風よ あらしよ 劇場版のレビュー・感想・評価
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それを百年前に主張していた人
昨年が関東大震災百周年という事は、そのドサクサの最中に虐殺された伊藤野枝と大杉栄の百回忌でもあったのです。恐らく、その区切りを意識して作られたのであろうNHK制作の劇場ドラマです。
伊藤野枝の激動の人生を2時間にまとめるには駆け足にならざるを得ず、大杉栄を中心としたドロドロ恋愛劇は抑制気味でしたが、よくまとまっていました。そして、今更こんな事言うのも失礼ですが、吉高由里子さんはやっぱり上手いなぁ。それ故に、今年の大河ドラマに起用されたのだろうし、その宣伝を意識して本作の主役にも抜擢されたのでしょう。
いや、それにしても百年前に女性の権利をあれだけ先鋭的な形で主張をしていたのは驚きだなぁ。彼女の論文を読んでみよう。
個人史であり事件史
男尊女卑の風潮が色濃い明治大正の世を、女として、アナキストとして駆け抜けた伊藤野枝。その短くも激しい生涯を描いた作品である。
原作は村山由佳による同名の評伝小説。伊藤野枝と言えば、甘粕事件で大杉栄とともに殺された愛人という認識しかなかったのだが、福岡県今宿の出身であること、平塚らいてうから青鞜を引き継いだことなどは、この小説で初めて知った。原作には大杉栄や平塚明(らいてう)の視点から描かれた章もあるが、映画では一貫して野枝の一人称で語られる。
主演が吉高由里子であること、最初は単なる田舎娘だったのが徐々に才能を発揮してゆくこと、福岡での結婚生活を捨てて上京、己の愛に生きること(これは蓮様だが)などから、「花子とアン」を連想せずにはいられない(石橋蓮司や山田真歩まで出てくるし)。と思ったら、演出の柳川強は「花子とアン」のディレクターも務めていたということで納得。
元々はテレビで3回にわたって放映されたドラマ(こちらは未見)の劇場版らしいが、どうしても朝ドラの総集編めいた感じは否めない。特に辻潤(稲垣吾郎)、大杉栄(永山瑛太)など、最初魅力的に見えた野枝のパートナーたちが、直ぐにダメ男になり下がる展開の速さには違和感を覚えた。その反面、自由奔放で純粋な野枝の強さが際立っており、なぜ男に従わなければならないのか、なぜ女だけ自由がないのかと、自分自身を貫く生き様は丁寧に描かれている。
タイトルの「風よあらしよ」にしてもそうだ。これは「吹けよ あれよ 風よ あらしよ」(「吹けよ風 呼べよ嵐」ではない)という野枝の言葉に由来する。風やあらしが世間の荒波だとすると、それを避けるのではなく敢えて立ち向かうという、彼女の信念が伝わる良いタイトルだ。しかし、この作品は伊藤野枝という女性の一代記であると同時に、当時の事件史でもある。
甘粕事件は関東大震災から2週間後に起こっている。「福田村事件」(こちらにも永山瑛太が出ていた)と同じく流言飛語に過剰反応した結果の悲劇だ。そして、大杉栄が自分の原点と語った足尾鉱毒事件。「なぜ同じ人間なのに、この人たちだけが辛い思いをするのか」という野枝の声を「単なるセンチメンタル」と切って捨てる辻。そして半ば強制的に村民を追い出し遊水地を作った政府と、言論統制に屈したマスメディア。それらに異を唱えた野枝は、もういない。
歴史は繰り返す。令和の今も状況はさして変わらない。濃密な恋愛模様を描き、ジェンダー問題を取り上げただけでなく、「声を上げなくても良いのか?」と問いかけるような社会批判も内に含んだ、油断できない作品だった。
伊藤野枝と大杉栄、100年前の二人の生きざま。いつまでも語り継ぐべき物語。
