来し方 行く末のレビュー・感想・評価
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静かで柔らかで優しい
あまりにも静かで柔らかで優しい中国映画。
ちょっと退屈して眠くなってしまうくらい。
弔辞作家(っていうのかな?)という設定にすることで様々な人々の人生の最後を見届けることが出来るし、上手くいっていない主人公の人生ともゆっくり向き合える。タイトルも良く合ってますよね…
そして弔辞を依頼する人々のひとりひとりが良いし、同居人についての仕掛けもとにかく優しい。
猫エピソードも良いのだけど、エンドロールはもっと良い。
故人の人生を言語化すること
脚本家としての夢に破れ、弔辞の代筆業で生計を立てるウェン・シャン。さまざまな依頼人との交流を通じ、自身の夢に再び向き合うまでを描いた中国ヒューマンドラマ。
主人公ウェン・シャン演じるフー・ゴーの心の灯火が鎮火したお疲れ演技は魅力的。男前なのでずっと観ていられる。また不思議同居人演じるウー・レイも出演。昨今の中国映画の人気俳優二人だ。
さて、私なりの考察を。テーマの深堀は難しい。故人の人生を言語化することに加え、他省から来た主人公ですら北京語慣用句に戸惑う描写があり、普通話が出来たとて微妙に伝えたい事が違う。これで彼が真意を汲み取るのは困難だ。また葬儀慣習における弔辞(悼词)の重要性が分からない。弔辞は第三者に執筆してもらうのが慣習なのか。更に中国社会に生きる人しか理解しえない複雑な空気感のサインが時折あり、それを読み取る事は極めて難しい。
よって、映画としては、表層の会話・映像、漂う透明感ある雰囲気を楽しむ程度となってしまった。原題「不虚此行」(無駄足ではない)が割と的を得ていたというのが私の感想。挫折したウェン・シャンが再び情熱を燃やす様をご鑑賞ください。
【”誰もが人生の主人公”今作は現代中国の家族、競争化社会、人生観、死生観の観点も取り入れ、知らない人の人生を丁寧に調べ弔辞を代筆する、脚本家になる夢を諦めた男が徐々に再生していく物語である。】
■大学院まで進学しながら、脚本家の夢を諦め、精気のない表情で過ごすウェン・シャン。(フー・ゴー「鵞鳥湖の夜」以来である。)
彼は、弔辞の代筆(って、そんな商売あるんかい?)で生きている。
丁寧な遺族、知人への取材に基づく弔辞は好評だが、同居人シャオイン(ウー・レイ)から、色々と突っ込まれている日々である。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
ー ウェン・シャンが弔辞の代筆を請け負った人達 ー
1.亡き長兄の人物像が異なる弔辞を依頼した弟と、海外にいる妹。
2.仕事に忙殺されて、同居していたのに亡き父と会話が無かった息子。で、ウェン・シャンが所在中も矢鱈とメールが来て仕事の指示を出している。
3.余命宣告を受けた老婦人は、自身の弔辞を依頼する。
4.一緒に起業した親友の急死に戸惑い、会社が傾きかけている中頑張る、誠実な青年。
ウェン・シャンは、彼らから、故人の人柄を丁寧に取材し、故人の人生に向き合い弔辞を書いて行くのである。
・ウェン・シャンの、故人の人生を取材により時系列にまとめ、弔辞に入れて良い事、入れない方が良い事をキチンと整理していく姿。彼の誠実な人柄が見えるし、それをフー・ゴーが繊細に丁寧に演じているのである。
・そして、ウェン・シャンはその作業の過程で、知らなかった人間の弔辞を丁寧に取材し書くことで、社会から取り残されているのではないかという焦燥感や、諦観を徐々に取り払って行くのである。
・アクセントとなっている、同居人シャオインの存在自体が、ウェン・シャンの創造物だったという設定も、この作品に不思議な余韻を与えていると、思ったな。
<今作は、現代中国の家族の在り方、競争化社会、人生観、死生観の観点も取り入れた、知らない人の人生を丁寧に調べ弔辞を代筆する脚本家になる夢を諦めた男の、徐々に再生して行く物語なのである。>
つかみは抜群!
