ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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“ハッピーで切ない…”な映画
“Happy" by William Bell, from the album 『Bound To Happen』(STAX 1969年).
…他にもいい曲いっぱい入ってるよ笑
*パンフレットによると、このロボットは“女性型”?…なんだろうか?
寂しさとの向き合い方
音楽と映像が素晴らしいので
映画館で鑑賞できてよかった〜
ポスターの情報だけで観たので、最終的には別れがくることは想像しつつ
大半はポップなストーリーをイメージしていたけど、
思ってたより序盤でお別れがきてかなり驚いた。
ビーチ閉鎖で来年まで強制物理的離ればなれ!!え!そっち?!
ロボットドリームズだからロボットが相棒と生活する中で自分の理想や夢を見つけてそれに向かって‥的なお話かなと思ったらなるほどそういうこと‥
ファンシーでファンタジーな雰囲気かと思いきや、かなりリアル寄りな対人関係描写。
ちょうど自分の近況で、
昔の友人と久々に会えて嬉しい反面、
自分の見えないところで別の人生を生きているからこそ、昔のままのその人ではないのがなんとなく寂しいな〜‥という極小な孤独をじんわり抱えていたところだったので、
もちろん完全に同じではないけど、ドッグの要所要所の孤独に心がかなり引っかかった。
ラストの終わり方も個人的にはかなりよかったです。過去を愛して前向いて今の自分を楽しく生きよう〜
踊りたくなりました。
おしゃれ自己満足
愛玩的主従関係の先にあるのは、移行対象の変更いうのが物悲しくもある
2024.12.12 アップリンク京都
2023年のスペイン&フランスのアニメーション映画(102分、G)
原作はサラ・バロンの同名グラフィックノベル
孤独に悩むドッグと友だちロボットの交流を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はパブロ・ベルハル
物語の舞台は、1980年代のニューヨーク州マンハッタン
一人暮らしをしているドッグは、日々を孤独に悩み、向かいのビルのカップルや家族連れを羨ましく眺めていた
ある日のこと、「Amica2000」という友だちロボットのCMに心を奪われたロボットは、即座にそれを購入することになった
ロボットを組み立てたドッグは、彼と一緒に街を繰り出し、これまでにできなかったことをし始める
そして、コニーアイランドのビーチに赴き、海に入って大いにはしゃぐことになった
遊び疲れた二人が砂浜でうたた寝していると、いつの間にか日は暮れて、誰もいなくなっていた
帰ろうとする二人だったが、なぜかロボットは手足を動かせず、重すぎてドッグの手にも負えなくなってしまう
助けを呼ぼうにも誰もおらず、ドッグは翌日修理道具を持って、ロボットを助けにこようと考えるのである
映画は、海開きが終わって砂浜に入れなくなったドッグを描き、無断で侵入して逮捕される場面などを描いていく
救出を断念せざるを得なくなり、翌年に救出にいくことを決めるのだが、ロボットを失った喪失感が彼を思わぬ方向へと導いていく
スノーマンと一緒にボウリングに行ったり、ダックと仲良くなったりするものの、なかなかうまくはいかない
一方その頃、動けないロボットは小鳥と一緒に飛んだり、コスモスと踊ったりする夢を見ながら、常にドッグとの楽しい日々を模索しようと考えるのである
物語はそこまで難しくなく、孤独を癒したいドッグがロボットとの喪失を乗り越えて、新しいパートナーを得るという流れになっていた
それは、翌年の海開きにてロボットが忽然と姿を消したからであり、ドッグはもうロボットとは会えないと思い込んでいた
そして、新しい友だちロボット・ティンを手に入れることで、ロボットの代用を試みるという流れになっていく
だが、ロボットはウサギ三人組に足を奪われたり、スクラップ工場で粉々にされたりする中で、最終的にはラスカルというアライグマに拾ってもらうことになった
ラスカルはロボットの頭と手足をラジカセに繋いで復活させる
動けるようになったロボットは、偶然ドッグの姿を見かけることになったのだが、感動的な二人の再会を妄想で終わらせてしまう
そして、新たなパートナーと共に、未来を生きていくことを選ぶのである
