「おみおくりの文法」来し方 行く末 TRINITY:The Righthanded Devilさんの映画レビュー(感想・評価)
おみおくりの文法
脚本家への夢破れ、40歳を間近に停滞した人生を送る聞善(ウェン・シャン)。
葬儀業者から弔辞の代筆を請け負い糊口をしのいでいることを故郷の家族には内緒にしているが、同居人の青年から「本当のことを言え」と諭されても、「同じ物書きだから」と自分をごまかす。そんな彼の部屋には今も映画関係の書籍が幾つも並んでいる。
弔辞を仕上げるために近親者から聞き取りを続けると、物故者のあらたな一面が次々と明らかになるのは『市民ケーン』(1941)や『羅生門』(1950)のよう。
一見社交的ではないが、聞善の誠実な態度に依頼者も次第に信頼を寄せ、場合によっては故人との関わりを見つめ直す切っ掛けにもなっていく。
人間観察のために葬儀場に出入りするうち、弔辞の代筆をこなすことになった聞善は文章が評価されて依頼も次々舞い込み、周囲からも信頼を得ている。
故郷の人間から鼠眉(意気地なし)と呼ばれることを気にしているが、依頼主からは軸(頑固者)と言われることも。
聞善がいちばん理解出来ていないのは、自分自身なのかも知れない。
BGMもほとんどなく、セリフもまばらでゆったりと時間が流れる作品。観念的で中だるみする部分もあるのに最後まで弛緩せずに見られた理由は、大ヒット時代劇『榔琊榜』で競演した胡歌(フー・ゴー)と呉磊(ウー・レイ)が本作ではどのように絡み合うかに注目していたから。
本作で聞善を演じる胡歌は天才策士に扮した『榔琊榜』の時と異なり、風雲どころか波風も起こさない。
人生の最終章に辿り着けない社会の落伍者(と自分で決め付けている人間)を淡々と演じている。
悪くない映画なのに物足りなく感じてしまうのは、出演したTVドラマの多くで固定していたみずからの体育会系キャラを破って呉磊が新境地を示した『西湖畔に生きる』(2023)と較べてしまうから。そもそも、彼を本作にキャスティングした必然性をあまり感じない。
あくまで自己流の解釈だが、小尹(シャオイン)は聞善が考案した過去最高のキャラクターなのではという気がする。
溢れ出るアイデアを小尹を中心とした相関図にしてホワイトボード一杯に書き留めたものの、いつものごとく物語を結末まで導けず持て余す聞善の前に現れた小尹は、いつまでもフルネームがないことやセーター姿のままであることに文句をつけ創造主に進歩を促す。
いる筈のない小尹の名を呼びながら、悲しげな表情で聞善が家の中を徘徊する謎めいたなラストシーンが不思議な余韻を残す。
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