫才のようなツッコミが入り、
駄洒落のようにふざけたやり取りの会話が弾む、
気心の知れた10年来の友人たち。
しかし当然のように現実は甘くなく、
次第に波風は広がり物語は進んで行く。
演劇的手法・会話劇を得意とする監督の作品という事であるが、
確かにこれを本筋に絡まない無駄なセリフや冗長な演出と受け止める事も出来る。
しかし、記憶にも残らない様な他愛のない無駄口や、
大切なタスクがある時に限って他のどうでもいい事をしてしまった、
等々の人間が持つある種くだらないとも言える部分にシンパシーを感じるひとなら、
登場人物たちの人間臭さに大いに引き込まれ、ただの傍観者では居られない。
彼らの葛藤と苦悩、選んだ行動に激しく心を揺さぶられるだろう。
不在の「エス」が引き起こした波紋を逆にたどる
最初にレビュアーとしての自分の立場を明らかにしてから始めたい。私は太田監督と大学の演劇サークルで、同時期を過ごした者だ。太田監督とは特別に親しくもなく、かといって特にお互いに激しく嫌い合っているわけでもない、そんな中途半端な関係だった(彼が私をどう思っていたかはわからないが)。ただ一点、太田監督は芝居に対して直情的ともいえる熱い思いを持った後輩であり、若かったこともあって時にその過剰なエネルギーを持て余しているように、私には見えた。
2011年2月25日、彼が不正アクセス禁止法違反容疑で逮捕されたというニュースを、私はテレビでリアルタイムで観た。太田監督が手錠をかけられ、うつむいて警察車両に乗せられるシーンを目にした時の最初の感想は、「何でその犯罪容疑なんだ?」だった。彼には確かに過剰なエネルギーがあったが、それが性的要素を含む一種卑怯にも思われる犯罪行為に向けられたことについて、非常に意外な思いがした。少なくとも私からは、彼は決してそういうことをするタイプには見えなかったからだ。
すぐさまかつてのサークル仲間の何人かに連絡を取った。そして何日か経って、(おそらく釈放のための?)嘆願書を提出するために署名活動を行っている仲間がいる、ということを知った。逮捕から2週間ほど経って東日本大震災が起きたこともあり、嘆願書の提出はうやむやに終わったと聞いた。以降、彼が何をしていたかを、ほんの1週間前までまったく知らずに過ごしてきた。サークルの同期から連絡が来て、太田監督が再び映画を撮って上映まで漕ぎつけたと聞いて仰天して劇場に足を運んだのが、この作品を観た個人的な経緯だ。
したがって私は前提条件を何も知らずにこの作品を観た観客ではない。頭では「監督の人格と作品は無関係である」と理解しているが、実際には作品と適切な距離感を測るのが非常に難しかったため(こういった状況で映画を観るのは初めてだったので未だにその距離感はわからない)、個人的な思い入れも入ってしまうかもしれない。そのことを最初に明らかにしなくてはフェアではないと思ったので、上記のことを書かせていただいた。
前置きが非常に長くなってしまったが、私がこの作品を観てみたいと思った理由は3つある。
①太田監督が13年間何をしていたのか、知りたかった
②過ちを犯した一人の映画監督が、表現者として再び立ち上がる姿を見たかった
③自分が逮捕勾留された経験に、表現者としてどう向き合って作品化したのかを観たかった
①は各種インタビューで既に彼自身が語っていることなので省略する。②は実際に舞台挨拶で彼の晴れやかな表情を見ることで目的は果たせた。
さて、レビューとしては③を書かなくてはならない。本作は自伝「的」作品である。小説でいえば「私小説」に近いのかもしれない。しかし自伝「的」作品や「私小説」というのは、あったことをそのまま記述したからといって優れた作品になるわけではない。それならば日記で事足りることだ。むしろ己を徹底的に相対化し、客観視し、嗤いも含めて己を描かなくては、優れた作品にはなり得ない。