NHKで放送されたドラマを映画化したもの。伊藤野枝を吉高由里子が演じているとあって興味を持った。2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」でも主役。そして藤原 道兼役の玉置玲央がこの映画でも出てくる。
以前、韓国映画「金子文子と朴烈(パクヨル)」も見た。いずれも史実に基づく映画であるが、この韓国映画の迫力・衝撃が忘れられず。いずれにしても、二つの物語を見て女性の抑圧された境遇と凄まじいまでの信念と生きざま、100年前の政治的圧力、弾圧、民衆の暴走の恐ろしさを感じた。
★ 女性解放運動に邁進する伊藤野枝(吉高由里子)の波乱の人生、力強い意思を持ち行動する女性の物語。そしてアナキスト大杉栄(永山瑛太)との出会い。ほぼ百年前の1923年の関東大震災で国家反逆思想で捉えられ1923年9月16日二人は殺害される。甘粕事件。
★ 韓国映画「金子文子と朴烈(パクヨル)」2019年日本公開。朝鮮と日本で活動したアナキスト(無政府主義者)の朴烈(パクヨル)と、朴に共鳴した日本人女性アナキスト金子文子を描いた映画。関東大震災朝鮮人虐殺事件の中で捉えられ、裁判を経て無期懲役となる。金子文子は1926年7月23日獄中死する。朴烈は生き延び韓国に帰国1974年1月17日死去。韓国人俳優らが日本語・韓国語で演じている。Prime Video で見れる。
★ 伊藤野枝と大杉栄はあっさりと殺され、葬られる一方、金子文子らは日本人弁護士の惜しみない努力も実り裁判、恩赦もあり無期懲役に。しかし、朴烈を思い続け金子文子は3年後に死亡、しかし朴烈は50年後まで生き続ける。
★ 伊藤野枝・大杉栄の話は有名でよく取り上げられ、テレビ放映の劇場版であることで個人的には物足りなさもあった。でも、この話をあまり知らない人にはとても印象に残る展開であろう。
★ 配給は「太秦」。福田村事件も取り上げている会社。
吉高由里子は吉高由里子だと思う
NHKドラマの劇場版ということで、正直、気が進まなかったのですが、
吉高由里子主演なので観ました!
吉高由里子が好きだからよいのですが、
吉高由里子は何をやっても吉高由里子だな・・・と感じます。
本作も吉高由里子は熱演していますし、難しい役どころだったと思いますが、
やってのけた感があります。
特にラスト近くの予告編でも使用されていた「犬っ、犬っ!!」というセリフの発声が
実に迫力があり素晴らしかったです。
史実とは言え、登場する男性がほぼクズというのも笑えました。
稲垣吾郎が良い人の役なはずがない!という先入観で見ていましたが、やはり(笑)という感じでしたね。
人が良さそうな男性は、玉置玲央演じる村木源次郎と石橋蓮司演じる渡辺政太郎でした。
このふたりに救われた映画でもあったと思います。
吉高由里子の主演作が楽しみですが、今の大河ドラマ後でしょうね。
伊藤野枝のドキュメンタリー
伊藤野枝のドキュメンタリー
1895年(明治28年)1月21日-1923年(大正12年)9月16日)28歳没
旧糸島郡今宿村、今の福岡県福岡市西区今宿 生まれ
序説
関東大震災後の混乱のさなか、ひとりの女性が憲兵に虐殺された。
女性解放運動家の伊藤野枝。貧しい家で育った野枝は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受け、結婚をせず上京。自由を渇望し、「青鞜社」に参加すると、結婚制度や社会道徳に異議を申し立てていく。
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「女は、家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従う」事が正しく美しいとされた大正時代。
男尊女卑の風潮が色濃い世の中に反旗を翻し、喝采した女性たちは社会に異を唱え始めた。
