異人たちのレビュー・感想・評価
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“ほんとにあった怖い話し“ 映画版て感じ
古い!そしてパーソナル感パなく、オリジナルのエッセンスもまるで拾われておらず別方向へのベクトルw “異人たちとの夏”と聞いてなければ、別物のソフトホラーとしてならまあまあかな😑
異人たち…、って。
なるほどなー、と思ったけど異人なのかどうか…。全てはアダムの妄想でもあるわけだし。自己を肯定するための妄想録でもあるよな、と思っちゃう。時代背景もからめながら考えさせられる話ではあったけど。やっぱり家族って大切。
子の心、親知らず
『片岡鶴太郎』はべらんめぇな父親役が、 『秋吉久美子』はきっぷの良い母親役がそれぞれ似合っていた。 そんな両親が、十二歳の頃に死に別れたままの姿で 懐かしい浅草の地で暮らしている。 今朝分かれたばかりのような気軽さで「よう!」と声を掛けられてから 主人公は足げく二人のもとに通うことに。 まるで失われた少年時代を取り戻すかのように。 そこでは離婚した妻子のことも忘れ、 昔に戻ったように素直になれた。 しかし日が経つうちに、彼のカラダは衰弱しだし、 母親は「やっぱりねぇ。もう死んだ人間と一緒に居るのは不自然なんだよ」と言い、 別れの日が訪れる。 両親は自分たちが既にして死者であり、未練でこの世に戻されたことを認識。 再び得た楽しい日々ではあるものの、我が子可愛さにそれを手放すことを決断。 三人で囲む「今半」での「すき焼き」の湯気を前にして、両親の姿は消えて行く。 「行かないで!!」と泣きながら訴える姿は哀切極まりなく、 ここで落涙しない人間はおらぬだろう。 『大林宣彦』らしい叙情的なシーン。 主人公にとっては、自身の寿命を引き換えにしても、全うしたい懐かしい想いなのだ。 にもかかわらず、彼の衰弱は進む一方。なぜならば・・・・と、 曰く付きのラストのシークエンスへ突入。 これをもっと巧く創っていれば、どんなに素晴らしい作品になっていたことか。 元々の企画であった{ホラー}の残滓ともされているが、 監督の長編デビュー作(制作も兼ねる)は〔HOUSE ハウス(1977年)〕だったことを忘れてはならぬ。 これが〔異人たちとの夏(1988年)〕。 では同じ『山田太一』の原作を イギリスを舞台に移し撮られた本作はどうか? 〔生きる LIVING(2022年)〕と同様のケースで、先作は事前の不安をよそに、 世評の高さは周知の通り。個人的にも高めの評点。 ただ今回、監督の『アンドリュー・ヘイ』は主人公をゲイにするとの 大きな改変を加えている。 これにより、都会に一人住む男の 孤独や寂寥が際立ち伝わるように。 それ以外のプロットはほぼほぼ前作通りも、 やはり両親との別れのシーンでは日本的情緒を加味した表現に軍配。 もっともこれは、自分が日本人だからかもしれないが。 その後の展開もやや{ファンタジー}によったもの。 人を愛することを知らずに育った男が、 通過儀礼を経て愛することを覚えた、との。 が、その相手が、実態を持たぬ存在なのは それで良いのか?と、疑問に感じるところ。 日本に比べると、 キスをする、抱き合う等のフィジカルな愛情表現が濃密な西洋との認識。 なのに、本作よりも、「大林版」で描かれた両親の方に、 愛情の深みを感じてしまうのは 一つ同郷なだけが理由ではない気がする。
分かって観てれば
58本目。 日本の方は観てないけど、これちょっと苦手な感じの始まり。 正直よく分からんがしばらく続いたけど、途中でそう言う事かと気付いたけど、相変わらず理解するのに時間係り過ぎ。 日本の方を観た上でならば、味わい方が違ったんだろうけど、最後はまあ良かったかなって感じな所。
現実と夢の区別が・・・