映画に登場するロボットはある種のメタファーなようなもので、映画のタイトルが示す通り、離れ離れになって動けなくなったロボットがどんな夢を見ているか、というのが主題になっていると言える
ロボットは小鳥を気遣い、花を気遣いながらも、ドッグのことも気遣っている
だが、ドッグの方は、ロボットと再会するまでの1年間の孤独にすら耐えられず、別の何かで埋め合わせをしようとする
もし、彼が毎日のようにロボットのもとを訪れていれば、彼との永遠の別れはなかったようにも思える
愛玩的な存在以上には考えていなかったことで、代用品という考えが生まれ、自分に都合の良い存在にたどり着いた、という感じに描かれていた
これを残酷と取るかは人次第だが、初動からドッグは何一つ変わっていないので、必然の帰結のようにも思えた
いずれにせよ、かなり残酷な話であり、共感性もありながら、どうして二人が別れなければならないのかとも考えてしまう
ドッグはできること全てをしたのかという疑問も湧くし、彼がロボットを思うのであれば、警備員が根負けするぐらい通い詰めても良かったと思う
彼の行動は他の誰かを動かすには至らず、自己完結的なところで終わっているのが難点で、もう少しの努力と思いがあれば変わっていたのかな、と感じた
食わず嫌いは勿体ない大人の為のアニメーション
素敵な音楽にのせて、ほのぼの導入からの、どこか切なく、でもポジティブな印象。
擬人化されたキャラクター達とセリフがないので、ある程度は視聴者の感覚に委ねられると思うが、別れた元恋人と今の恋人との事を連想してしまう人も多いのではないだろうか。
セプテンバーの曲にのせて、「かけがえのない楽しい時間。覚えてる?別の人生を送って、もう会えないとしても、あの頃の幸せは忘れないよ」そう感じ取れる作品だった。というかもはやプロモーションビデオだね。
砂浜で助けたくても助けられない状況は、海ってそんなシーズンオフ厳重に閉める?とかもっと頑張れってレビューも見たけど、擬人化してる時点で常識をそのまま当てはめても意味がない気がする。
個人的な解釈は、若さ故に振り返れば二人の間の障害なんていくらでも回避する事が出来たハズなのに、当時は壁が高く、とても困難に感じられるものだったりするもの。物語の1年はもっと長く、お互い人生経験をして、それでも忘れてない楽しい思い出なんだと思う。
”ロボット”の最後の判断が切なくも、それで良かったと応援したい。
私としてはハッピーエンドでした!
「ロボット・ドリームズ」
泣いたっていう感想がめっちゃ多くて、そんな切ない話しなん?!って思ってハンカチ握りしめて見てたんだけど、泣くところ何処にもなくてびっくりしたし、約2時間あるはずなのにあっという間に終わった!(笑)
面白かったってことなんやろけど、体感時間やばい。
あまりにも速すぎた。
根本にあるテーマが何かっていうと、人によって解釈違ってきそうだけど、「離れても、それまでの事がなくなるわけじゃない」って事かなと。
個人的な解釈だけど。
いやぁ、これ、ハッピーエンドじゃないの?!😂😂😂
みんなこれ、感動して号泣なの?!
いや、もちろん感動はしたんだけど、泣くとこは全然なかった(笑)
じわ〜って、なんか、良かったなぁってなりました!
ラストの🐶と🤖の関係性、めっちゃ良いと思うのだが。
お互いが今幸せなんだもん。
🐶もさ、別に🤖と嫌で離れたわけじゃないやん??
まぁ、確かにお前もっと頑張れと思わなくもなかったけど、👮に捕まって逮捕までされても助けようとはしたし、海開きの日に真っ先に飛んで行ったし。
結局別の🤖と過ごす事を選択したけど、🐶なりに前を向いた結果だと思うんだよね。
🤖だってさ、もうずーーーっと🐶を待ち続けたけど、🦝に戻してもらわなければこの未来さえなかったし、すごく大切にしてもらってるわけで。
ラスト辺りのカセットテープ見て考えるとこは、本当に良かったなぁ。
ここが1番ぐっときたかも。
駆け出して行きたい気持ちはあったと思うけど、自分の今の人生を考えた結果、そこに残るっていう。
🐰と🤖をスクラップ屋に運んで行った動物だけは、本当…あいつら…(殺)🔪
ゆるさん😡😡😡
そして、🦆??アヒル??
あの鳥の子は何だったのーーー?!?!😂
あっという間に引っ越して行きやがってー!!
1番の謎だった😂😂😂
「September」がさ、めっちゃ良い仕事してましたね!
歌詞が…こうもハマるなんて。
映画自体も象徴してるし、あのツインタワーの件も彷彿とさせるという、素晴らしいチョイス。
これは久しぶりに、後2回くらい映画館で見たい作品かも!
凄く良かったーーー!!!!!