福岡の片田舎で育った伊藤野枝は、貧しい家を支えるための結婚を蹴り上京。
平塚らいてうの言葉に感銘を受け手紙を送ったところ、青鞜社に入ることに。
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青鞜社は当初、詩歌が中心の女流文学集団であったが、やがて伊藤野枝が中心になり婦人解放を唱える闘う集団となっていく。
野枝の文才を見出した第一の夫、辻潤との別れ、生涯のパートナーとなる無政府主義の大杉栄との出会い、
波乱万丈の人生をさらに開花させようとした矢先に関東大震災が起こり、理不尽な暴力が彼女を襲うこととなる。
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登場人物は以下の通り
伊藤野枝(吉高由里子)
1895年(明治28年)1月21日-1923年(大正12年)9月16日)28歳没
大杉栄(永山瑛太)
1885年(明治18年)1月17日-1923年(大正12年9月16日)36歳没
平塚らいてう(松下奈緒)
1886年(明治19年)2月10日-1971年(昭和46年)5月24日)
辻潤(稲垣吾郎)
1884年〈明治17年)10月4日-1944年〈昭和19年〉11月24日)
神近市子(美波)
堀保子(山田真歩)
甘粕正彦(音尾琢真)
渡辺政太郎(石橋蓮司)
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集英社文庫「風よ あらしよ」下 終章 終わらない夏 364頁-369頁 より引用します。
関東大震災 麹町の東京憲兵隊本部に連行された野枝。甘粕正彦大尉との面会
野枝「だから、いったい何の話です」
甘粕「愚民どもが混乱すればするだけ、貴様ら主義者にとっては好都合ってわけだ。おい、お前だってどうせ、この国が早く滅びてしまえばいいと思ってるんだろう、ええ?この淫売の国賊め」
思わず失笑が漏れた。
「失礼ですけど、それは見解の相違でしようね。
「生意気な口をきくんじゃない。お前が爆弾を用意しているという報告も上がってきてるんだぞ」
「私がですか? 爆弾を、まあ怖い」
「やかましい!俺を、いや、国家を愚弄する気か!」
野枝はため息をついて「愚弄しているのはあなたのほうでしょう」
「なんだと?」
「愚かしいといったらないわ。私たちをどこまでも厳しく取り締まって、涙どころか血の小便も出ないくらい絞り上げて、捕まえればろくに取り調べもせずに粛清する。そうすることで民衆に、逆らえばこうなるんだっていう恐怖を植え付けて何も言えなくさせているんだわ。ねえ、あなたがた、批判されるのがそんなに怖いの?きっとそうなんでしょうね。」
「見たところ、周りに置くのは絶対に盾突くことのない人間が、いざという時に二つ返事で動いてくれる脳みそのない兵隊ばかりのようだし」
「貴様・・・よくもべらべらと」
「ええ、この際ですから言わせてもらいますとも。私は黙らないわ、あなたの部下じゃないんですから、従う義理なんかありませんからね。とにかくはっきりしていることは、あなたちは民衆の幸福なんか少しも考えていないってことよ。考えるのは、どうしたら自分たちの地位が脅かされずに済むか、どうしたら今より出世して弱い者から搾取できるかってことばかり。そうでしょう?」
甘粕が、冬眠しはぐれた熊のように低く唸る。間近に見ると、眼球の白目の部分が真っ赤に染まっている。
「口のきき方に気をつけろよ。女だからといって、特別扱いはせんぞ」
「望むところですとも」
一歩も引くまいと甘粕を睨み上げる。丸っこい鼻孔がひくひくと動き、こめかみに憎々しげな青筋が立つのを見て」、ザマアミロと思った。