12歳の時に両親を交通事故で亡くし、それ以来寂しい人生を過ごしてきて40歳を過ぎた脚本家アダムは、ロンドンのタワーマンションに1人で住み、両親が生きていた時の思い出をベースにした脚本を書いていた。ある日、両親が亡くなるまで住んでいた郊外の家を訪れると、そこには亡くなったはずの父と母が当時の姿のままで暮らしていた。それ以来、アダムは何度も実家に通っては両親のもとで安らぎの時を過ごした。その一方で、彼は同じマンションの6階に住むハリーを好きになり、体の関係を持ち、その事を両親に告げた。そして・・・てな話。 どこまで現実でどこが夢なのか、観ていてよくわからず、両親が生きている時に自分がゲイだった事を言いたくても言えなかった、って事がストーリーの幹なのだろうか? ゲイもクィアも個人的には興味なく、髭面の2人の中年男が大画面で絡み合うのも絵的に綺麗じゃないので、好みじゃない。 ロンドンの中心地であれだけ多くの部屋があるタワーマンションに住民がハリーとアダムだけ、というのも何か意味が有ったのだろうか? 寂しさを強調するためだとはわかったが。 とにかく、現実味の無いストーリーで疑問だらけだった。 母役のクレア・フォイは美しくて良かった。
コレは 星3以外無いと個人的に思います。1988日本版の方が万人受けは相違ない 多様性は大いに良い。ただ・・
本作 原作 山田太一さん 予想どおりお客様は寂しかった 人数は言わない 1988 映画 風間杜夫 片岡鶴太郎 秋吉久美子 浅草 【脚本は山田さんではなく 知る人ぞ知る 市川森一さん】 大林宣彦監督 いわゆるバブルの浮かれた業界人が 家庭崩壊し ヤケクソ気味だったのが 幼少時に亡くなった両親に再会し 涙し 嬉しがる チコっと 脱がない女優さん 岩下志麻さん二世とも言える人の 控えめ サラシで隠されて不自然 性的シーンは 正直言って萎えた私 結構 キテレツ作品なので 名作とまでは微妙だけど 今となっては 両親とも亡くなった ワシ的には そこそこ感動作 ハリウッド【ただし ロケ地といいスタッフといい イギリス🇬🇧作品】版 しかし 事前の広報の段階から 性的指向の雰囲気満載で 実際 主題は 性的指向が主だから 正直言って・・・ あっ❗️俺は会社で教育受けてるから 多様性 性的指向の尊重は 心得てるし 対応も可能 でも 自分のお金で見る映画 は 本音でイイに決まってるだろ❗️とおじさんは主張したい。 まあつまり 本作のは性的描写は ワシには しんどかった。申し訳ない コレは私の個人的な感覚だから 個への介入は勘弁してください❗️ それと日本版と違い タイムリープなんだか幽霊なんだかはっきりしないけど チト 死んだ両親に出会えた中年の息子にしては 反応が淡白すぎて 正直がっかり😞 あっ❗️日本版は当時のカメラ技術の未熟さが 逆に功を奏していて 鶴太郎さんと秋吉久美子さん夫婦の 幽霊のフェードアウト場面が 画面がモノホンの幽霊出マジ感動した 浅草今半すき焼き屋 ね❗️【配信されてるので 風間杜夫の両親と出会えて浮かれる場面と この場面だけでも超倍速で見てください 20分で済みます】 本作の有料パンフ🈶は秀逸 真ん中が山田太一コーナーみたいになってて そこで 片岡鶴太郎さんと秋吉久美子さんの対談の感想がマジで本作を示している 日本版は過去に受容され癒やされて 再生 言わなくても親子だからわかる的 本作は 過去との和解 白黒つける的な考え方の突き詰め方 共感性の文化が❓ とにかく せっかく 山田太一さんが面白いプロット 人情的なもの作ったのに 80年代と現代の 性的指向の理解 へ主題が変わってる気がする ちなみに 監督も主人公役も 流れる音楽も 性的指向の理解をワシに求めてくる方 わかってるって 色んな人がいて 全てが等価 くらい もうわかってるよ❗️人権として性的多様性は等価なのは当たり前ですよね。 でもワシ的には プロット部分は同じなのだから 換骨奪胎 作品期待したけど 期待しすぎだった
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 非日常的・非現実的・幻想を描いても不自然でない映画という媒体(TVはどうしても日常・現実が滲み出て来る)でこそ描けた異色の傑作。“愛”がアダムを見つける過程に涙が溢れる。
①『異人たちとの夏』は未見なので、作品世界がどう違うのか分かりません。恐らく主人公(こちらではアダム)の設定は大分違うのだろうなあ、というのは分かりますけど。 ②今まで観てきたイギリス映画たちとはちょっと雰囲気が違うので、やはり山田太一の原作だからかなあ、とも思ったけれども、この監督のカラーでもあるのかな。 ③アンドリュー・スコットがこんな繊細な演技が出来るとは思わなかったので感心しました。 あとの三人の主要キャストもみな好演。
心の棘を収める自問自答の彷徨のレトリック
