「コロナがなければ起きなかった悲劇。」あんのこと マサヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
コロナがなければ起きなかった悲劇。
悲惨な生活を送っていた杏は、多々羅が主催する薬物更正グループの集まりに参加し新しい1歩を踏み出す。日記帳とヨガマットを買う場面で、万引きを思いとどまる描写に杏の決意を感じ応援したくなる。週刊誌記者の桐野に老人介護施設の仕事場を紹介してもらい経済的にも安定する。シェルターに身を隠し、初等教育を学ぶ場にも参加する。
このままいけば明るい未来を歩めたかもしれないが暗雲が立ちこめる。多々羅の裏の顔が暴露され、薬物更正グループがなくなってしまう。
更にコロナが追い討ちをかける。老人介護施設の職場を解雇されてしまうのだ。僕はここで初めて知って驚いたのだが、コロナとはいえ国から人を減らす要請があったとは知らなかった。
老人介護施設なんて どこも人手が足らなくて、いっぱいいっぱいの職場だ。非正規とはいえエッセンシャルワーカーの介護職は安泰だと思っていた。残された正規社員はてんてこ舞いだよ。
更に更にコロナは追い討ちをかける。初等教育を学ぶ場もコロナで休止になってしまう。
泥沼から抜け出し希望を見い出したかに見えた杏。 だけどコロナで居場所を失くし孤立する。ここで言う居場所とは、対面で人とつながれる場所のことだ。
しかし、ここで救世主が現れる。シェルターの隣人に押し付けられた幼な子が杏の生きるよすがになる。普通に考えればコロナで八方塞がりのところに子供まで押し付けられたらお手上げである。さっさとシェルターの管理人か警察にでも引き渡せばいいと思う。
しかし杏は自分で養うことにする。この事が杏に幸いする。放って置けば死んでしまう幼子を養うことが杏の生きる力になる。これは決して母性愛に目覚めたとか、子育ての喜びを知ったということではない。自分が誰かのため、何かのために役に立てる存在であるという思いが杏の力になる。幼子は杏に養育されているのだが、幼子の存在が杏に力を与えているのだ。
しかし、この子さえ杏の前から消え去ってしまう。杏の絶望たるや想像に難くない。絶望した杏は、自ら命をたってしまう。
ラスト、杏の最後の希望だった幼子が、再びママと生きていくことになった事に少しホッとする。
マスコミ向けのパンフレットには、杏について「希望はおろか絶望すら知らず」とあるらしい。
刑事の多々羅と記者の桐野は、杏に希望をもたらす。皮肉なことに、杏は、希望を知ってしまったから絶望も知ってしまう。2人に出逢わなければ、杏は死ななかったかもしれない。
しかし希望を知らないから絶望することもない人生は、幸せではないと思う。
コロナでは10代から20代の女性の自殺が顕著に増えた。仕事が失くなり経済的に困窮したのも原因だが、仕事をしてない10代も多く含まれる。人と対面でつながる居場所がなくなってしまい、強い孤独を感じてしまったことが原因ではないのかと言われている。男が孤独に強いのではなく、多くの男がもともと対面での言語のコミュニケーションが苦手で少ないことが幸いしたらしい。男はコロナになる前からさしてコミュニケーションとってないから変わらない。男の子のワシも個人的には分かる (^^)