「いいから大杉を返してください」
甘粕は答えない。
「家で子供たちが待っているんです。生まれてすぐの赤ん坊もね。あなたがたの知りたいことなんか私たちは何も知らないし、今は何ひとつ企てていません。とにかく、早く家に帰らせて」
「貴様らにのような頭のいかれた連中を、はいそうですかと野に放つほど、この俺がお人よしに見えるのか」
野枝、再び長いため息ついた。お話にならない。
「あなたなんかと議論したくないわ」
「議論?」甘粕が嘲り笑う。「女のくせに、俺と議論だと?これだから主義者は」
「関係ないでしょう」
「無政府主義は、建国のおおもとを揺るがす国家反逆思想である!」
甘粕は声を張り上げた。大杉がいつも言うところの「お題目」だ。思わず笑ってしまいそうになる。
「貴様らが今、この非常時につけこんで、国家の転覆を謀ろうとしているのは分かっておるんだ。そうはさせさせるか。」
「ですからそれは、何らかの誤解か悪意あるでっち上げです。だいたい、あなたのいうことは矛盾してますよ。ほんとうに私たちがこんな国なんかどうなろうと構わないと思っていたら、自分の命を危険にさらしてまで運動をつづけようとするはずがないじゃありませんか。そうでしょ?まったく 馬鹿も休み休み言ってくださいな」
「なにを?」
「考えてますとも。天下国家じゃあなく、民草一人ひとりのことを。私たちはちゃんと自分の頭を使って考えているんです。ええ、あなたがた「犬」」と違ってね」
顔の左側が爆ぜた。
椅子からころげ落ち、うつぶせに床に倒れ込んで初めて、頬を張られたのだと気づく。
「な・・・・」
何をするのだと言うより先に、髪をわしづかみにされた。
「犬、と言ったか?」
ぐいと引き起こされ、悲鳴を上げたとたん、床に思いきり顔面を打ちつけられる。強烈な痛みだ。
「もういっぺん言ってみろ。誰が犬だと?貴様か?」
引き起こされ、再び打ち付けられる。
「そうだろうな 這いつくばって床を舐めるのが好きなようだし」
三度の衝撃。鼻骨の砕ける感触を耳が聞く。
どこかで子どもの泣き叫ぶ声がする。いや、風だろうか。自分の呻き声が邪魔で耳を澄ますこともできない
後頭部を掴んでいる手が、ようやく緩んで離れていった。立ち上がる気配がする。
脈打つ痛みに意識は遠のく。必死にこらえて、まぶたをこじ開ける。細かくかすんだ視界、顔のすぐ近くに甘粕の革靴がある。その靴のかかとにべっとりと、自分のものではない血液が付着しているのを見て、野枝は覚った。
全身から力が抜け落ちる。
最後に見た、あの澄んだ目・・・彼の、眼。
革靴の向こう側、床板の彼方でドアが開き、部下が一人入ってくるのがぼんやり見える。振動が耳に響く、這ってでも逃げたいのに身体が動かない。いつのまにか子供のなき声も止んでいる。
(ああ、宗坊)
それだけは信じたくない、いjくら憲兵でもあんなに小さな子どもまで手にかけるはずが・・・
近づいてきた靴が、すぐそばで止まった。蹴り転がすようにして仰向けにされると、天井からぶら下がる明かりが目に突き刺さる。太陽のような丸い明りの中に、黒い頭が二つ。涙と血と逆光で、顔は見えない。
「合いたいかね 旦那に」
甘粕の声が降ってきた。
「合わせてやろう」
脇腹に靴先が食い込み、野枝は身をよじった。別の靴が顔を蹴る。胸を、腹を踏みつづける。何度も、繰り返し。
湶が折れ、内臓のどれかに刺さる。
ああ、死ぬのだ。
張り詰めた乳房を踏みにじられたとたん、熱いものがほとばしり、服を」内側から濡らした。腕を掴んで引き起こされ、、背後からは太い腕が首に巻きつく。もがきながら鼻からわずかに吸い込む息に、血と乳の匂いが入り混じる。
締まってゆく、頭がぱんぱんに膨れあがる。だめだ。破裂する。
暗転前の一瞬・・・子らの顔が浮かんだ。
一本気な女性の生涯