台詞を拝して描かれる普遍的かつ希望に満ちた“優しいお別れ”
サラ・バロン原作の同名グラフィックノベルを、パブロ・ベルヘル監督により映画化した2Dアニメーション作品。
1980年代のアメリカ・ニューヨークを舞台に、孤独な日々を過ごしていた“ドッグ”が友達ロボの“ロボット”を注文し、友情を育んでいく。しかし、とあるトラブルからロボットはコニー・アイランド・ビーチの砂浜で翌年の海開きまで放置されてしまうことに。ドッグはあの手この手でロボットを救出しようと試みるが…。
本作を一言で表すなら、「優しさと希望に満ち溢れた、素敵なお別れ」だろうか。「別れ」という悲しい選択をしながらも、決してネガティブな幕引きではないというバランスが素晴らしい。
実を言うと、ポスタービジュアルのドッグとロボットがビーチの砂浜で並んで立っていながらも2人の影が別々の方向へ進もうとしている様子、「きみは覚えてる?あの夏、出会った日のことをー」というキャッチコピーから、鑑賞前は本作が決して明るい結末を辿るものではないだろうと予想していた。
実際、作中でもドッグはロボット救出が困難である事を理解すると、スキーツアーに友達作りに参加するし、公園に凧揚げをしに訪れた際に出会った“ダック”に淡い恋心を抱いている。ロボットの救出の為、ドッグがビーチの警備員や環境管理局に懇願しようと幾度となく却下される様子から、「ロボットはあくまでロボット。所詮は動物(人間)の代用品」という現実を我々観客に突きつけ、ひたむきにドッグとの生活に戻る日を夢に見ながらも、風雨に晒されて錆び付き、次第に命の灯火が潰えてゆくロボットの感情と、新しい生活を手に入れて次第にロボットの存在を忘却していってしまうドッグの非情さを対比させ、感情の比重の違いによる悲哀を描くのだろうと思っていた。
しかし、新しい生活に手を伸ばしならもドッグはロボットを、ロボットはドッグを忘れてはいなかった。それでも、運命の悪戯によって引き離されてしまう世の中の残酷さが浮き彫りになる。そして、互いに新しい生活を手に入れたからこそ、ラストでは相手の事を思いやって身を引くという選択をする。この優しさと切なさに満ちたラストが強烈に胸を打つ。作中度々掛かるEarth, Wind&Fireの『September』の歌詞のワンフレーズ“Do you remember?(覚えているかい?)”に象徴されるように、互い相手の事を忘れてはおらず、その上で「あなたと出会えたからこそ、私は前に進めました。そして、その先でお互いに新しい生活を手にしたからこそ、私達は別々の新しい未来に向かって歩き出してゆくべきなのです。」という希望に満ちたメッセージで本作は幕を閉じる。
これほどまでエモーショナルな感動に包まれる本作は、全編台詞無し。キャラクターの表情や動き、音楽のみで2人の友情物語が紡がれてゆくという非常に攻めた作り。
音楽は前述した『September』が印象的で、元々が超有名楽曲である為、サビの部分ならば老若男女問わず誰しもが耳にした事があるだろう。この曲は2人の男女が9月21日の夜を機に愛を深め、12月となった今も愛が続いているという事を歌っている。この曲の歌詞とは違い、2人はそれぞれ新しいパートナーと新しい生活を得て、それぞれ別々の人生へと旅立っていくが、歌詞の中に“My thoughts are with you
Holdin' hands with your heart to see you
(君のことを考えているよ。君の心も手も握って、君を見ているよ)”というフレーズがある。離れ離れになりながらも、互いの心の中には、共に過ごした一夏の日々がいつまでも残り続けてくれる事を願うばかりだ。
パンフレットによると、冒頭数分間のドッグの孤独な生活描写は、今回の映像化に際して監督の意思によって追加された要素なのだそうだが、その選択は英断であったと思う。
大都会ニューヨークの片隅、小さなアパートの一室で明かりも点けずにTVゲームをプレイするドッグ。しかも、ゲームは2人対戦のテニスゲームであるにも拘らず、コントローラーは2つともドッグが操作しているという1人遊び。夕食は大量買いしてストックしてあるレンチンする冷凍食品。ふと、前を向くと、消えたTVの黒画面に反射する孤独な自分。気晴らしにTVを点けてチャンネルを回すも、TVの雑音すら鬱陶しく、堪らず消音。向かいのアパートに視線を移すと、カップルが一つの器に盛られたポップコーンを手に仲睦まじく過ごしている。
このたった数分間の映像に、ドッグが友達も恋人もおらず、同じ冷凍食品で飢えを凌ぐ変わり映えのしない日々を過ごしているという、彼の抱える「孤独」がこれでもかと詰め込まれている。このシーンがあるからこそ、友達ロボを注文してロボットと出会った事で、彼の孤独に満ちた日々が癒されてゆく後の展開が活きていく。
