「赤羽あたりのラブホテルの一室で男性が急死。 薬物の過剰摂取が原因だ...」あんのこと りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
赤羽あたりのラブホテルの一室で男性が急死。 薬物の過剰摂取が原因だ...
赤羽あたりのラブホテルの一室で男性が急死。
薬物の過剰摂取が原因だった。
部屋にいた20歳の香川杏(河合優実)は、刑事の多々羅(佐藤二朗)から事情聴取を受ける。
多々羅は、事件の原因以上に、杏の薬物依存歴、家庭環境に関心を示した。
多々羅は、赤羽の保護施設で薬物依存症者の復帰支援に取り組んでいたからなのだが・・・
といったところからはじまる物語で、冒頭、事実に基づいた映画である旨の一文が表示される。
杏の家庭環境は凄まじく、足の悪い祖母、酒癖が悪くDVの母親(河井青葉)と公団アパートで暮らしているが、杏には人権などないかのように母親を扱う。
酔っては殴り、酔わずとも殴り、小学4年生で不登校、12歳で母親の紹介相手と売春、16歳で薬物摂取・・・
欧米の映画では割と描かれることもあるが、日本映画でここまで描くことは珍しいほどの凄まじさ。
杏を演じる河合優実、母親の河井青葉とも、その存在感は圧倒的だ。
だが・・・
どうも男性陣の描き方がなぁ。
刑事の多々羅は、登場したとたんにうさん臭さ。
というか佐藤二朗くささ。
保護施設の取材を通して多々羅と親しくなったジャーナリスト桐野役の稲垣吾郎もいつものゴロちゃん。
ま、今回の役では、適切なんだけれど。
で、多々羅と桐野の話はツマラナイ。
テレビドラマのような話。
こういう話が入るのは、男性目線なのかしらん。
DV女性などのための保護住居で暮らすことになった杏だが、ひょんなことから同じ住宅に避難していた女性から幼児を預かることになり、それが杏にいい影響を与える。
それまで、自分自身を含めて護るものなどなかった彼女が、護るものができたことで。
だが、これも奪われて、最悪の結末を迎えてしまう。
多々羅はそれを杏の自責の念、薬をやめていたのを再び始めてしまった、という。
これには違和感を感じました。
護るものを得て初めて自己の存在意義を見つけ出した杏が、その意義を失ったから・・・
母などの護る必要のないひとのために生きなければいけない状況に再びなってしまったことの絶望・・・
そう感じたのですが。
意欲作だが、いくつかの違和感は拭い去れず、といったところでした。