テーマは、素晴らしかった。最近、台湾でも、似たような題材を出発点として作られたテレビドラマのシリーズがあったのでは。
遺族に取材して弔辞を代筆するのが、主人公のウエン・シャンの仕事。追悼会と告別式が行われるとか、儒教の伝統が強く、何事にも積極的な中国社会は、我が国とは隔たりがありそうだった。
彼には、脚本家を目指して、大学院まで出ている経歴もあり、代筆の評判は上々だった。思ってもいないところから反響があって、彼のところを訪ねてくる人がいたり、弔辞を予約したりする人まででてくる。これが第一幕!
ただ、同居していた(人気俳優ウー・レイが扮する)シャオ・インの役割が、前半から予想される通りであることが、明らかになる。劇中でも危惧されたように、この第二幕に入る辺りから、迷走が始まった気がした。弔辞の代筆の過程に集中するのか(それはそれで面白かった)、シナリオを書くことに行き詰っていたウエン・シャンの生き方に戻るのか(さまざまなオファーも受けていたのに)、それぞれの人生を生きていた故人たちにこだわるのか(何人かの人生は、大変興味深いものだった)、特に、ネットで知り合った女性が乱入して以降、いずれの方向性ともはっきしないまま、何事も起きることなく、時間が過ぎてゆく。
その気配は、映画の冒頭からあった。タイトルの後、もう映像に入っているのに、役者やスタッフの名前が紹介される。映画に集中したいのに、何ということだと思った。ただ、経済的に発展の著しい中国社会では、それぞれの登場人物の不安は、強くないようだった。
題材は素晴らしいのに、大変、残念。おそらく、リウ・ジアイン監督には、映画の作製と関わることに迷いがあるのだろう。見守ってゆきたい。
中国の男性の物語。 脚本家になる夢が叶わず、ひとさまの弔辞を代筆す...
口数が
同居人はもしかすると主人公の分身かも。
フランソワ・トリフォーの作品に、有名人が亡くなった際、追悼文を専門に書く新聞記者の物語があったような記憶がある。随分昔の話なので、映画を観たかどうかの記憶も曖昧だ。
この映画を観ていて、そんな事を思い出した。
大きな事件も起こらず、たんたんと物語は進んで行く。退屈する人もいるだろう。自分が納得する弔辞を書くために、亡くなった人の生きざまを家族や関係者に調査する。浮かび上がってくるのは、故人がどのように生きたかである。着眼点が良いなぁと感じた。
終わりに近づいて、もしかして同居人は主人公のもう一人の分身ではないかと思えてきた。名前から主人公が書き上げようとしている脚本の主人公かもしれない。
日本では弔辞は葬儀で読まれるが、中国では追悼会で読まれることを知った。
観に行った甲斐があった
原題「不虚此行」は「むだ足を踏まなかった、行ったかいがあった、やったかいがあった」という意味。
主人公のウェン・シャンは「弔辞ライター」
(この職業、監督の創作)
ほんとうは脚本家になりたかったんだが、
今は弔辞の原稿作成を代行する仕事で食べている。
依頼者それぞれの物語を、ウェン・シャンは深掘りしていく(時には依頼者が迷惑そうでも)
深掘りしていく中で、
さまざまな人生が見えてくるとともに、
不思議な同居人の謎も、
ウェン・シャン自身の人生も、
徐々に浮かび上がってくる。
リュウ・ジャイン監督みずからインタビューで「大事にした」と語っているように、
「間(ま)」が絶妙。
台詞以外での表現が絶妙。
クスッと笑える場面も一再ならず。
派手な展開とは無縁だが、
ストーリーのメリハリもあって飽きずに観られた。
鼠眉
普通の人生を肯定してくれる
人間の顔は一つじゃない
脚本家志望だったものの夢破れ、今は弔文を書く仕事をしている四十近い男が、ある女性との出会いにより心のわだかまりが明かされていく…という、なんだか『おくりびと』チックな内容。
個人的に中国映画はアクションもしくはコメディしか観てこなかったので、こうした素朴なヒューマンドラマに触れたのは純粋に新鮮。中国映画にありがちな過剰かつベタなキャラクターも一人も出てこなく、とにかく全編穏やかな風が吹くような雰囲気でお話が進む。
失礼ながらキャストや監督は誰一人として知らず。主人公を演じた俳優は『1911』や『クライマーズ』に出ていたらしいが全く記憶になし。そのヘアスタイルからプロレスラーの拳王がチラついてしょうがなかった。
人間の顔なんて二面も三面もある。だから素朴な人でも、人生の主人公になれたりする。とにかく主人公が置かれた境遇は自分とダブる箇所が多すぎた。実家に帰省したくない気持ち、よく分かるぞ…
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