サン・セバスチャンへ、ようこそのレビュー・感想・評価
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まんまと嫌味な罠にはめられる
映画監督の広報担当の妻と共にスペインのサン・セバスチャン映画祭を訪れ、妻の浮気を疑い右往左往するというウディ・アレン得意分野のお話です。でもね・・
名作映画や哲学者の言葉を引用するのはウディ・アレンの得意技でそれがちょっと嫌味な所でもあるのですが、本作はちょっと遣り過ぎではと感じました。映画のパロディが10作近く次々と繰り出されるのですが、「市民ケーン」「皆殺しの天使」「第七の封印」は原作を知らなければ「これ、何の事?」と戸惑うでしょう。「分かる人は笑ってね」という造りは、若い人を映画館から遠ざける事になりはしないでしょうか。
でも、僕の様な半端な映画ファンに「僕は分かっているよ」とこんな風に話題にさせるのも彼の作戦なんだろうな。そして、スノッブな人間はまんまとその罠にはまってしまったという訳です。
一方で、幼い養女に対する性加害疑惑(関係書籍を読むと、その真相はまだ謎の模様)でアメリカ映画界では完全に干されたと聞いていたウディ・アレンの映画が米本国ではどう公開され、どう評されているのでしょう。
NYの寅さんが今度はスペインへ
クリストフ・ヴァルツ目当てで見ました。クリストフ演じる死神が立ち去る時のメッセージはとても親切で表面的で皮肉でよかった。思いがけず「勝手にしやがれ」の若くて美しいベルモンドに出会えたのはサプライズで嬉しかった!あとは最初から最後まで「ウッディ・アレン」映画、お腹いっぱい。
ゴダール以外では「市民ケーン」「男と女」「8 1/2」(他の映画はわからなかった)のモノクロ・変型版が楽しかったし、主人公がひたすら昔の日本映画(稲垣監督や黒澤監督)について語る場面で同席のみんながしらけていたのは笑えた。でもちょっと悲しかった。正しい日本語で日本映画の監督や俳優の名前を挙げるのがスノッブに響いたんだろうか。それとも、どこの映画?わかりましぇーん!が普通の欧米人の反応なんだろうか。いずれにしても映画監督はシネフィルであって欲しい。その点、ウッディ・アレンはいい監督。
鑑賞動機:あらすじ1割、時間が空いた9割
何ですかね、この気持ち。同類嫌悪でしょうか。いやこんなに知識ないですけど、蘊蓄垂れ出したら止まらないとか、とにかく何か一言言わずにはいられないとか。もう少し好感の持てる人物だったらまた違ってたろうに。
むむ
見るタイミングを間違えた。大事な電話がかかってくるかもしれない、でも88分ならなんとかなるか。そんな気持ちで見たら、あまり進展もないのですごく長く感じた。
そもそもクラシカル映画への造詣がないからオマージュが全然わからない。サンセバスチャンの風景を楽しみにしていたが海辺以外はそこまでピックアップされない。映画祭もほとんど出てこない。となると残るのはひたすらイライラさせられる登場人物ばかり。
モートさん、図々しすぎ。女医さんよくドライブ付き合ったな。そして仮にも妻のクライアントに失礼すぎ。
妻、夫の前でいちゃつきすぎ、仕事の話ばかりしすぎ。
冴えないおじいちゃんも才覚次第で美女との楽しいひとときを過ごせるという妄想の具現化映画なのはわかるけど全く感情移入できなかった。。
というか二箇所ほど字幕間違いがあったけどあれはなんだったんだ。一つはそもそも漢字間違いか誤植?だったような。もう一つは病院で、僕が映画教えてたこと言ったっけ?の返事が you did? なのに「聞いたわ」になってたこと。真逆やんけ。
天下のウッディアレンだからこそ見に行ったのに、なんか蔑ろにされてるのかしらとさえ思った。。
ひとまず古典映画ファンなこと、は条件の模様。
勘違いじいさんの恋愛と失恋物語
ウォーレス・ショーン演じる主人公が見ていてツラい。
自身の知性をひけらかすための会話のワード選びなど、
正直、めんどくさい人だなと思ったし、全く感情移入も共感もできなかった。
小説家を目指して執筆するものの、絶対完成しないと自身の夢の中で揶揄されるところが、
自身も暗に認めているからだろうと思う。
そして映画の先生が向いているとも。
奥さんとうまくいっておらず、映画祭中も主人公はまるでそこにいないかの如く扱われ、
そこは悲哀を感じるものの、自業自得とも思えたし、
そこから、反発するように女医に恋していく姿は、哀れでもあり、致し方なくも思えた。
ラスト近くの死神が主人公に言うセリフが
私が通っている病院(内科)でいつも医者が言っていることと同じなので、ちょっとツボった。