NHKBSで放映されるときから気になっていたが、テレビで見るには重すぎる感じがして見そびれていた。今回劇場公開されてじっくり観たが、スクリーンで観るだけの風格のある作品となっている。
とにかく主人公伊藤野枝の一本気さ、純粋さに目をみはる。当時の男尊女卑の社会の中で、自らの思いを貫き通したことが、いかに凄いことか。結末を知っているだけに、ハラハラしながら観てしまう。
「恋多き女」のイメージで語られてきた彼女だが、史実は別にして、それぞれの決断が必然であったように描かれている。ちなみに、辻潤の尺八好き、大杉栄の吃音は史実どおりのようだ。
彼女の最期は、はっきりとは描かれないが、「福田村事件」といい、関東大震災から100年というこの時期に思い起こすべきもの。それにしても、甘粕大尉がこの後、満州国のフィクサーになるのだから、おそろしいものだ。
俳優陣は、脇役も含めてNHKの大河や朝ドラでお馴染みの面々。吉高由里子は、以前は舌足らずな話し方が気になっていたが、すっかり女優としての凄みや貫禄が出てきた。
吉田喜重の「エロス+虐殺」もどこかで観られないだろうか。
元がドラマだったのか
知らなかった
監督の言葉を聞く機会が運良くあって、
「あったことはあったこと」
「なかったことはなかったこと」
を徹底したと誠実で真摯な言葉を聞けたのが良かった。
本当にその通りの映画であったと思うし、
また、大杉の吃音についても、
「吃音のある人が言論を説く」
ということを描いていたのが良かった
伊藤野枝の嘆きが聞こえた。「ああ、100年経っても、たったコレっぽっちしか進歩してないの?」。 嘆いた後きっと激怒。 たぶんスッゲー怖えー。
伊藤野枝の人生が描かれる。けっこう波乱万丈なのに、かなり駆け足で話が進む。2時間映画で10本はできるエピソード満載だと思う。
女性も男性も自立するにはまず経済的自立だと思う。それは別に労働でお金を手に入れなくても、家賃収入、親の遺産、株の配当、宝くじ、犯罪じゃなきゃなんでも良い。とにかく住む所と毎日の食事だけを確保できる金がなければならない。食料自給自足でも医者にかかるには金が要る。
「青踏」も売れねば金が尽きて組織が続かない。志しは良いが時代が早すぎた。だけど決してムダではなかった。それどころか短くともその熱い思いと志しは間違いなく多くの人に影響を与え、現代に伝わっていると思う。
平塚らいてふと青踏は今で言うフェミニズムの人と雑誌という知識だけだ。伊藤野枝、大杉栄については名前は聞いたことがあるだけだ。震災後の社会主義者の殺害は、「福田村事件」(2023年)で初めて知った。
伊藤野枝が今の時代によみがえったら、まず嘆いてそのあと激怒すると思う。
ああ、100年後でもまだこんななんだ。いちおう私の時代よりかは女性が経済的自立をしやすくはなった。でもまだまだ全然だとダメ出しするだろう。
伊藤野枝が「民衆のこと考えないやつが権力握ってる」みたいなこと言う。それは今の日本の政治だと思った。
以下、映画には関係ない僕の意見(ほぼ他人の受け売りですが)
僕は、まず国会議員と閣僚をクォーター制度で女性半分以上にしなけければならないと思う。もちろん能力がないのに女性だからというだけではダメで、最終的には有能な者がやらなければならないのだが、それまでの過渡期として能力が高くない女性が含まれてもイイから女性が半分いることが重要だと思う。
女性が半分いることで何が変わるかというと、政治を行う時に、何を重要政策課題とするか、何を最優先政策とするかが必ず変わってくる。すると社会が変わる。
重点課題、優先課題を決定する場に女性が50%いるか30%いるか0%かで、それぞれ違ってくると思うがやってみないとわからない。30%じゃダメでヤッパシ50%以上だと思う。