太田監督は、この問題を一種アクロバティックな手法で切り抜けている。逮捕勾留された太田監督自身を投影した染田(通称・エス)を不在にし、かつての大学時代の演劇サークル仲間のパートと、現在の職場であるコールセンター会社のパートで、それぞれ周囲の人間に「エス」を語らせることによって、相対化しているのだ。
ある人物が起こした問題行動は、池に石を投げた時の波紋のように、周囲の人間に影響が広がっていく。近ければ近いほどその影響は大きく、遠い場所にいる人にはその影響は及びにくいのが普通だろう。実際に最も影響を受けたのは当然、監督の家族だったのではないかと想像するが、太田監督はそこは描かない。あくまで描かれるのは、大学時代の演劇サークルの仲間たちと、現在の職場の同僚である。こういった類の作品で家族というのは散々描かれてきたので、敢えてそこは避けたのかもしれない。あるいは太田監督にとって、当時最も問題だったのが、実際に周囲にいたかつての仲間たちや職場の同僚の態度だったからなのかもしれない。
それぞれのパートに特徴的なことがある。かつての大学演劇サークル仲間たちは、「エス」の犯した罪がどれだけ「ダサい」か、自分たちがどれほど「エス」を思っているのか、あるいは迷惑をかけられているのか、といったことを延々と語り、そこではなぜか奇妙なマウンティング合戦まで起きたりするのだが(「エス」のことをどれだけ思っているかで段位がつけられたりするし、最後には階段を使ってまで順位付けがされたりする)、実はこれらの会話はまったく核心にたどり着かないのだ。演劇的手法が取り入れられたこの会話劇は、映画としては非常にしつこく長く、無意味で無駄に感じてイライラする観客もいるかもしれない。しかし太田監督がここで表現したかったのは、「友人」「仲間」「先輩」たちが、逮捕勾留された近しい人間をどう受け容れるのか、あるいは受け容れないのか、その心の揺れのリアリティだったのではないか。そのためにこの執拗さは必要であり、実際に観終わった後にこのシーンに対しては異様な気持ち悪さが私の中に残った。それは私自身、もしこの距離感の近しい人が逮捕勾留されたときに、簡単には割り切れない思いを持つだろうという想像がリアルに働き、内面を揺り動かされたからだろう。
コールセンターパートはもっと直接的だ。「エス」の逮捕勾留歴を知らない同僚は、「エス」のことを褒めそやしている。ある人物は「エス」は目が澄んでいてそれだけで信用ができる、と言う。綺麗めのバツイチの同僚女性は、「エス」に恋心を持っていてデートをしたいとさえ思っている。「エス」は職場ではかなり素敵な人物と見做されているのだ。ところがひょんなことから、「エス」が昔、逮捕されたということが職場中に知れわたり、同僚たちの態度は一変する。
「エス」をこの職場に紹介したのは、かつて「エス」と交際していた千穂だった。しかし今の千穂は他の男性と結婚しており、すでに人妻である。千穂はサークル仲間でもあり、職場の同僚でもある唯一の人物だが、なぜか全登場人物の中で「エス」を一番心配している。しかし周囲が冷やかすようにそれは復活した恋心から来るものではなく、彼女は自分でも理解しきれない感情を持ちながら「エス」を必死に擁護する。ラスト付近で、千穂は職場の同僚女性に「いま染田が過去に逮捕されたことを知ったからといって、染田自身は何も変わらない」と号泣しながら訴える。しかし、その思いは決して同僚に伝わることはない。職場はあくまで仕事をする場であり、同僚はたまたま居合わせた人間に過ぎない。「本当の染田」を知る必要も義務も、同僚にはないのだ。結果、「エス」は職場を自主退職することになる。