そんな孤独なドッグのパートナーとなるロボット。個人的に、このロボットが終始可愛らしく、愛おしく感じられて堪らなかった。初めて目にするニューヨークの生活の陰陽に、平等な好奇心を向けて目を輝かせている様子。砂浜に置き去りにされながらも、ドッグとの再会を夢見る様子。渡り鳥の巣を守る中で、雛の一羽と友情を深め、彼らの成長と旅立ちを見守る様子。一度はスクラップにされ、“ラスカル”によって新しいボディと生活を与えられながらも、偶然目にしたドッグと彼の新しいパートナーの“ティン”が仲良く通りを歩く姿を目の当たりにしながらも、妄想の中で彼を追わずにはいられない想い。しかし、その想いは内に秘め、新しいラジカセ姿のボディで2人の思い出の曲『September』を掛けて、再会ではなく音楽で想いを伝える優しさ。
本来、感情のない無機物であるはずのロボットが作中1番感情豊かに、表情豊かに、何より夢を見ながら行動している様子が可愛くて仕方がなかった。AIによる統計的な行動選択、累積された経験による判断などでは決してなく、間違いなく彼の中に「心」があるのだ。
ドッグの孤独感を拭いたい必死さも切なく魅力的。作中通して描かれるドッグのロボットに対する感情が、時に友人であり、時に恋人のようでもありというバランス感覚が素晴らしい。友情であれ愛情であれ、彼はとにかく「孤独感」を埋めたいのだ。
また、前述した冒頭のアパートでの私生活描写は勿論、スキーツアーや夢で見たスノーマンとのボウリング描写から分かるように、彼は決して人付き合いが上手いわけでも、要領が良いタイプでもないのだろう。夢の中で彼を拒絶し、失敗を嘲笑する人々は、恐らくドッグがこれまで歩んで来た人生の象徴だろう。そんな彼に、作中唯一対等に接してくれる動物がダックだ。しかし、アウトドアが好きで誰にも分け隔てなく接する彼女は、ドッグには高嶺の花。そもそも、自由奔放な彼女は誰かのものになるタイプでも一箇所に留まるタイプでもなく、ヨーロッパへと移住してしまう。
結局、自分にはロボットしかいないと悟った(冷蔵庫に貼られたメモ書きが、彼が友人や恋人を求めた際には他の紙に埋もれ始めたのに対して、悟った時には元に戻っている演出がニクい)ドッグは、海開き当日にロボットを回収しに行く。しかし、ロボットは既に廃品回収工場でスクラップになってしまっており、失意の彼は似たタイプの安売りされていた子供ロボのティンを購入し、新しい生活を始める。
ラストシーンの素晴らしさについて1つ付け加えるなら、『September』をバックにドッグを励ますティンが、これまでのドッグのダンスとは違ったパフォーマンスを追加し、ロボットは新しいパートナーであるラスカルと共に踊る事で、それぞれが思い出の一曲に「新しい思い出」を積み重ねている点だ。この「積み重ね」がミソで、決して「上書き」ではない所が良い。ラジカセのボディを手に入れたロボットは、胸に“ロボットのお気に入りトラック”と“ラスカルのお気に入りトラック”の2つのカセットテープを内蔵している。このカセットが、ロボットが異なる環境で積み上げてきた「思い出」を視覚的に表現しているのは明らかだが、ロボットは自らのお気に入りにラスカルとの日々もこれから積み重ねてゆくのだ。
アニメーション表現の素晴らしさも忘れてはならない。電子レンジ内部から孤独感に包まれるドッグを眺めるショットをはじめ、ロボットが春の陽気を夢見る際、冬の景色の枠外へと飛び出して舞台転換する演出、春の陽気の中花々が一糸乱れぬタップダンスを披露するシーン等、アニメーションならではの表現の数々が新鮮で楽しい。度々出て来る真上からの空撮ショットを模した構図も美しい。
作中の舞台となる「1980年代」のニューヨークの風景や、散りばめられた様々な小ネタは、パンフレットの解説が充実しているので、そちらを是非手にとっていただきたい。個人的には、映画好きとしては、ドッグとロボットがレンタルビデオで借りてくる『オズの魔法使い』、ハロウィンでドッグの家を訪ねる『シャイニング』の双子コスや『エルム街の悪夢』のフレディコス、ドッグが就寝前に読んでいるスティーヴン・キングの『ペットセメタリー』オマージュ等にクスリとさせられた。
豊かなアニメーション表現と台詞を拝しキャラクター描写に信頼を置いたエモーショナルな表現、全編を彩る数々の楽曲で紡がれる普遍的なメッセージは、キャッチコピーにある通り「宝物」となる一作だった。
唯一不満を挙げるならば、こんな素晴らしい作品が小規模公開な事だろう。台詞を拝した表現は幼い子供達にも伝わりやすいはずだし、今後口コミで上映館数を増やして、是非とも親子で鑑賞してほしい。
ちょっと長い
台詞がないのがいいんだとは思いますが、さすがにちょっと飽きました。
