「ごめん。ちょっと私には受け入れられない。村上春樹ファンの皆さんはどうですか?」めくらやなぎと眠る女 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
ごめん。ちょっと私には受け入れられない。村上春樹ファンの皆さんはどうですか?
村上春樹は上梓されれば速やかに読む程度にはまあまあファンだった。「だった」というのは「1Q84」を途中で読むのをやめて以来、長編作品はどうもパッとしないなと思っているから。でも短編集は「一人称単数」に至るまで依然として端正で瑞々しさを失っていない。村上さんは本質的には短編小説家なのだろう。
さてこの映画はフランス育ちのアメリカ人クリエーターが村上の短編6作品を題材にしたアニメ映画。村上へのリスペクトが感じられ秀作との声が高いようだが私はちょっと受け入れられなかった。
村上の短編は実にたくさんありその質感はそれぞれ違う。短編集毎によっても、執筆時期によっても、登場人物によっても(登場人物はかなり重なる)。
この映画では、登場人物でいうと小村、キョウコのラインと片桐、かえるくんの2つのラインが取り上げられている。作品でいうと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」が前者のライン、「かえるくん、東京を救う」が後者のライン。それぞれ全く毛色の違う作品であり、前者が小村やキョウコ自身の欠落感や喪失感を扱っているのに対し、後者はグロテスクで邪悪な異界との対立がテーマである。本来、同時に、同じレベルで取り上げる題材ではない。さらに、アニメ作品としての技術や芸術性は優れているのかもしれないが、表情が乏しく平板な印象がある。そのため作品全般にメリハリがなく原作小説それぞれの持ち味や個性を活かせているとは思えない。思うに、この映画のクリエイターは英語なりフランス語なりの翻訳でこれらの短編を読んだのではないか。そしておそらく同じ翻訳小説というところから同質化して消化されているのではないか。
もう一つ付け加えると「めくらやなぎと、眠る女」を初めて読んだときに感じた気だるい喪失感と、一方で病院に向かうバスの中から見える海のキラキラした輝かしさ、アンビバレンツなんだけど繊細な感覚がこの映画では全く表現できていない。
村上春樹という人は、映画化許諾については厳しいが、完成した作品については映画は映画だからということでアレコレ論評しない人のようだ。でもこの作品については、やや歯にモノが挟まったようなコメントをしていた。そりゃあ、やっぱり不満だったのでしょうね。