観客はこの映画の110分を通じて、「エス」自身ではなく「エス」が引き起こした波紋を目撃することになる。この波紋を、中心に向かって逆側にたどることでしか、「エス」という存在を理解することはできない。逮捕勾留された人物が(起訴されて刑事裁判を受けたかどうかまでは描かれていなかったので、そこは問題にしない)罪を償うためにできることは、心の中で被害者に謝罪し、ひたすら反省することだけであり、他人には外形的にその「反省度」をはかることができない。もし「エス」自身を登場人物の一人としてはっきりと描いて一言でもセリフを喋らせてしまったら、何を言っても自己弁護となってしまうだろう。しかし「エス」自身を描かなかったからといって、太田監督は自身の問題から逃げているわけではなく、むしろ周りの人間の心情を想像しながら一つ一つセリフを書き出して行くことは、想像以上に辛い作業だったのではないだろうか。
太田監督自身は、今後も、おそらく生涯、この問題と向き合わなければならないだろう。しかしとにかく、太田監督にとってはどうしても撮らなくてはならない、ここを乗り越えないと次のステージには行けない、そんな作品だったように思う。幸い、多くの観客がこの一風変わった作品を観に、劇場を訪れているようだ。かつて期待のホープだった映画監督が、12年もの間自らの過ちと向き合って制作し、商業映画としてはデビュー作となった今作を分水嶺に、次にどんな作品を撮るのか、今からとても楽しみにしている。
手放しでは褒めたくない
悔しいから。
毎度、映画を観る際はポップコーンを頬張りながら、というのが私の楽しみなのだが、上映時間が遅かったためか、売店でのポップコーンの販売は終了していた。
そんなことはどうでもいい。監督に逮捕歴があるとかないとかと同じくらいどうでもいい。
観客にとっては映画の内容が全てである。その評価に監督の経歴や出自は影響しない。
この映画を楽しめるかどうかは、染田の友人の一人となって映画の中へ飛び込むか、一歩引いて傍観者として観るかで大きく変わってくる。
私は飛び込んだ。さぁ、どうする?
主人公になったように没入して思わず最後に涙した
エスは一つの事件で全てが変わる、才能ある映画監督の感動的な物語だ。主人公が逮捕されるという予期せぬ出来事が彼の人生と周りの人間関係を劇的に変える。この映画は、SFやアニメとは違うリアルなアプローチで、観る者を別の人生に没頭させる。映画の終盤、主人公の後ろ姿が映し出されるシーンで、その深い感情表現には涙が止まらなかった。普段あまり映画を見ないが、この作品には深く引き込まれた。ただの物語を超えて、観る者に心に残る体験を提供する。ぜひ、この映画を見て、一つの出来事が人生にどれだけ大きな影響を及ぼすか体感してほしい。新しい視点が得られるはずだ。
解像度の強弱
急に4K映像や8K映像を見たときや、フレームレートを矯正して上げた映像を見たときの、「鮮明すぎて違和感を覚える」「映像の動きが思ったよりヌルっとしてびっくりする」、そんな気持ちを連想させる作品。
一般的な映画やドラマでは観る側が頭の中で補完するであろう言葉、気持ち、熱量、間、その他様々な情報、空気感。おそらそくそういうものを勝手につなぎ合わせ、観る側はそこに勝手に感情移入をしていく。小説のワンシーンもそうかもしれない。
しかしこの作品にはそれがない。いや、上述の「一般的な映画やドラマ」や「小説のワンシーン」のようなものがそもそも現実には存在しない。
現実はもっと雑で、不完全で、一貫しない言葉が飛び交う。その過程でコミュニケーションが形作られる。
それを台詞に、演技に大量に織り交ぜた変態的な作品だった。
観る側は補完しない。補完しないから、その情景にダイレクトに没入していく。
そこに「映画を観ているんだよな」という認識との乖離が生まれ、気持ちがざらつく。
こんなに雑で解像度の高い世界を見せられるの?という、良い意味での裏切り。
セオリーみたいなものがあるとしたら、それに飽きている人に是非観てもらいたい作品です。