なにより最初に記したい事は、原作小説と映画化は全く別物であり、それぞれ独立した作品であると言う事。原作と比較しての論評は何の意味もありません。本作はあくまでも監督・脚本アンドリュー・ヘイの作品です。私自身は原作を読んではおりません、あくまでも映画作品としてのレビューとなります。 本作の原題「All of Us Strangers」の Strangers は通常「見知らぬ人」と訳されるもので、転じて「よそ者」のニュアンスにもなる、にもかかわらず邦題が「異人たち」となってました。配給会社が敢えて異人と称した意図が判らないままの鑑賞でしたが鑑賞して初めて合点がゆきました。見事な意訳と言うべきでしょう。 漆黒が支配する闇夜が徐々に白み、光が射し始める画面の左側にぼんやりと40代と思しき主人公アダムが、ガラスに反射して見えるファースト・シーン。写し絵のような反射する虚像のシーンは、本作では幾度となく画面に登場する。自らのアイデンティティに彷徨うように自問自答の旅が始まる。どうやら男はライターを生業としており、些かスランプに陥っている事を匂わす。ほぼ曇天のロンドンの市中にそびえる高層マンションがベースですが、その殆どが空家状態の静寂が支配する。流れる現代音楽の無機質な響きがそれを強調し、まるでソラリスの宇宙船のような虚無が支配する。こうして「異人」の登場に相応しいお膳立てに観客を導く導入部は完璧です。 袋小路のアダム(アンドリュー・スコット)にコンタクトするのは彼の両親(父:ジェイミー・ベル、母:クレアフォイ)と同じマンションに住むハリー(ポール・メスカル)と言う男だけ。地下鉄と電車を乗り継ぎ郊外の実家へ行けば、両親が温かく迎えてくれる、ただしアダムの年齢よりむしろ若い容姿のままで。12歳で両親を交通事故で亡くしたアダムに、夢か現か定かでない異人との交流が始まる。 40代の息子に30代の両親が気を遣う濃密な空間が拡がり、時空を超えて心の棘をひとつひとつ取り除く工程が展開される。極めて映画的で心に沁みるシーンが続く。少年のようにはにかむアダムに、あっけんからんと母親は心に正直に振る舞う設定がいいのです。ゲイであったことをカムアウトしないまま両親を亡くしたことを悔いているのではなく、むしろ天国から息子に伝えきれなかった両親の心残りを異人として伝えに来たと思われる。「恐ろしい病気は大丈夫なの?」と案ずる両親に逆に「もう今では危険ではないよ」と説得するのがアダムなのですから。 ハリーに対してはむしろ逆で、最初の出会いで遠慮したのはアダムの方、しかし両親に再会した後で閉じた心も少し開いた結果、積極的にハリーを受け入れる。体を重ね、ゲイクラブにも出入りするアクティブな自分に驚く程。性の悦びがこんなにも希望に繋がるのを心に刻み、久しぶりのパートナーの出現と言う充実が身に沁みる。しかしこの関係を続けたいと思った矢先に悲痛な現実を知ってしまう。相変わらず孤独なままのアダムですが、夜空に輝く異人たちの煌めきに守られている事だけは確かなようです。 監督アンドリュー・ヘイは自身がゲイであることを公言しており、本作も自身の納得行くシチュエーションに翻案した事で、見事に内省を映像で表現することが出来たと思います。本作では主演にその微妙な感覚を埋めてほしくてゲイをカムアウトしているアンドリュー・スコットを選任したとか。もちろんゲイの役を実際にゲイ役者に限定する必要はさらさらないのは確かな事。演技とは役者の生身とはかけ離れていても、それを真実らしく振る舞える事こそが醍醐味ですから。事実、相手役のポール・メスカルは前作「aftersun アフターサン」2022年 でもゲイの役でオスカーにノミネートもされましたが、ゲイではありません。 さらに、同性愛と言っても愛する心は異性愛者と全く変わりません。愛し合うシーンが男×男でも女×女でも、男×女と全く同様にその描写が必要なら当然に作者は描きます。本作でも結びつきの一体感の熟成が必要だから描いたまでで。もし生理的に苦手でしたら軽く目を細めていただくだけで結構です。逆にごく一部の同性愛の方でも男×女の絡みでそうされるとも聞いたことがあります。そうしてスルーさえして頂ければ十分ではないでしょうか?にもかかわらず「気持ちの悪いものを見せられた」などと叩くことは、それにより傷つく方がいる事をお忘れなく。なによりLGBTQの方々は、好んでそうなったわけではなく先天的にそう生まれてしまっただけ、と言う事実を切にご理解して頂きたいものです。少数派を認めてこその多様性のはずですから。