刺さる人には刺さるのは良く分かりますが、犬の行動にイマイチ共感出来ず、台詞もないので、感情移入ができませんでした。
不憫なロボット普通に日常を過ごす犬との対比が、観ていてどうもチグハグというか、そこまで犬のシーンいるか?とは思いました。ロボットのシーンはどれも印象的で、魅力的な分、犬のシーンが冗長に感じてしまいました。
結局、ラストまでその印象が拭えず、ロボットの切なさだけが残る映画でした。独り身の内向的な犬の生活を、台詞無しでずっと観せられ、多少その日常に変化があっても、退屈さは消せませんでした。もっと短い尺で良かったですし、薄暗い劇場より、明るい部屋で観る方が良さそうな作品という印象でした。
窓辺にはR2と3PO、ROBBYとMAZINGER Z
80年代のNY、イーストビレッジ
人々が動物キャラで描かれてる世界
孤独から通販のロボットキットを購入して組み上げたDOGと Robotのお話
2人は友情というよりも濃いパートナーとなって暮らし、やがて…
切ないねー
色々あってパートナーが変わっても、想いは変わらず、心の底にずっとあるけど、新しい生活も大切だし新しいパートナーも愛してる。ただ想い人の幸せも祈ってる。
それを動物やロボットに語らすことで、普遍的なお話になってると思います。
DOGの行動には納得出来なくて、
テメェぼーっとしてないで、ボートだろ回り込めよーほら〜変な奴らがボートで〜とか思ったし、
そもそも海水浴場ってそんな厳格に閉鎖されてんだとか、
Robotのエネルギー源なに?とか
色々余計な事を思いましたが、そんな事は野暮な事で、
観てる人のそれぞれの心の琴柱に触れる細かな描写が、セリフ無しで描かれてました。
80年代のザワザワとした感じ、
まだ色んな場所からリアルなトレンドが発信されてた頃、
色んな事がまだハッキリしてた頃、
本作にはそんな雰囲気が漂ってました。
自分の絵を持って歩くバスキアとか、ハロウィンでお菓子を貰いにくるシャイニング双子とか、窓辺のフィギュアとか、そびえ立つツインタワーとか、ローラースケート、ゲイラカイト、魚釣り、海水浴…Earth, Wind & Fire…9月
「覚えているかい?」と話しかけてくるような映画でした。
ひと時の夢の余韻
「ロボットの夢」とは、ロボットが夢見ることなのか、ロボットが眠りについてみる夢なのか、はたまた、ロボットのことを夢にまでみることなのか。
「そんな問いは、無意味だよ」とばかりに、そのすべてが出てきた上に、「ロボットとドッグにまつわるひと時の夢」のような余韻を残す映画だった。
ちょっと自分語りをすると、突然動けなくなってしまうロボットって、突然の体調不良で入院を余儀なくされた自分自身に重なった。
思うように身体が動かない。ほとんどすべての時間、天井を眺めているしかない。視野が限られているから、周りの状況もつかめない。夢に見るのは、自由に動けた頃の自分自身。
そうした状況を自分だけの力ではどうすることもできなくて、誰かに(自分の場合はドクターやナースに)頼るしかないのだけれど、でも心底までの絶望とかはなくて、心の中は意外とポジティブ。というのも、いつかはよくなるという「夢見る力」が、何となく自分にはあったから。
砂浜で横になっているロボットも、イエローブリックロードをたどりながら、エメラルドシティを目指す夢をみながら、きっとそういう気持ちだったんじゃないだろうか。
それから、この映画って、省かれているものが実はポイントなのでは…とも思った。
セリフはない。ドッグの生業や家庭環境もわからない。時代背景も説明されない。ビデオゲームはレトロだし、カセットテープが全盛なのにロボットだけはすさまじくハイテクな理由もわからない…。
こうやって上げていけば、まだまだキリが無さそうだが、実は、自分を取り巻く世界って、案外そんなもんじゃないだろうかとも思うのだ。
自分にとって関心がある範囲なんて限られていて、自分に関わる世界はそんなに広くない。
だから、そこで深く関わった人や出来事とは離れ難くなるし、思い入れも生まれる。
けれど、いつまでもそこに留まり続けることは出来なくて、人生は否が応でも続いていく。
ラストなど、そこがとてもスマートに描かれていると思うし、この映画で省かれていて、最高最大にグッジョブなのは、自分は登場人物たちの「涙」だと思った。
EWFのセプテンバーの使い方の心憎さと、絵柄の温かみも◎。
遠く離れても、あなたの幸せを心から願う
30代で急死した父は車好きで、奮発して購入した輸入車をとても大事にしていたそうだ。父が他界して20年以上経ったいまでも、街で父が乗っていたのと同じ輸入車を見かけると、母は車体にちいさく刻印された車台番号を目で追って確認する。「かつて手放した父の愛車を、どこかの誰かが、いまでも大切に使ってくれているのではないか」と期待を込めて。失った友人の面影をNYで探し求めるドッグの姿を見ていたら、そんなことをふと思い出した。