今、見て、考えたくなる映画
決してエンターテイメントを重視した映画ではないと思いますが、それでも映画の世界に引き込まれ、気付いたら110分過ぎていました。
犯罪を犯してしまった人間とその友人、さらにその周囲の人たちの行動と葛藤という重たいテーマにも関わらず、決して重たくなり過ぎず、ときに軽妙なユーモアも交えて描かれていました。
脚本も担当された太田監督の練り込まれたセリフ回しによって、出演者のやり取りがとてもリアルに感じられ、人間関係の行く末に少しハラハラさせられながらも、その関係性と思いの強さや奥深さに触れて、見てて少し勇気づけられるような気もしました。
そして同時に、見ている人は最低一度くらいは、「自分だったら、、、」と思わずにはいられなかったのではないかと思います。
誰かの悪い部分が表面化してしまった時、その周囲の人やそれを見る側のどす黒い部分(太田監督談)がさらけ出される、というのは、今のネット社会でも顕著に見られる現象とも繋がると感じました。
色々と考えさせてくれる映画です。
ご自身の体験をこのような形で昇華させた監督と、絶妙な距離感でそれを表現された役者陣の他の表現にも楽しみにさせて頂きたいと思います。
群像劇スタイルを借りた独白のような作品。
自主映画祭でグランプリ受賞経験のある有望な映画監督が、自ら罪を犯し逮捕され実名報道までされて、留置所で32日間過ごした。その経験を元に考えだされた作品と理解して観ました。
話の中心人物で、しかしほとんど登場しない「染田」という人物が監督本人の事である事は明白で実際に太田監督が演じているのですが、実話を元にした作品でそこまで事実と重ねて配役する作品を私は初めて観ました。
別の俳優をキャスティングする事も出来たはずですが、そうはせず「監督本人が染田役をやった」という事にこの映画の意義と、得体の知れない魅力が詰まっていたように思いました。
太田監督がどういうつもりで作ったのか、このセリフはどういう気持ちで書いたのか、俳優に言わせている時どんな気持ちで撮影・編集したのか。想像しながら観てしまいました。普通の見方ではないのでしょうが、そういう見方をしてしまわざるを得ない作品。
主人公不在の群像劇とカテゴライズされる作品なのでしょうが、主人公は染田=太田監督だと思います。
なのでそこを「面白い!凄いもの創ったね!」と思うか「卑しいな!逮捕歴すら面白可笑しく映画のダシにするのかよ!」と思うかは観る方次第だと思います。私は前者でした。
シンプルな群像劇として観たとしても、面白かったです。セリフの言葉選び、俳優陣の心の機微の表現も素晴らしく、ひとりひとりの人間の人間性が事件をきっかけに無理なく炙り出されていく感じも良かった。
染田を励まそうと集まった友人たちの予想できないシーン展開や、物語終盤に屋上で対峙する考え方の相容れない二人の表情のコントラストの可笑しみなど。丁寧に計算されて作られた魅力もありました。
あと「Ctrl+Z」をマシーンのように押す描写とか…あれは心の叫びだったりするのかな。
才能あふれる太田監督のこれからに期待しています。
青春群像劇の金字塔
人間関係に悩める人にはぜひ見てほしい。
とある仲間の映画監督の逮捕を機に、再会した元大学演劇サークル仲間6人の物語。
30歳という人生の岐路を前に、決してスターではない等身大の現実に直面している彼らの、
狂おしいまでに切実でユーモアのある会話の応酬に、ただただ心を掴まれた。
仲間の逮捕を機に、少しずつ露わになっていくそれぞれの想い。
誰かの擁護は、誰かの非難になるかもしれず、対話は常にその緊張感を孕んでいて、
その対立が、ショットに緊張感を生んで、映画になっていく。
人は、ある出来事に対して、傍観者になることも、逃げ出すこともできるし、そうすることで自分を守ることもできるが、
