「社会を直視する114分」あんのこと teaさんの映画レビュー(感想・評価)
社会を直視する114分
冒頭にも注意書きがある通り、「あんのこと」は実話を元にした作品である。河合優実の演技力も然ることながら、演出からテーマまで非常に作り込まれている印象を受けた。
映画でまず脳裏に焼き付くのは、赤い光に包まれたラブホテルでのワンシーンではないだろうか。このシーンはもとより、作中を通じて「光」が象徴的に使われている印象を受ける。あんが実家から逃げ出すシーンでは、明るい公園で彼女を待つ多々羅をあえて暗所から映し、一人暮らしという希望に向かう様子を効果的に描いている。彼女が実家でカーテンを開けるシーンは、暗澹たる環境で何とか希望を見出そうとする彼女の姿勢を象徴しているだろう。こうした「光」による表現は、その明暗を問わず作中の至る所で見つかる。ラストシーンで暗い廊下を光へ向かって歩く母親の姿も、響き渡る赤子の泣き声と相まって、あんの残した一縷の希望だと了承されよう。
光以外の演出も細かい。例えば前半であんがラーメンを食べるシーンでは箸の持ち方が正しくないし、日記を書くボールペンの持ち方も不器用だ。こうした細かい作り込みが、徐々にあんの置かれた境遇に対する創造力を掻き立てる。手持ちのカメラで撮影されるシーンはドキュメンタリーのようなリアリティを出しているし、暴力の生々しさを強調する。随所に現れる交通機関は社会のメタファーとして、ときに無音で、ときに轟音で、社会に対する彼女の心緒を表現しているのだろう。さらに、エンドロールは静かなピアノソロである。映画の商業性のみにとらわれない姿勢には好感が持てる。
映画のテーマは、あえて短絡的に表現すれば「社会派」といったところだ。
リアルに描写される男児のおむつ替えのシーン、水を落とす高齢者介護のシーン、学校で多くの外国人と学びを共にするシーン、どれをとっても年齢や国籍の多様性を強調している。そして、あんは彼女なりに、それぞれの多様な人々へ上手く溶け込み、馴染んできた。しかし、そんな多様な人々が包摂されるはずの社会に、あんは救われなかった。東京五輪を象徴するブルーインパルスが出す灰色の煙は、自分を見放した社会に対する彼女の眼差しそのものといえよう。
この映画を通底しているのは、登場人物の二面性である。
薬物中毒だったあんは、カラオケやラーメン屋で普通の大学生かのように無邪気な笑顔を見せ、多々羅らを慕っている。多々羅は薬物中毒者を救いながら、サルベージ赤羽を私物化してきた。桐野(稲垣吾郎)は多々羅を質しつつ、後半には自身の行動に対する迷いを見せている。誰をとっても「完全なる善」ではない。こうした人間としての不完全さが、観客へある種の共感を呼び起こし、本作における社会描写のリアリティを一層増していると思われる。
勉強になります。
ブルーインパルスについては、彼女はそれが何を意味するものか理解していなかったのではないかと思います。 彼女が全てを失う時に、世の中はお祭り騒ぎであったという皮肉を感じました。