「四分の虫にも五分の魂」ダム・マネー ウォール街を狙え! talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
四分の虫にも五分の魂
<映画のことば>
今の市場の動きは不可解になっている。
異常で行きすぎた空売りの実態を委員会の皆さんに、ぜひ追及してほしい。
円滑な取引を妨害していることを問うべきです。
金融市場は荒れている。
本来、市場は誰にとっても公平で、知恵と運で財を築ける場所であるべきだ。
「見切り千両」とか「買いは家まで売りは命まで」などなど、数多(あまた)の格言が言い伝えられているというのも、投資(株式投資)という世界は、それだけ危険の多い、その意味合いでは厳しい世界なのだとも思います。
そういう厳しい世界でも、ただでさえ少ない手持ちのお金を少しでも有利に…否、ただでさえ少ないお金だからこそより有利に運用したいという個人投資家―。
それぞれの個人の思惑や知識・経験の不足もあり、ともすればdumb(ばかな、間抜けな、鈍い)といった大口投資家(ヘッジファンド、機関投資家)からは批判されがちな個人投資家たちの切ない思いが、スクリーンからも滲(にじ)み出て来るようでした。
その点で、「いつもは豊富な資金力をバックに空売りで大儲けしているヘッジファンドに煮え湯を飲まされてきた弱小個人投資家たちが、NSを通じて共感し合い、ウォール街の大富豪たちをギャフンと言わせることに成功し、全米で大きな話題となった「ゲームストップ株騒動」を映画化した実話コメディ」という本作の製作意図も、充分に成功していたと思います。
さしずめ「四分(しぶ)の虫にも五分(ごぶ)の魂」といったところでしょうか。
SNS (インターネット)の拡散力や、ウエアラブル・コンピュータともいうべきスマホの普及で、個人でも、いつでも、そして小口で売り買いの注文ができる時代背景だからこそ、その時代に特有の事象だったのだとも思います。
本作のモチーフになっていた出来事は。
前述の「見切り千両」のほかにも、「空売り」「(空売り株の)踏み上げ」「ダイヤの手」など、その世界(業界)に独特の用語(考え方)などがあって、ともすると取っ付きにくい話題であることは否定ができないのですけれども。
目先の利益に惑わされない固い結束は、個人投資家といわれる彼・彼女たちがいかにヘッジファンドを始めとする大口投資家に、酷い目に遭わされて来ていたかを、如実に物語るものではなかったでしょうか。
その意味で「ウォール街を倒すための個人投資家の革命」という作中の指摘は、正鵠を射ていたとも言えると、評論子は思います。
そして、株式投資というと、どうかすると「ギャンブル」「博打(ばくち)」として受け取られがちですけれども。
しかし、実社会から本当に必要とされている企業に、現時点では充分には活用されていない(遊んでいる)資金を効率よく循環させる作用を営んているという意味では、資本主義社会には欠くことのできない機能であることは、間違いがなさそうです。
(それに対して、その循環から外れた企業を整理する法制度が「破産」という制度)
コミカルな描写の作品なのではありますけれども。
「笑い」を通して、その制度的な意味合いを少しだけ考えてみるためには、上掲の映画のことばは、なかなか意味の深いもの(脚本)だったとも思います。
その点も踏まえると、それなりの良作としての評価が適当な一本だったとも、評論子は思います。
<映画のことば>
「支援金なんて、とんでもないわ。
私が離婚したとき、誰も支援なんてしてくれなかった。」
(追記)
「投資」とか「マネー・ゲーム」とかいうと…。
たとえば一次産業はというと、農業か漁業を連想する人が多いかと思うのですけれども。
しかし、農業と漁業とでは、その体質が大きく違います。
網を起こしてみなければ漁獲高(文字どおりの「水揚げ」)が分からないという、ある意味で投資性の高い漁業の世界では、早くから事業の法人化(株式会社化)が推奨されて来ましたけれども(実際、株式会社○○漁業部を名乗って漁をし、漁船も会社の所有という「ひとり親方」の漁師さんも少なくない。)
反面、農業の世界は、今でも、株式会社がお嫌いの様子です。
(農事組合法人などのメンバーにはなれるようですけれども、株式会社が農地を直接に取得することは、今でもできないようです。)
国民の食糧生産する産業である農業が、資本の論理で投資の危険に曝(さら)され、いわゆるマネー・ゲームの標的にされてはかなわないという政策的な考慮のようですけれども。
その背景には、農業(畑作)は、作物の生育状況を人が直視下に把握できて、不作にも、ある程度の手を打つことができるという、その(漁業と比較した)違いがあるのだろうとも思います。
「投資」ということには、上述の漁業の例とおり、その事業が必然的に内包しているリスクを分散化して、本来は危険性が高くて事業化が難しい事業を現実に事業化させるという作用もあるようです。
実際、日本でも終戦直後は、マルハ(大洋漁業 日魯漁業と統合して現・マルハニチロ)やマルちゃん(東洋水産=「あなたと私、二人でおいしい」のダブルラーメン(北京ふう塩味)が当たり、今では即席麺・カップ麺のブランドとして有名ですが、元は歴とした水産会社)などの株式会社がたくさんの資金を集めて大きな船団を組織し、鯨などを捕って国民の動物性タンパク源を支えたりしていました。
漁業が事業化されることで、国民は、より安価に魚を食べることで動物性タンパク質を摂取することができるようになっていることには、多言を要しないとも、評論子は思います。
共感ありがとうございます。
アメリカの、特に若者たちの自己資産形成に関する真剣度に驚かされた作品でした。
簡単にこの域迄達するのは難しいでしょうが、詐欺にかかる報道の多さを見ると粘り強い、付け焼き刃でない教育が必要と感じます。