この物語の人物たちはそれをしない。
どんなに悪態をつこうとも。
それは何故か。私にはそこに希望があるような気がした。
それが深く心に残った。
その作家の人生の詰まった作品に触れられるのは、至極の時間だ。
この映画には、主演・松下倖子さんの素晴らしいショットがいくつもある。
それを引き出した太田監督も素晴らしいし、演じた松下倖子さんも素晴らしい。
きっと、本作のプロトタイプともいうべき『園田という種目』から続く二人の人生が詰まっていたのではないかと思う。
この作品がより多くの人の目に触れられることを心から願ってやまない。
人間という種目
同監督の『園田という種目』のブラッシュアップ拡大版(或いは完結編)。
始まって10分くらいは、ああ、有りがちな「普通の人たちの、ありふれた日常の話か」と思いかかるのだが、そこから精妙な会話劇が展開していく。
自分の日常を守るために、人は利己的に振る舞い、残酷かつ慎重に異分子を排除する。それをことさらに脚色することなく、自然すぎるほど自然に見せてくれる。しかも、観終わったあとに、記憶に残るクライマックスもきちんと用意されている。とても上質のウェルメイド・プレイとでもいうべきだろうか。
この監督には「人間という種目」への尽きることのない興味があるのだと感じる作品だった。
リアル感のあるヒューマンドラマ
逮捕された映画監督の力になろうと集まった旧友を中心に繰り広げられるヒューマンドラマである。感情の起伏、ぶつかり合いが丁寧に描かれており、あっという間の110分間だった。主演の女優さん、その他役者さんの演技も良かった。妙なリアル感があるのは、監督自身の逮捕経験に基づき作った作品だからなのであろう。
もし自分が犯罪者になってしまったら、どれだけの人が助けてくれるだろうかということを考えさせられた。
公開初日で監督や俳優さんの舞台挨拶を見ることができ、大満足であった。
太田真博監督映画
ずっと太田真博監督を応援し続けている者です。
太田監督の映画は、いつも役者の演技が引き出されて、その演技に圧倒されます。今作では、特に終盤の松下倖子さんの演技に惹き込まれました。太田監督逮捕前の滝藤賢一主演の映画「笑え」でも、TVドラマでの演技には見られない滝藤賢一の凄みが引き出されていたと思います。
背景・シナリオがかなりマニアックなので、前半部分は頭の中に?が多くなり、後でその?は大体消化されたのですが、もう一度最初から見てみたいなと思いました。
逮捕のタの字もない、より万人受けするテーマでの太田監督の次回作を見てみたいです。
ある意味、これこそが「人間賛歌」。
誰かの逮捕によって、なにも変わらない人達もいれば、逆にその事実によってアッサリと崩壊する人間関係もある。
変わらないのが素敵なのかと言えば、そんな感じでもない。単なる再会のきっかけ?ただの雑談のネタ?変わるも変わらないも、結局は他人事なだけなのかなぁと感じさせられ、それはそれでなんとも気持ちが悪い。
崩壊してしまう関係性は、側からみたら酷い話に見える。過ちを犯していない人間なんていないだろ、と鑑賞中は正義感ぶった思いにかられるが、これが実際におきたらどうだろう。例えば履歴書に「逮捕歴あり」とあったら、そりゃやっぱり採用するのには躊躇するだろうなぁ、とか。それでも逮捕された事実だけを見て人間否定する映画の登場人物を観て、やっぱり悪人のように思ってしまう。自分も同じ部分があるハズなのにね、むしろこっちがプロトタイプな考え方かもしれないのにね、これはこれでなんとも気持ちが悪い。
要するにそういう気持ち悪さがいっぱいある、そういう映画ではあるのだが、おそろしい事になぜだか鑑賞後の不快感は、ない。こんな気持ち悪い世界で暮らしたくないな、ともモチロン思わないし、どちらの気持ち悪さにも該当するかもしれないと感じさせられた自分自身を、反省したいなともなぜだかやっぱり思わない。