残念、全然合わなかった
1988年公開の大林宣彦監督作品「異人たちとの夏」は大好きな作品で5回ぐらいは観ていて、本作はそのリメイクと聞けばいやがおうにも期待度が高まり観たのがいけなかったのかもしれませんが、これはダメ、全然、面白くないし根本的に自分には合わなかった ゲイやクィアの方には申し訳ないですが、私はそうではないため、男性2人の愛し合う描写が長いし何度も出てくるのが気持ち悪くて辛かった なぜこんな 同性愛が全面に出た作品に改変しなくてはいけなかったのか甚だ疑問 作品全般的に静かで暗くて冗長、ものすごく退屈だった 更に終始鳴り続ける不穏な音が気持ち悪かったのと、突然明るいポップスが流れるのも微妙、とにかく全体的にクラい雰囲気でつまらなかった 主人公が親と会い、通い始めるのが唐突で意味不明、いかに「異人たちとの夏」の演出と描写が素晴らしかったかが逆によくわかりました と、完全に期待ハズレだった作品です
妄想と願望の狭間で
幻想と現実の区別がつかないというよりは、妄想と願望の世界をひたすら彷徨っている。 ドラッグでトリップしたら、この話は台無しでしょ。混濁した意識の中で見た夢ってことにならない? なかなかハードな結末をFrankie Goes To Hollywoodの『The Power Of Love』で締めくくるモンだからんだから、それなりの作品観たぞって錯覚を覚える。この結末ありきでシナリオを書いたんじゃないかなぁ。 睡魔とトリップ感を体感できる作品でございます。
ずっと孤独だった
…そこに名前がついただけ。"死"を寄せ付ける孤独感、喪失感、そして自分="クィア"【ゲイであること】を受け入れてもらえなかったことに傷つき苦しく、すごく寂しかったんだ。どうか、《しこり》を大きくしないで。だから、僕が君を死から遠ざけてやる。死神も近づけないほどに…。"静かすぎる"孤立したタワーマンションから、隠れた太陽からいずれ光となる。幾度となく出てくる窓ガラスに映る自分の顔=内面の崩壊や(アイデンティティークライシス的)自己探索。エスタブリッシング・ショットによるファーストカットが魔法みたいに素晴らしかったし、外に出たアダムがマンションを見上げるカットよかった。 孤独(や喪失)がいかに人を死に近づける・追いやるか?傷ついた魂が引かれ合う。人によっては冷酷な現実を突きつけられるような感覚にもなるかもしれないが少なくとも自分にとっては、本作中で描かれるような出逢いがなくても"僕"(=アンドリュー・ヘイ)がいるよと、だから生きることを諦めないでほしい。あるいは逆に、あなたが孤独や喪失=しこりを感じるとき、他にも同じように苦しんでいる人たちがいることを思い出してほしい。それらが巡り合い出会ったとき、誰かと分かち合えたとき、きっと一筋の光や希望に変わるから。ラストシーンは、死神が遠ざかっていくようにも、一緒に上がっていく(あるいは落ちていく?)ようにも見えた。それは両親にできなかったこと。誰もが"異人"な世界で、たくさんの独りぼっちに届いてほしい作品。 山田太一「異人たちとの夏」✕ アンドリュー・ヘイ監督 ✕ アンドリュー・スコット主演 = 大林宣彦監督版は見ていたけど、アンドリュー・ヘイらしい味付け・世界観とやさしくあたたかなタッチ・トーンで綴られるファンタジックなドラマは、時を超える魔法のようだった。よく書けた脚本と演出、そしてそれらに"身体"と魂を与える肝心の演技。"アンドリュー"コンビだけでなく大好きなポール・メスカルもまたとてもよかった、主演2人の力と確かな化学反応。ジェイミー・ベル、クレア・フォイ演じる両親役もいい。過去のトラウマや心残り・未練などが堰を切るようなどっと溢れ出しては、余韻が残る…。 勝手に関連作品『WEEKEND』『ロスト・イン・トランスレーション』
オリジナル未見
故 山田太一原作は未読📖´- 故 大林監督作品 異人たちとの夏 も未見 なので、比較はできませんがそれが また良かったのかもしれません。 なんとも摩訶不思議なファンタジーですが 幼い頃に亡くした両親との再開や 自身の成長を喜んでくれる両親の言葉の数々に 嗚咽寸前でした😭 孤独に慣れたアダムが両親の愛を知り、 人を愛することを知る。 ラスト、あのシーンに吃驚し回想シーンでまた泣けた😭
