「「蘇り彼女が残した物」生まれ死ぬまで何も無い、そして墓も無い」あんのこと GodFieldさんの映画レビュー(感想・評価)
「蘇り彼女が残した物」生まれ死ぬまで何も無い、そして墓も無い
ギャンググースなど手掛けた入江悠監督作品
主演は河合優実、パワフルな演技の刑事役の佐藤次郎、「十二人の刺客2010」で悪役で好演だった稲垣吾郎が記者役として脇を固めます。実話が元で作られた作品で
小4で不登校、12歳で体を売りシャブの中毒で売人でもある21歳のあんの生涯を描いた作品。
生い立ちが不幸な主人公のあん演じる河合優実は腕にシャブの跡だらけ、目に大きなくまを作り痛々しいですが、そこにエネルギッシュな佐藤次郎が加わり、稲垣吾郎がカラオケでブルーハーツの情熱の薔薇を歌ったり、ハモリを入れたりとさり気ない歌手らしい演技もあり一瞬、作品に希望の光が差しますがこれが現実と言わんばかりに冒頭から終わりまで状況は変わりません。この作品にハッピーエンド、バットエンドなど存在せず、現実を描いたまでと思いました。
作中、あんが祖母にケーキを買って来たり、多々羅に手紙で感謝を告げるシーン、そして最後の墓は無いの一言は心に残り涙し、生きている者は真面目に強く生きなくてはと言うメッセージにも思えました。入江監督は「ギャングース」でも不幸な主人公達を描いており、今回の稲垣吾郎の様に「アンブロークン」のMIYABI、般若とアーティストも起用していてギター演奏もラップも無しでちゃんと俳優として扱うのが素晴らしいと思います。「ギャングース」は報われる所謂、ハッピーエンドですが幼児虐待、高齢化社会など日本の闇もしっかりと描写に入れています。「あんのこと」と「ギャングース」では真逆の結末ですが何れも日本の現実を捉え、力強い作品が多く大好きな監督です。
商業的な映画が多い中、「あんのこと」の様に
ちゃんとお金を払いたい映画が増えたらと心から願います。
物語~結末
映画開始早々に誰も居ない薄暗い街を虚ろな表情で歩く主人公のあん。
既に幸せな結末にはならない予感が伝わり、シャブの中毒であり売人である事が描かれ
家に帰ると足の踏み場も無いゴミ部屋に売人で得た金を強請る母親、足の不自由な祖母。
父親は見当たらず、冒頭の予感が絶望と言う確信に変わる。そんなあんは、逮捕される事を機に佐藤次郎演じる刑事、多々羅に出会う。リストカットを即座に見抜く鋭い洞察力を持ちながら取調室で呪文を唱え、机の上でヨガを始める奇想天外な刑事の行動にあんはお手あげ。股間を探りコンドームに入った白い粉を差し出す。煙草は吸わないあんに対し「煙草位吸っておけ!バカヤロー」と浴びせると
この人もシャブ中なの?と思う位にぶっ飛んだ行動る反面、生活保護申請など真摯にサポートする姿にあんは徐々に心を開き、刑事主催の更生セミナーに通う。その後、刑事の紹介で介護施設に働く事になるがこれはあんが将来、祖母を介護したい意向による事だった。
早々に施設ではわざと、飲み物をこぼす老人(老害)も登場し老人介護の闇も描かれ。
そう簡単に上手に進まないと思いきや、足の不自由な祖母の面倒に慣れているあんは、何も気にせず仕事をこなす。
初給料を貰い(真っ当な)日記と祖母にケーキを買う。セミナーで多田羅がシャブを使用しない日の日記に〇をつけろと言う言葉に従うが日記は平仮名ばかりだ。同様に祖母にケーキを買って帰る健気なシーンは心を打たれますが、それを早々に酔っ払い、男を連れた母親が破壊し初給料も奪われてしまいそうになる。ハンカチに赤い血。
あんは家を出て自立する覚悟を固める。
給料の不当な扱いからあんは、セミナーに取材に来る桐野の紹介で違う介護施設に移る。
給料を強請りに母親が職場に乱入する事もありながら施設の人々は追い出す事はなかった。
あんを暖かく迎える職場、新しい住まい、セミナー以外にも新たなに学校に通う。全く新しい生活に生きる喜びを得たあん。
セミナーで手紙を読むシーンは小学生で食べる為に万引きを繰り返し不登校。12歳で母親の強要で売春と不幸な生い立ちを告白しながら多田羅に感謝を伝える姿は目頭が熱くなります。
セミナーに通う人達を取材すると言う記者、稲垣五郎演じる桐野はあんに接近する。(実際は多田羅の不正行為のリークがあった為に通っていた)記事にする為と言うより、純粋に多々羅とあんに惹かれた様子で三人で過ごす描写が多くあります。桐野は取材を続けセミナーに通っていた女性から多々羅に性的要求されたと言う情報が入る。多々羅の行動を良く思わない施設の人間、刑事もおり早々に多々羅は逮捕される事になる。ショックを隠せないあんに、今度はコロナの猛威が襲う。