現在は能力も高くないのに男だからという理由だけで、国会議員、閣僚になってるから日本が良くならないんじゃないか。だけど、能力が高くないのに男だけだからというだけで国会議員、閣僚になっているのに、取りあえず日本は何とかなっている(たぶん)
だから能力主義になるまでの過渡期として、女だからという理由だけで国会議員、閣僚を半分にしても、これ以上日本は悪くならないのですよ(たぶん)
関東大震災直後の騒乱時に起きた甘粕事件のことを映画化
女性解放活動家であった伊藤野枝の生涯を描いた映画。野枝は関東大震災後の騒乱のなか女性の権利について世間に異議を唱え続けたひと。
ところが野枝は関東大震災後の騒乱で巻き起こった朝鮮人による日本人の虐殺と言うデマを流布したと憲兵隊から疑われ、夫婦と6歳の甥が虐殺され井戸に遺棄された。
この事件は満州国建国に影響を与え終戦と共に服毒自殺した甘粕正彦による命令によるものとされ、甘粕事件と言われています。
この映画を観たのは昨年公開され話題となった、福田村事件と時代背景が同じだと感じたからです。
とても重い内容ですが、伊藤野枝やその内縁の夫である大杉栄が女性の権利のために権力に抗ったと言う事を初めて知りました。
あまりに贅沢な伊藤野枝入門
伝記映画が好きです。
主人公のことをよく知っている場合もあるし、ほとんど知らない場合もあります。
フィクションの度合いが強いものもあるし、裏付けに基く事実をなるべく忠実に映像化するものもあります。
さて私は、伊藤野枝さんのことをよく知りませんでした。乱暴に言うと「恋愛体質の左翼活動家」だったんですね。この方、途轍もなくドラマチックな人生を送った方なので、2時間程度の映画では到底尺が足りない!ストーリーを駆け足でなぞる様な構成なので、フィクション性はあまり強くないと思います。
伊藤野枝のドラマチックな人生を存分に堪能するには本作だけでは物足りない気がしますが、ダイジェスト映画というにはあまりに上質!
本作をきっかけに、これから活字媒体などで伊藤野枝さんのこと、もっと深掘りしていきたいと思いましたよ。
良くできた伝記物語
前年に『ルイズ その旅立ち』と『福田村事件』を観ていたが、伊藤野枝氏と大杉栄氏の思想について、新しくわかったことも多々あった。福岡からの出奔経緯、平塚雷鳥氏との関係、辻潤氏との関係、大杉栄氏の女性関係。特に、大杉氏が当時の思想家としては優れていても、気後れせず、二度も堂々と批判しているのは素晴らしい。大杉氏の無政府主義の説明を女王蟻なき相互扶助の働き蟻社会だと説明しているのもわかり易かった。パンフレットには、伊藤氏が、自分の故郷の村に存続している組合制度を例に説明した文章が掲載されていた。連想するのは、パリ・コミューンだったり、オーエン氏の協同組合論だったり、カミュ氏の抵抗論だったり、『カムイ伝』だったりする。「無政府主義」という用語は、誤解を受け易いものだと思われる。パンフレットにある吉高由里子氏の伊藤氏評は素晴らしい。
『ルイズ その旅立ち』にあって、本作になかったのは、甘粕事件で巻き込まれた大杉氏の甥の橘宗一氏がアメリカ国籍ももっていたため、アメリカ大使館にも届け出がなされており、警視庁も無視できなかったという重大な事実である。本作では、大杉氏の仲間を演じる玉置玲央氏が伊藤氏の長女と仲良く遊んでいて、NHKG 大河ドラマでは、吉高氏演じるまひろと仇役であるのが皮肉である。
『福田村事件』は、震災から6日後に起こったものだが、それまでの経過を時間をかけて描いていたので、本作で甘粕事件の起きるまでの16日間を短く描いて十分ではなかった部分の背景を思い描くことができた。
真っ直ぐ
27本目。
ボーは観ようと思ったけど、この後の予定と、尺の長さにと、こちらに変更。