なんでだろう。
これは、根底にある作り手の人間愛のようなものが大きく作用しているのかなと感じた。
なにかを誰かを否定してるわけでは決してなく、ある意味、これこそが「人間賛歌」。
さ、こんな世界で今日もがんばるか。と、不思議と心が軽くなりました。術中にハマったのだとしたら、これはこれでやっぱり大いに気持ちが悪い。笑
染田の不在に太田監督の実存的覚悟を見た
解説のとおり、映画監督「染田」が逮捕された後の仲間たちが、「染田」につにいて繰り広げる言葉のやりとりが中心の会話劇です。
「染田」本人のセリフはありませんが、会話の大半は「染田」についてなので、登場人物は①不在として存在する「染田」と②仲間たち、ということになりましょう。
上映後しばらくは、演劇っぽいというか人工的な会話のやりとりに若干違和感を感じましたが、役者さんたちの熱演もあり、結局110分間飽きることなく会話に引き込まれました。
先述のように、「染田」がその不在によって逆に際立つ構造になっているため、途中までは、太田監督が「染田」に投影して自分語りをしたいのかと誤解しました。
しかし、太田監督が会話のやりとりを通して描きたかったのは、自分のことではなくて、仲間たちのこと、社会のこと、彼らの中に張り巡らされている人間関係の網の目のようなものなのだと途中で理解しました。
「染田」の不在は、太田監督が自分語りをしたいからではなく、単に太田監督視点の描写になっているからであって、それは事件を引き受け、自分の視点で語ると決意したことの帰結なのではないでしょうか。
作品の中で「見える人にしか見えないチケット」の話が出てきます。これは示唆的なメタファーと感じました。個別具体的な個人の体験を下敷きにした本作品が多くの方の共感を得られるか、諸氏のご判断によると思いますが、見て損はないと思います。
異なる友情のかたち
異なる友情のかたちを妙にリアルに描き切った作品。
太田監督にとっては今作品が初の長編劇場公開作品と伺った。
作品中には様々なメッセージや工夫があり、役者の好演も併せて作品に引き込まれました。
染田を疑いなく救おうとするシンプルな友情だけではなく、苦しみながら見捨てようとしながらもまた戻ってサポートする友達の固い意志や、嘲笑しているようで最後まで見捨てていない友の優しさを、各メンバーが異なった形で表現しており、監督や役者のこのテーマへの細かい気配りを感じました。
また、監督が自身の逮捕という現実から目を背ける事なく、今後も背負って強く生きていく覚悟をこの作品から受け止めました。
現実に起きた事実は肯定的に捉えられない事ですが、それとは別として太田監督のように社会的に立ち直ろうとしている人の眼にはブレない強さやハートがあります。
彼の今後に様々な困難があるかもしれませんが、背負ったものも含めて必ずまた社会が評価すると確信しました。
その最初の一歩に立ち会えた今日に感謝です。
観客は内輪の人じゃない
他人のアカウントでなりすましを行ったことで不正アクセス禁止法で逮捕された映画監督を心配する、大学時代の演劇仲間たちの話。
劇中劇のゲネプロでのダメ出しに始まって、何か掲げたり喋ったりするワードを拾っては弄くりかっ掘じりという、ガキや酔っぱらいの内輪ノリの様などうでも良いことの連続でだんだとまどろっこしくなっていく。
それを全部無くせとは言わないけれど、会話の半分はいらない内容じゃない?
言葉ではないけれど自転車の件とかも正にそれで、海老が載り過ぎでだるいこと。
口だけにしか感じられないヤツとか、流されて掌返しのおばちゃんの件とか、ちゃんと面白いものもあったんだけどね…過ぎたるはなんちゃらっていうことで。
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