「教育ホラー映画の感想」小学校 それは小さな社会 Tomさんの映画レビュー(感想・評価)
教育ホラー映画の感想
某国立大学の教育学部の学生です。
友人から、教育ホラー映画と聞いて,一体どんな内容なのだろうかと疑問に思いましたが,確かにホラー映画だったと 見終わって思いました。
・オーディションで 1 人しか選ばれないということは,選ばれなかった人はダメだと示しているようなものであり,「緊張しないためには?→いっぱい練習して自信を持つことが大切!」という場面があったが,「緊張している人=練習不足」ということを非言語的に暗示していて,頑張って練習しても緊張する子はいるので,子どもたちの自尊心が傷つくと感じた。競争・実力主義を徹底して,その子どもの背景を考えず,学校でその子がどれだけできるかしか見ていないことは残酷だと思う。子どもによって,多様な個性・生活スタイル・家庭環境など様々な事情がある中で,同じ指導・同じ尺度で測って,できないことを責めるのはおかしいと感じる。
・男性の先生がシンバルの女の子を,きつい言葉で刺すように問い詰めている場面は,脅していじめているように感じて,かわいそうすぎて,見ていていたたまれなくなった。みんなの前で見せしめのように,「みんなは何で楽譜がなくてできるの?→練習したから」と言わせる場面は,「先生とリズムを間違えなかったみんな vs リズムを間違えたシンバルの女の子」という構図を作り出しており,みんなに合わせて正しいことをせずに,間違ったことをしたら,周りに迷惑がかかり,締め出されるのだという恐怖感を子どもたちに植え付けてしまう指導だと感じた。このような価値観が学校教育によって,子どもたちに内在化されると,他人のミスを自己責任として責め立てる不寛容な人であふれた社会となり,生きづらさに繋がり,最悪の場合,自死を招きかねないと感じた。また,誰もが個性を持って生まれてきており,みんな違うからこそ,補い合って社会が回っていくのだから,やりたいことをやって,お互いに尊重し合えるのが理想だが,このような指導の下で育った場合,周りの目を気にして自分がやりたいと思ったことに自由に挑戦することが怖くなってしまうのではないかと考えた。主体性を育む教育が必要だと言われているが,主体性とはかけ離れていると感じる。あれもだめ,これもだめ,列を乱さずちゃんとしなさい,問題を起こすなと,自分の個性と意見を出してありのままにふるまうことを否定され,自分らしさを封印して育ってきた子どもたちには,本音と建て前という2面性が育まれるだろうと感じる。自分を守る手段として,「こうやって振舞っておけば怒られない」という方法を習得することはできても,真の心のワクワクや,もっといろんなことを知って,経験して生きていきたいというエネルギーは枯渇していくと考える。学校でも家庭でも,大人に叱られて,否定されてきた子どもは,どこで本当の自分を出せばいいのか?多忙な先生や親の心の余裕のなさは,「子どもを脅して自分の思い通りに管理しようとする」という接し方に繋がり,結果として,子どもたちがどんどん生きづらくなっていくと鳥越千寛思う。そのような環境では,自分が自分でいていい感覚,他者に共感する力,他者を思いやる優しさなど,人間としての豊かな心は育まれず,無気力になってしまうと感じる。
・男性の先生は,演奏を成功させようとしすぎており,「子どもたちが音楽を奏でる過程を楽しむことで,感性を育む」という視点が欠けていると感じた。正直,演奏が下手でも,子どもたちが生き生き演奏する楽しさを学ぶ方が重要なのではないかと考えた。身勝手な「先生は,信じているからね」という言葉は本当に怖いし,「練習に来ない人は心をそろえることを壊しています」「こんな人が代表でいいのですか?」「オーディションに受かったから終わりなのですか?」というような,脅して圧をかける指導方法では,子どもたちは恐怖とプレッシャーで萎縮してしまうと感じた。私は,学校教育は,「躓いた時の立ち直り方」や,「人に頼り頼られ,協力して生きていくこと」を学ぶためにあるのだと考えておいるため,失敗を経験してなんぼだと思う。恐怖で支配するのではなく,頑張って練習する意味を子どもたちに問いかけて考えさせ,合意の上で進める方が,子どもたちの生きる力を育むことに繋がるため大事だと感じる。
・女の子の気持ちを言語化して,安心させるような女性の先生のフォローがあったことがせめてもの救いだと感じた。女性の先生や ,大太鼓の子をはじめとする優しいクラスメイトがいなかったら,女の子は学校自体が怖くなり,不登校になっていた可能性もあると考えた。(先生同士が意図して怖い役割と優しい役割を分担しているのかはわからないが,そこまで追い詰める必要はないと感じた。)
・先生は,人数の多いクラスを 1 人でまとめて管理していくために,「先生からの指示が全部正しい」というように生徒に対して示すが,「それは誰が決めた正しさなのか,正しさなんて 1つじゃないよな~」と顧みる感性を持っていてほしいし,自分の中の常識に当てはまらない子どもがいたとしても,その子どもの考え方や背景に耳を傾け,対話して共に考えるという心の余裕をもてるような労働環境の改善が必要だと思う。自らの信念を疑わす,がむしゃらに頑張っている先生こそ,視野狭窄に陥る危険性があるのかもしれない。先生自身が頑張っているからこそ, 「努力=素晴らしい,みんなも努力するべき」という価値観を,子どもに対して押し付けてしまうのかもしれない。生徒が起こした問題と思われる行動は,問題ではなく,生徒からの SOS かもしれないという視点や,生徒が成長していくきっかけとなるという視点が持てるような,子ども 1 人 1 人と向き合える労働環境の改善が必要不可欠だと考える。
・子どもにとって「学校という世界は全てである」といっても過言ではないほど,学校で先生から教わること,人間関係などは,人格形成に大きな影響を持つと感じる。「学校での常識が,生きる指針となり,社会の常識となっていく」と考えると,やはり教育の持つ鳥越千寛力はとても大きく,教育が変われば社会が変わるのではないかと考える。今のままではやはり何かおかしいと感じるし(たくさん真面目に働く人を育てて,経済を発展させるための教育になっているかも) ,そのおかしさに気づいていない人,自分も含めてだが,気づいていても従っている人が多いのかもしれない。だから何か変えたいと思う。