優しいやん、死神。と思った(笑)
それにしても、サン・セバスチャンへ、ようこそ・・・というタイトルにもかかわらず
映画祭の雰囲気を味あうことがほとんどできずに消化不良だった。
とはいえ、最後まで意識を失わずに観ることができたのは、
ウッディ・アレン監督作品だったからかもしれない。
アレンさん、サン・セバスチャンでさようなら
チビ・デブ・ハゲの三拍子そろった小説家の主人公と、お色気ムンムンの熟女奥さんの夫婦って、そもそも設定が無理筋で、若くてハンサムでマルチタレントな新進気鋭映画監督が登場すりゃそりゃ奥さんねんごろにもなりましょう。たまたま遭遇した美人女医さんに熱をあげるシーンも痛いだけで笑えん。 W.アレンの自身の投影とはいえこのストーリーでは映画に入り込めない。アレンもさすがに老いたか。名カメラマン、ヴィットリオ・ストラーロが撮影監督だが撮影に特筆すべきところはなかったような。
あと名作映画のオマージュになってる妄想シーンだが、トリュフォーなのゴダールだのベルイマンだの作品群に決して明るくないのでどうも楽しめなかった。(わかったのは市民ケーンぐらい。まあこれは私の映画基礎教養の無さが悪いんだが)まあ、元ネタ知っていても総合評価はかわらないとは思う。 日本映画を例にだしてキモオタがられるシーンは笑った。
この映画、好きだけど
幻影を追い求めて。
2020年。ウッディ・アレン監督。妻の仕事でスペインのサン・セバスチャン映画祭にやってきた自身もかつて映画監督だった男は妻の浮気を疑っている。浮気相手は新進気鋭の若手映画監督で、かつてのヨーロッパ映画を愛する主人公はこの男の作品も気に入らない。仕事にも恋にも強すぎる憧れを抱き、返す刀で自分自身を含む現実に幻滅し続ける主人公。そのように人生に幻影を求め続ける主人公の姿をユーモアに描くウディ・アレンにしか作れない映画作品(たち)最新版。
主人公は憧れの映画作品を夢(や白日夢)として見るのだが、浮気疑惑を気に病むあまり、その作品は自身と妻の身の上に重なっている。監督はこうした場面を「勝手にしやがれ」や「突然炎のごとく」や「市民ケーン」のシーンをカット割りや画角も含めて再現する形で自分自身で撮り直している。そこに現代の人間たちが出演している。これがやりたかったんだろうな。憧れに近づこうとすることが律儀な模倣となる、しかし、照れと自虐でそのままは撮れないからパロディにしてしまうというウディ・アレン的精神構造が明け透けにみられる。この「明け透けさ」も監督独特のあり方だ。
青い空と光、静かな海、コンパクトな街並みに、赤い車や白ワインが映える。人生とは幻影を追い求めることであり、その純粋な形は映画(映画製作)である。それがウディ・アレン監督の変わらぬテーゼだ。
妻は、アホな映画監督にノボせてる。
ウッディ・アレン健在
齢61になるジーナ・ガーションがとっても素敵
監督の映画愛が感じられる
独自の世界感にひたりました。
すみません勉強不足でした!
89才のウッディアレン監督のドタバタラブコメに拍手‼️
映画愛というより、自己愛では
モートが嫌だ。
小太りで若くもなく、アタマも薄く、うだつが上がらないのにプライドばかり高くて周囲を見下す、口を開けば皮肉か嫌味。実は劣等感の裏返しは明らか。妻の浮気を疑ってもうじうじと口に出せず、心でねちねち責めているくせに、自分は浮気に積極的。浮気している妻への対抗心とか当てつけとか、妻に捨てられても全然平気と思いたいとかあると思うけど、人には厳しいが自分には甘々。
こんなおっさん、一緒にいるだけでも相当な忍耐を強いられる。
結婚なんかしたら人生の無駄使いです。
かなり年下で美貌でやりての妻に捨てられるのは必然、むしろこれまで結婚していて年下妻、偉いと思ってしまう。もういい加減に開放してあげたらよろしい。
映画愛に溢れている、という映画の宣伝文句だけど、対象は過ぎ去った遠い過去の映画ばかり。
映画愛というより、過去の名作映画を理解し真価が分かるのは自分だけ、というモートの自己愛の表れなのではと思う。
モートは、ウディ・アレンお得意の自虐的な本人の投影なんでしょうが(奥さん不自然なくらいの年下だし)、モートに一ミリも共感するところがなく、同情もないので、そんなものを見せられてもね、と思ってしまいました。
町並みが素敵。サン・セバスチャンの風景が美しく、パーティーやレストランはセレブ感、で目の保養になりました。
カクテルを舐めながらピンチョスをツマんで軽い会話を楽しんでみたいです。
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