100年前の出来事と思うと、ここまで来たのか、ここまでしか来てないのか、と言う思いが交差。
でも、前向きに捉えるべきなのか、でも真っ直ぐな強さを感じる。
セリフの微妙な所に、現代語訛りがあったりするのは、NHKさんどうなのと思うけど。
混乱の時代、知らない事ばかり
大正時代の男尊女卑の中に女性の権利を求め声を上げた女性の物語。
実在した婦人活動家が軍に捕えられ虐殺される運命を辿るのだがその背景には「関東大地震」の余波による理不尽な暴力にも大きく関わっていた。
過日観た「福田村事件」と時代背景が同じであり出演した瑛太さんが被って居いて当時の混乱した社会が浮き彫りになっていた。
憲兵の権力のあり方を統率出来なかったのが残念でなりません😢
戦争や社会問題を扱ったドラマだけに同時の女性の立場が窺えた。
既にNHKでドラマ化になっていたとは知らなかったが貴重な伝記でした。
なんとも感情移入が難しかった。
肝心の伊藤野江さんや大杉栄さんに感情移入がしづらい映画だった。二人に限らず好きになれそうな人がなかなか出てこない。唯一いい人だなあと思えたのが、悪代官(お主、悪じゃのう)のおじいちゃんだったのは笑えた。
ちょうど同じ頃を描いた「福田村事件」のようにヒットしてしまったら、(主義思想からではなく)「なんか違うよな・・・」と思わずにはいられない。
知識がなかった人(私のこと)に、調べるきっかけとしてはよいと思うが、映画としてはなあ・・・という感じである。
とはいえ、私にとってはなぜか愛多き人のイメージだった伊藤さんについて、少しは調べてみようかなと思えたのは収穫だった。
滑舌よくなった吉高ちゃん
「危険なビーナス」「大河」や「星降る夜に」などより、吉高ちゃんが自然な演技だと感じました。
映画のコピー「野枝生きます」の意味とラスト・シーンが???でした。
不要なシーンは雑誌を継ぐ以降の描写は、世間の風当たりから、すぐに終わらせて、良かった気がしました。
死や暴力シーンが坦々と描かれていて、後味が悪くなかったのが、良い演出(NHK的)だったと思います。TV版見てましたが、シネマサイズに俳優陣は負けてないですね。ヒット作にはならないでしょうが、見て良かったと思いました。映画全般の作りは良いです。
点数は吉高演技の沼にハマってるので+0.5です。
良かったです 吉高由里子は大河含め、 俳優としてはどうかと思って見...
良かったです
吉高由里子は大河含め、
俳優としてはどうかと思って見てましたが、
これは違和感なく見られました
多分、これは当たり役で、他のはキャスティングミスなのかな、
と個人的には感じてます
変えたい。
大正時代に生きた伊藤野枝(吉高由里子)の話。
元教師で元旦那でもある辻潤(稲垣吾郎)から聞いた「元始、女性は実に太陽であった」という言葉を聞き、知り、この言葉を信念に結婚制度、女性への偏見を変えていこうとした伊藤野枝のストーリー。
吉高由里子さん演じる伊藤野枝、芯が強くブレない、男に対しても怯まない感じが男から見てもカッコ良く…、私自身、歴史にも興味ないし歴史上人物にも全く興味はないんだけど、彼女の芯の強さに引き込まれ、これから日本をどう変えてく?何て思って観てたんたけど、中盤過ぎ辺りから何か恋愛話の様な感じになってしまって何か残念。
個人的に恋愛模様ではなく彼女がやってきた事、残した事の描写が観たかったってのが正直な感想。
終盤の関東大震災からは「福田村事件」思い出しちゃって、永山瑛大さんも出てましたからね(笑)あと永山瑛大さん演じた大杉栄のどもりの演出はいらなかった様な。
でも、こういう方達がいたからこそ今があるのよね。感謝です。
ドラマ版を観ていたら意味なさそうだが、伊藤野枝を知るには良い教材なのかもしれません
