来し方 行く末のレビュー・感想・評価
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つかみは抜群!
テーマは、素晴らしかった。最近、台湾でも、似たような題材を出発点として作られたテレビドラマのシリーズがあったのでは。
遺族に取材して弔辞を代筆するのが、主人公のウエン・シャンの仕事。追悼会と告別式が行われるとか、儒教の伝統が強く、何事にも積極的な中国社会は、我が国とは隔たりがありそうだった。
彼には、脚本家を目指して、大学院まで出ている経歴もあり、代筆の評判は上々だった。思ってもいないところから反響があって、彼のところを訪ねてくる人がいたり、弔辞を予約したりする人まででてくる。これが第一幕!
ただ、同居していた(人気俳優ウー・レイが扮する)シャオ・インの役割が、前半から予想される通りであることが、明らかになる。劇中でも危惧されたように、この第二幕に入る辺りから、迷走が始まった気がした。弔辞の代筆の過程に集中するのか(それはそれで面白かった)、シナリオを書くことに行き詰っていたウエン・シャンの生き方に戻るのか(さまざまなオファーも受けていたのに)、それぞれの人生を生きていた故人たちにこだわるのか(何人かの人生は、大変興味深いものだった)、特に、ネットで知り合った女性が乱入して以降、いずれの方向性ともはっきしないまま、何事も起きることなく、時間が過ぎてゆく。
その気配は、映画の冒頭からあった。タイトルの後、もう映像に入っているのに、役者やスタッフの名前が紹介される。映画に集中したいのに、何ということだと思った。ただ、経済的に発展の著しい中国社会では、それぞれの登場人物の不安は、強くないようだった。
題材は素晴らしいのに、大変、残念。おそらく、リウ・ジアイン監督には、映画の作製と関わることに迷いがあるのだろう。見守ってゆきたい。
中国の男性の物語。 脚本家になる夢が叶わず、ひとさまの弔辞を代筆す...
口数が
同居人はもしかすると主人公の分身かも。
フランソワ・トリフォーの作品に、有名人が亡くなった際、追悼文を専門に書く新聞記者の物語があったような記憶がある。随分昔の話なので、映画を観たかどうかの記憶も曖昧だ。
この映画を観ていて、そんな事を思い出した。
大きな事件も起こらず、たんたんと物語は進んで行く。退屈する人もいるだろう。自分が納得する弔辞を書くために、亡くなった人の生きざまを家族や関係者に調査する。浮かび上がってくるのは、故人がどのように生きたかである。着眼点が良いなぁと感じた。
終わりに近づいて、もしかして同居人は主人公のもう一人の分身ではないかと思えてきた。名前から主人公が書き上げようとしている脚本の主人公かもしれない。
日本では弔辞は葬儀で読まれるが、中国では追悼会で読まれることを知った。
観に行った甲斐があった
原題「不虚此行」は「むだ足を踏まなかった、行ったかいがあった、やったかいがあった」という意味。
主人公のウェン・シャンは「弔辞ライター」
(この職業、監督の創作)
ほんとうは脚本家になりたかったんだが、
今は弔辞の原稿作成を代行する仕事で食べている。
依頼者それぞれの物語を、ウェン・シャンは深掘りしていく(時には依頼者が迷惑そうでも)
深掘りしていく中で、
さまざまな人生が見えてくるとともに、
不思議な同居人の謎も、
ウェン・シャン自身の人生も、
徐々に浮かび上がってくる。
リュウ・ジャイン監督みずからインタビューで「大事にした」と語っているように、
「間(ま)」が絶妙。
台詞以外での表現が絶妙。
クスッと笑える場面も一再ならず。
派手な展開とは無縁だが、
ストーリーのメリハリもあって飽きずに観られた。
鼠眉
普通の人生を肯定してくれる
人間の顔は一つじゃない
脚本家志望だったものの夢破れ、今は弔文を書く仕事をしている四十近い男が、ある女性との出会いにより心のわだかまりが明かされていく…という、なんだか『おくりびと』チックな内容。
個人的に中国映画はアクションもしくはコメディしか観てこなかったので、こうした素朴なヒューマンドラマに触れたのは純粋に新鮮。中国映画にありがちな過剰かつベタなキャラクターも一人も出てこなく、とにかく全編穏やかな風が吹くような雰囲気でお話が進む。
失礼ながらキャストや監督は誰一人として知らず。主人公を演じた俳優は『1911』や『クライマーズ』に出ていたらしいが全く記憶になし。そのヘアスタイルからプロレスラーの拳王がチラついてしょうがなかった。
人間の顔なんて二面も三面もある。だから素朴な人でも、人生の主人公になれたりする。とにかく主人公が置かれた境遇は自分とダブる箇所が多すぎた。実家に帰省したくない気持ち、よく分かるぞ…
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