劇場公開日 2025年4月25日

「やや技巧的に過ぎるという印象」来し方 行く末 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0やや技巧的に過ぎるという印象

2025年5月6日
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鑑賞方法:映画館

脚本、演出はリュウ・ジャイン。漢字では劉伽茵となる。我々にはちょっと性別が分かりにくいが44歳の女性。2000年代初頭にはインディペンデントの映画製作者としていくつかの海外映画祭で賞を得た。現在は北京電影学院(公立大学です)で脚本を指導する先生らしい。
さてこの映画ではフー・ゴーが演ずる聞善(ウェン・シャン)は大学院まで卒業している脚本家志望の青年?という設定。明らかに北京電影学院出身者を意識していますね。彼は脚本が書けないため弔辞を書いて生計を立てている。日本でもそうだけどこれは葬儀、告別式ではなく、後日催される「偲ぶ会」とか「お別れの会」で読まれるもの。亡くなってからしばらく時間があくのでその間、取材もできるし推敲の時間も取れる。でも一方、発注側(遺族や会社関係など)にすれば当初の悲しみからはやや立ち直っているだけに弔辞の出来には厳しくなるわけだ。
よく言われるように死後の一連の儀式や手続きは故人のためではなく残された人たちのためにある。だから弔辞は、故人の業績、故人との交流を懐かしく、有り難く、思い起こすだけではなく、自分たちがまた前に進むよすがになるような内容が望ましいのである。
この作品では弔辞ライターである聞善自身が、弔辞を依頼した人々(なかには自分で自分の弔辞を依頼する人もいる)と触れ合う中で、自分自身も前に進む力を取り戻していく姿が描かれている。脚本家である聞善にとっては、それは、納得がいくまで再び、脚本を書いてみることに他ならない。
だから、彼の脚本の登場人物である少尹(シャオイン、イン兄ちゃんっていうところか)は明確な実像を持たないまま、ぼんやりと聞善と同居しているが、きちんとした名前や設定を身にまとい、原稿用紙(パソコンですが)に姿を移すこととなる。
ここまで書いてきて、整理してみて、よく分かるのです。確かによく書けた脚本だと思います。演出も抑制が利いている。
でも、なにか、いかにも脚本の先生が書いた優等生らしさがちらついてしまう。そこが、正直、この作品があまり面白くないところにつながっている気がします。

あんちゃん
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