どんなに愛していても、別れは唐突にやってくる。遺されたひとは深い悲しみに包まれると同時に、自責の念に駆られることもあるだろう。あのとき目を離さなければ、いつもより1本早い電車に乗らなければ、一緒に高台へ逃げていれば…。この映画のドッグにあてはめるなら、「あのときロボットを海水浴へ連れて行かなければ」だろうか。大切な人との別れに、悲しんで苦しんで、明日なんて来なくていいと絶望しても、季節は巡ってくるし新しい出会いも生まれる。そうやって少しずつ前へ進んでいく。かつて愛し愛された記憶、喪った悲しみや苦しみ、そのすべてが柔らかな土壌となって新たな愛の芽が育っていく。親友と離ればなれになったドッグの日々のなかで、その過程が優しく描かれていく。
やがてドッグは新しい友達ロボットと出会うけれど、彼の悲しみがリセットされたわけではないと思う。かつての友情の記憶も喪失の悲しみも、彼の内に存在し続けていることはラストシーンを見れば痛いほど伝わってくる。「この街のどこかでロボットが生きているのではないか?」と期待するたびに失望で傷ついてきた瞳と、幸せな日々の記憶が詰まった曲にあわせて勝手に踊り出す身体。そんなドッグを優しく見つめる新しい友達ロボット。せつなさを感じさせる同時に、未来への希望を示してくれるラストシーンだ。
神谷美恵子の『こころの旅』という書籍にこんな記述がある。「大海原を航海する船と船がすれちがうとき互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きているあいだ、さまざまな人と出会い、互いのこころのよろこびをわかち合い、あとから来る者にこれを伝えていくようできているのではないだろうか。じつはこのことを真の『愛』というのではないだろうか」
ドッグとロボットの船はそれぞれの航路を進んでゆく。遠く離れていく船から、お互いの幸せを祈っている。ふたりの新たな航路が幸せなものになるよう、私も祈りたい。
今愛してくれる人がいるじゃない
絵が色鮮やかで、わたせせいぞうみたい。
またはアグレッシブ烈子かな
ロボットってものを食べられるんだ? エイトマンは東八郎としてなんか食べたら誰もいないところで胃のあたりをぱかっと開けて食べ物出してたけど。
でもって、機械モノに塩水は大敵でしょうが!
ロボットのような精密機械を海水に浸けるなんて以ての外です。
取説読まない人、いや犬なんだね。
海水浴場の最終日に日が暮れるまで浜で昼寝、助けを求めたが店は閉まってるし誰もいない、公衆電話は線が切れてる。。それでもなんかやりようがあったんじゃないの?
なんかもう、だめでしょうこれ。DOGだめすぎ。
その後のエピソードでもダメっぷり全開で、こういう人、いや犬なんだね
与えられたものをそのまま受け取るだけ、工夫もしないし何かを得るために自ら動くという発想がないみたい。
一方的に受けるだけ与えられるだけで、自分から発信も与えることもない。
なので感情のキャッチボールが成り立たないから、知り合いになったとしても、トモダチとしてはノーサンキューです。
犬もロボットも男女どちらかわからない
ふたりの触れ合いに同性愛っぽさと、倒れたロボットに跨る場面など、エロさが仕込まれてるように感じたのは私だけでしょうか。
ロボットに記憶があるのは分かるが、想像力があるのか
なまじ両方あるのが辛い。首から上以外の体は動かないが意識はあるし。
こんな状態でひとりぼっちで置き去りにされ願望を夢見ているなんて。
「ジョニーは戦場へ行った」のジョニーのようで息苦しくなった。
渡り鳥の親子のエピソードで少しほっとした。
愛する人と離れ離れになり、ようやく会えたと思ったらすでに他の人がそばにいる
つらいけど、今の自分を愛してくれる人がそこにいるじゃないの。
ボディのラジカセに並んだ、「ろぼっとのお気に入り」「ラスカルのお気に入り」
体を修理してくれ料理をして美味しいものを食べさせて、フリマで足を買ってくれる。思いやってくれてこちらからの好意も受け取ってくれる。今一緒に幸せを味わえる人が一番だよ
ラスカルはDOGと違って、感情のキャッチボールができる相手。頭と身体を使って自ら動いて工夫して人生を良くしようとするヒト、いや、アライグマだしね
DOGは二番目の子には最初の子のような失敗はしない。
私が子供の頃に、第一子の私に母が言っていた、「生き物は最初の子で子育ての練習をして、二番目の子供からちゃんと育てるもの。最初の子は練習台だから育たないのが当たり前。二番目の子供からが本当の子供」は悲しいかなその通りなんでしょう。
