「奥行きがあり、思ったよりも難しい映画。」西湖畔(せいこはん)に生きる 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
奥行きがあり、思ったよりも難しい映画。
西湖のほとりの茶摘み農園で、季節労働者として働いて、自慢の一人息子を育てた母親が、あろうことかマルチ商法にはまってしまい、その母親を息子が身を挺して救おうとする物語。
最後に、山水映画の第二巻との文字が出た。山水映画となると、伝統と現実を対比していることは容易に想像がつく。両者を繋いでいるものの一つがマルチ商法であることも判ったが、元になっている中国の物語があるはずだ(仏教故事「目連救母」と知れた)。しかし、それだけでは、まだ何か足りない感じがしたのだ。
脚本・監督のグー・シャオガンは、取材でマルチ商法の現場を見たようだ。その時、商法の手法は先端的な中国企業の運営方針とも同じと気づいたのだろう。そうだ!この映画は、暗に現在の経済優先社会を批判しているのだと思われた。
判りやすいマルチ商法を前面に出すことで、真のメッセージがすぐに判らないようにしているのではないか。巧妙な筋立ての映画。中国では、土地の私有を禁ずることで、逆に土地を中心とした不動産に無尽蔵に価値を見出し、利用している。結果的には、どこかの国の都市部の不動産バブルと同じ。
母親は、マルチ商法に接して、何とも言えない高揚感をえる。自己実現を果たしたのだが、本人も経済的な代償を払わざるを得ない可能性は感じていた。マルチ商法の場合でも、末端では(失礼!)経済的な損失を被るのみで済むが、中枢に行って利益に近づけば、損害はそれだけでは終わらない。
それでは、息子は母親を必死になって救って、どこへ行こうとしたのか。息子が見出した帰るべきところは、自分の木があるところ。そこは豊富な水と自然、密林の王者によって、守られていた。
ただ、現実も生き抜く必要がある。息子が自分にとっての最適な仕事を探しながら、日々できることは、失踪した父親を捜すことだったのだろう。
では、この映画を観た我々は、成長が止まったこの国で、一体どうすればよいのか。目標も現実の過ごし方も必ず、見つかるはずだ!そのことに気づかせてくれた映画だった。