信頼していた、多田羅の逮捕。(親友)
逮捕によるセミナーの廃止。(同じ境遇の仲間)
コロナによる出勤停止。(金)
通学していた学校の休校。(学)
ボクシングで言うならば井上尚弥の本気パンチを4発連続で顔面で受ける。過去も不幸なだけにヘビー級ボクサーのパンチレベルかもしれない。
何れにせよ、普通の人では一発だけでも立ち上がる事は困難で最悪死に至るレベルだ。
追い打ちは終わらず今度は突然、アパートの住民に子供を預かってほしいと強引に子供を渡され逃げられてしまう。(あんは前夜にその母親の怒鳴り声と子供の声で寝れなかった)
もはや、極限状態で引き金を引いた銃やピンが抜かれた手榴弾を手渡された状態だ。
あんは仕方なく子供の世話をはじめ、子供の食事のアレルギーなど日記にメモを残していく。実の家族の様に子供と生活をする様になった所で偶然、あんの母親と遭遇してしまう。
「祖母がコロナにかかったかも知れない」と言う言葉に釣られ家に戻ると祖母は元気で、嘘をつかれた事に気が付いたあんは逃げようとする。
しかし、母親に子供を人質に取られ体を売って金を稼いで来いと要求され、あんはそれに従う。
あんは体を売り得た金を握り、母親に子供を返す様に要求する。
母親は子供が面倒だったから市役所に引き取って貰ったと告げる。あんは怒り、包丁を手にするが母親の圧力に負け、家を後にし再び覚醒剤に手を出してしまう。
目覚めたあんは、◯を付けてきた日記に目が止まる。再び覚醒剤を打ってしまった事、多々羅に対するやるせない気持ち、我が子の様に育てた子供を奪われ、何をしても上手く行かない人生の嫌気、衝動で日記を燃やそうとする。途中で慌てて火を消して焼け残ったメモを見つめ泣き崩れる。
窓の外を見上げると、コロナと闘う医療従事者をはじめとする多くの人々に、敬意と感謝を示すためのブルーインパルスの飛行が目に入る。
青空に不死鳥を意味するスモークが残っていた。
しかし、あんにはその意味も分からず、
分かっていたとしても理解する余力は残って居なかった。
導かられる様に窓を開けてベランダへ向かう。
そして、あんは再び覚悟を決める。
終盤、あんに子供を預けた母親が子供を市役所に引き取りに来る。母親は職員からあんが亡くなった事を告げられメモが渡される、メモはあんが子供の為にアレルギーなど書き残した物だった。
母親はあんにお礼が言いたいと
墓の場所を尋ねるが職員は
「母親が遺骨を取りに来たが、墓は無いでしょくね」と告げられる。
生まれてから殆ど良い事も無く、何か進んでもそれを覆す不幸な毎日、そして墓も無い。
このシーンは見ていて重い石がすっと体から落ちた感覚になり言葉を失いました。
映画は引き取られた子供とその母親の後ろ姿で幕をとじる。
スクリーンに蘇った彼女が残した物。
預けられた子供を救った事も勿論、
この作品を見て子育て、仕事、私生活と個人で刺さるポイントは違えど真っ当に生きなくてはと言う気持ちになった人は多いだろう。
真っ当な人間が増えればあんも、あんに預けられた子供の様な事は減る訳ですから。
この映画であんの様な子が一人でも減れば、報われると思います。
只、悲しい、可哀想と言う感想だけの人が多いのは
個人的にも残念で、監督や作品も亡くなったあんも
わざわざスクリーンで蘇らせてまたその一言で終わられてしまうのは報われないと思います。
悪い意味では無く日本が平和な証拠。
かばこさん、コメント有難う御座います。
「あのコドモも、ネグレクトなどで明るい未来はないのかも、と思ってしまいました。」
仰っしゃる通りだと思います。あんの悲惨さで、母親の行為が薄まってしまってますが
一度は息子を捨ててる訳ですから。
只、恐らく監督の意図だと思いますが
「彼女の人生を生き返す」と言う意思から、
彼女は何も残さず虚しく死んだだけではなく、残したり救った事もある。
あんが生まれて来たお陰で子供が助かった。
母親が更生するキッカケ。
なのでラストに子供と母親のシーンで終わらせたのだと思いました。
そしてあの母親以外にひょっとしたら母親=観客で生きている残された人はあんの死から悲しいだけでは無く得てほしかったと。
そうとも感じました。
映画で生き返らせて、また何も無く死んで只、悲しいだけでは終わらせたくは無かったと思います。