第二子の妹と対等なつもりで図々しい、練習台のくせにのうのうと生きながらえて食って着て住んでるんだから恩返しとして両親の老後の責任を持つように。でなければお前なんか育ててないって。
「最初の子」だけど愛してくれる人がいて、一緒に幸せになれる相手がいて嬉しかったです。
追記:これは私の母の持論で、真理ではありません。イキモノっていうけど、野生動物と人間は違うでしょう、野生動物の生態を正とするなら、野生動物は親の老後の面倒みるものいないんだからその通りにしなくちゃね。大人になってから、母にそう言い返しました。
私に子供複数いますけど、最初の子を練習台と思ったことはないです。
家族で観れるいい映画です。
一週間前に観たこの映画が、まだ胸の奥でざわざわしています。温かくもあり物悲しくもあるこの作品に心打たれました。心に残る映画です。相手を想う気持ちが強くても、相手に負担が掛かるなら自分を遠ざけて相手の幸せを願う。どんなに時間が経ってもどんなに姿形が変わってもいつまでも慕い続ける。そんな純粋な愛に満ちた物語。
劇中歌のEarth, Wind & FireのSeptemberがいい味を出しています。ドックやロボットの気持ちを歌っているようで、一切声は無いのですが、気持ちが伝わってきます。12月に9月の頃の愛と夢と想い出を歌っているこの曲がよく合います。
まさに"Golden dreams were shiny days" きらめく日々は黄金色の夢だった。
ロボットは友だちになれるのか
世界貿易センタービル(WTC)のツインタワーが描かれている時代のNYマンハッタンで様々な動物たちが擬人化されて描かれている世界観の中で、友だちのいない犬が友だちが欲しくて組み立て式ロボットをテレビショッピングを見て注文。
組み立てて友情を育む日々とトラブルから離れ離れになってしまう。
ロボットの見た夢、犬が見たロボットへの夢、それぞれの歩みとすれ違いが描かれている作品。
絵のタッチは優しく、太めの輪郭で描かれていて可愛らしいが物語は結構残酷なシーンなどもあり重くてシュール。
だからこそ動物やロボットに置き換えられたキャラクターで描かれている意味があるのだろうけど。
マニュアル通りの行政、襲いかかる理不尽、日常と季節の移り変わり、積もっていく雪に埋もれていく日々…
AIや汎用ロボットの普及が身近になっていく現代に「ロボットは友だちになれるのか?」を問いかけるような作品だと思いました。
日本的にはドラえもんやコロ助が理不尽によって壊されていく展開と言えば、感じる所があるのではないでしょうか。
監督はスペインの方という事で、NYへ留学で渡った経歴のようで当時のマンハッタンの雑多な雰囲気や地下鉄やスラム街の荒廃した感じがよく描かれていると思います。
作中で度々流れるEarth wind &fireの 『September』(パ〜リラ♫)は1978年、監督が15歳の時の音楽でアメリカンミュージックの原風景だったのかも。
WTCは1973年開業なので、作中の時間軸は監督がNYへ留学していた1990年代〜2001年の直前辺りか。
また1998年にSOPHIAの『黒いブーツ〜oh my friend〜』のミュージックビデオも手がけられた方という事で情緒や感受性が高い方には刺さる作品だと思いました。
他の方のレビューにもありましたが、言葉にして表現するには複雑な感情を揺さぶる作品ではないでしょうか。
純度100%の「会いたい」
生きていればいつか会える。という言葉はあるが、この映画は本当に2度と会えない人、もの、風景に対しての「会いたい」なのだと思った。
2度と目の当たりに出来ないツインタワーがそびえたつ姿が象徴するように、死んでしまった大切な人、お父さんと手を繋いでくれたあの日の幼い娘…。
全て会いたくてももう2度と会えない。触れられない。語れない。
でも会いたいという気持ちは消せない、消えない。思い出すと苦しくなる、この感情。
このただ、あなたに会いたい。という気持ちを凝縮した映画だと思った。
dogが薄情という意見もあるが、dogはdogなりにロボットを愛していた。
ただ、あまりにもピュアで賢く無かったことがロボットを救えなかったんだと思った。
何回も繰り返されるロボットがdogの家に帰る夢。死んだ人の意識ってああいう感じなのかと思った。
私は、死者と残されたものの物語にも感じてしまった。
私も今あなたに会いたい。と涙が出そうです。
ロボの夢
80年代、あのゲームやったな〜って思い出した。
ただピコピコとピンポンみたいなやつ。あれ2人用なのよね。
あれを1人でプレイして冷食をチン。それをぼんやり眺めながら食べる。ブラウン管に映る1人きりの自分。慌ててチャンネルをつける。