2024.2.12 MOVIX京都
2024年の日本映画(127分、G)
NHK-BSにて放送されたドラマ版を編集した作品
実在の人物、伊藤野枝の半生を描く伝記映画
原作は村山由佳の『風よ あらしよ(2020年、集英社)』
演出は柳川強
脚本は矢嶋弘一
物語の舞台は、明治44年の福岡県今宿村
15歳になったばかりの野枝(吉高由里子、幼少期:湯本柚子)は、親の言いなりで結納を済ませる事になったが、本心ではその不自由に憤りを感じていた
野枝は東京・上野にある高等女学校に進学し、そこで英語教師の辻潤(稲垣吾郎)と出会う
彼の授業の中で、青鞜社を立ち上げた平塚らいてう(松下奈緒)の雑誌を知った野枝は、その言葉を胸に上京を決意することになった
許嫁の末松福太郎(池田倫太郎)を突き飛ばして家を出た野枝は、高校時代の辻の言葉を信じて、彼の元に転がり込んだ
辻は、「ここで好きなだけ暮らせば良い」と言い、野枝はそこを根城にして、青鞜社を訪ねることになった
平塚は彼女の手紙に甚く感動し、彼女を青鞜社で働かせる事に決める
だが、青鞜社の状況は良くなく、政府から目を付けられ、その内容から脅迫などが絶えない状況だった
そんな折、野枝は平塚の計らいにて、青鞜社の演説会にて登壇し挨拶をする事になった
野枝は思いの丈を語り、辻はそれを機に彼女との距離を取り始め、アナキストの大杉榮(永山瑛太)は彼女に興味を持ち始めた
社会活動化の渡辺政太郎(石橋蓮司)の引き合わせによって大杉と会うことになった野枝は、徐々に彼の人柄と思想に傾倒していく
そんな様子を良く思わない辻だったが、彼は教師を辞めて無職状態、大杉との仲を感じ取り、野枝も覚悟を決めることになったのである
映画は、伊藤野枝の女学校時代から甘粕事件にて命を落とすところまで描いていくのだが、肝心の甘粕事件に関しては「あったのかなかったのかわからない」くらいにぼやかされている
彼女が暴行を受けるシーンもなく、ただ大杉の亡骸にしがみついて咽び泣いているだけで、その後は冒頭で使われた「井戸の中から空を眺めるショット」にて、井戸の中に遺棄されたことを仄めかしているだけだった
伊藤野枝について、この映画で学べることは少なく、彼女がどのような書物を記し、どのような思想で弾圧されてきたのかは結構端折られている
甘粕事件の全容もほぼふれられず、甘粕正彦(音尾琢真)が登場するものの、そこでは大杉がリンチを受けていることがわかる程度だったりする
さすがにNHKのドラマで女性の拷問シーンをやるわけにはいかないので当然だが、劇場版と言うからには、追加撮影で過激なシーンを加えるのかと思っていた
だが、おそらくは3話のドラマを繋ぎ合わせた総集編となっているので、ドラマを観ていた人が敢えて観る必要はないように思える
いずれにせよ、映画だけでは伊藤野枝の凄さがほぼ伝わらず、何かを成し得たようにも思えない
貞操観念が弱めで、男運が悪いようにしか思えず、演説のシーン以外で見どころがない人生に思える
新しい女性を掲げて活動していたが、彼女の活動によって何が変わったのかもわからず、単に引き継いだ青鞜社を潰しただけのように描かれているのは微妙に思えた
ちなみに映画でも引用される「吹けよ あれよ 風よ あらしよ」と言う言葉は「青鞜」の中で記された言葉で、今では伊藤野枝選集のタイトルにもなっている
その言葉の続きを知るならば、それらの選集に目を通し、どのような思想でどのような言葉を紡いだのかを確認した方が良いだろう
本作およびドラマ版は「伊藤野枝と言う人物がいた」ということを知るきっかけでしかないので、そう言った意味においては価値があるのかもしれません
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