たったあのシーンだけでドッグのぼっち寂しい生活がマジマジと痛感する。辛いよね〜窓の外には仲睦まじいカップル。わかる〜。
縋る想いの友達ロボ購入。お金で友情を買っていくスタイル。
ニコニコ可愛いロボ。ドッグ大喜び。
ロボは見るもの全ての楽しみを真似して歩く。
手を振られれば振り、手を繋ぎ、食べ物を飲み込む。
決してドッグの嫌な事はしない。主人の命令は聞くものだ。それがロボット。
Septemberを軽やかに踊る2人。名曲に名シーンを被せてくるとかすごい所業だ。
そんな彼らの別れはまさに夏の終わりであろう9月。
周りの子共やドッグの喜ぶ顔を見て遊ぶロボは海で動けなくなる。
あそこ、私なら絶対置いていかない。
ずっとしがみついて離れないし、なんなら警備員や他の人の手を借りて絶対連れて帰る。
逮捕されてもまた帰る。
でも、ドッグはきっと困って悩んでいたと思う。だからロボは目で帰っていいよと伝える。主人の為。
迎えに行けるのは6月。
その間、ドッグは新たな友達を作る為に奔放し、ロボはドッグの元へ帰る夢を見る。何度も。
その時の彼はいつもSeptemberを口ずさんでいる。
きっとドッグの喜びが詰まっている曲。
そんなロボの献身的な想いを他所にことごとく友達作りに失敗するドッグ。いい気味だと思った。
早くロボの元へ帰り、彼の存在の大きさを知れよ!って。
ドッグの寂しさもわかるけど優しいロボ側への肩入れが半端ない私。
しかし、ロボはスクラップ場へ。
もちろん嫌などと言えるわけもなし。
またぼっちになったドッグが掘り返したのはロボの片足のみ。
顔だけになったロボをなぜラスカルが連れ帰り修理したのか分からない。
同じく友達が欲しかったのか、興味なのか…
そんなこんなでラジカセロボになり、ラスカルと楽しい日々が始まる。その時ロボが奏でる曲はhappyへと変わる。
新しい日々の始まり。
BBQの最中、ソースを取りにふと窓の外を見やるとドッグの姿。新たなロボと手を繋ぎとても楽しそう。
何度も夢見たドッグの姿を見て駆け寄り手を繋ぐ想いを堪えて、彼は思い出のSeptemberを流す。
覚えてるかい?
君のことを想っているよ
ドッグの耳には届かないが、遠く離れた2人のリズムはピッタリと合った。
そこへやってくるラスカル。
ロボは音楽を一瞬変えるが、再びSeptemberへ。
新たな主人と共にビートを合わせるロボ。
新たなロボットと共に歩くドッグ。
彼はロボット。主人の命令は絶対。
ロボットだから、新しいロボットといて幸せそうなドッグの邪魔は出来ないと思ったのかな?
だけど、あの時そうしなかったのはロボットとしてではなく、感情を持った彼の意思だと思う。
ちなみに、涙腺崩壊ポイントはスクラップ場でラスカルがロボを手にニコッとしたシーン。
そこからなんかずっと泣き通しで同じ列に座ってた男性に申し訳ない事をした…
序盤に車内で子供に叩かれながら困り顔のロボットとすれ違ったロボの顔を思い出した。
全てのロボットは人間のエゴで生み出され使われる。
ロボット三原則に縛られる。
サイレント?なのに全く違和感を感じなかったのは幼少期に夕方に放送してた「トムとジェリー」を楽しんで観ていたからかな。
帰りにめちゃくちゃSeptember聴いた。
チャップリンには叶わないさ!
昔、チャップリンの映画のリバイバルをやっていた頃に何本も観に行ったことを思い出した。
しかし、新しい無声映画はつまらない。昔ほどの鮮烈な想いはなかった。チャップリンじゃないから?だろうな。もちろん「September」の曲は良かった。
1980年代、ニューヨークの風景、ツインタワー、当時のアメリカに何も思い入れの無い私にとってはつまらない話が繰り広げられ、最後は嫌な方のエンディングで終了。悲しくて泣かされた。
夢見るロボットは最初の御主人様を幸せに出来ませんでした。次に寂しさを埋めるロボットを身代わりとして買ったけれど、最初のロボットの素晴らしさを思う心は埋まらないまま大したことのない身代わりロボットと生きていくことになりました。ロボットもラジカセボディに改造されたりして復活させてくれた新しい主人に恩義を感じ、昔の御主人様の下へは帰りませんでした。なんて切なすぎる、悲しい結末は嫌いでした。
人それぞれ想いはあるだろうから感じ方は皆違うでしょうけど、私はニューヨークに思いはないし、別々に生きていくエンディングに共感はしません。
私は主人公が新しいロボットに「やっぱり最初のロボットが忘れられないから御免」と謝り、ロボットは復活させてくれた新しい主人に「最初の主人の為に戻らせて」と懇願して説き伏せて、主人公とロボットが感動の再会をして末永生きていくエンディングが観たかったので評価は低いです。
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