不思議なストーリー
オリジナルを知らずで、いろんなコメンテーターの方々のレビューがすごく良かったのでかなり期待して観ました ハードルが上がりすぎていたのか、思っていたようなストーリーじゃなくてちょっと残念な気もしました 親が子供を想う気持ちにとても感動のストーリーなのですが、そんなストーリーの中にドラックシーンがあって、それ必要なんかなと途中とても違和感だったけど、そこはラストでわかりました ロンドンのマンションに1人で住む主人公のアダム、でもオシャレなロンドンという感じは全くなく、どこにでもありそうなロケーション 孤独な人生を送ってきたアダムが、同じマンションに住むハリーとの恋と、子供の頃からずっと一緒に過ごす時間がなかった両親とわかり合えていくというストーリー 当時のいじめについてのお父さんとの会話がすごく心にきました そして親子3人でのレストランのシーン、涙がポロポロ止まりませんでした 親の願いは子供が幸せである事、本当にそうなのです 誰かを愛して、その誰かから愛されて、孤独じゃない人生を送る、それが本当に幸せな人生だと改めて思いました
大林版との比較で観る「異人」のお話
山田太一の小説「異人たちとの夏」を原作とした作品でした。原作小説は、1988年に大林宣彦監督が「異人たちとの夏」として映画化しており、本作の公開直前に大林版も鑑賞したので、同作との比較を通じてアンドリュー・ヘイ版の本作の感想を書いてみたいと思います。 まず大林版との大きな相違点は、1988年当時の東京を舞台にした大林版に対して、本作は現代のロンドンを舞台にしており、国の違い以上に時代状況の違いが作品にも反映されていました。また、主人公の中年男性が脚本家を生業としているところは共通していて、都会(東京とロンドン)のマンションに一人で住んでいるところも共通しているものの、大林版は妻と離婚した直後の状態だったのに対して、本作の主人公はゲイであることを隠して生きてきたという設定でした。ただ両者ともに都会で一人孤独に暮らしているという点は一致していて、これがこの作品群の重要な鍵であったと言っていいと思います。 さらに題名も異なっていて、本作には「夏」という言葉がなくなっています。これは原作や大林版が夏の東京を舞台にしていたものの、本作では夏のロンドンを舞台にしなかった、というか、季節感を強調していなかったことによるものだと思われます。別の見方をすると、ランニング姿で涼をとる文化がイギリスにはなかったということに尽きるということなのでしょう。 以上相違点を列挙しましたが、映画としての出来栄えは甲乙付け難く、特にロンドンの夜景をはじめ、映像は非常に綺麗で、アンドリュー・スコット扮する主人公アダムの孤独感とのコントラストが印象に残りました。また、大林版で疑問だった2つの点も、本作ではいずれも解消されていて、アンドリュー・ヘイ監督が私の声なき声を聞いてくれたのかと思ったほどでした。 具体的には同じマンションに住む恋人が自殺した下りについて、大林版では早々に発見されていて、恐らくは警察の捜査もあったと思われるにも関わらず、風間杜夫扮する主人公の原田が全く知らなかったことが極めて不自然でした。しかし本作では、主人公と恋人の初対面の直後という同じタイミングで恋人のハリーが自殺していたものの、直ぐには発見されず、しばらく経ってアダムが発見しており、矛盾が解消されていました。 もう一つ、これは大林版への疑問というよりもガッカリした点ですが、主人公の原田が、この世の人ならぬ”異人”である両親や恋人と接触を重ねるに連れて体調を崩して行き、最終盤ではホラーかと思うような特殊メイクを施しました。ところがこのメイクがイマイチで、怖いと言うよりも苦笑してしまう感じで、それまでの映画の雰囲気を損なっていたように感じました。その点本作では、主人公アダムの体調不良が強調されておらず、畢竟アンドリュー・スコットも特殊メイクを施されることはありませんでした。原作未読のため、最終盤のシーンが大林版のオリジナルなのか、原作を忠実に再現したものなのかは分かりませんが、2本の映画を比較すると、この点においては明らかに本作の方が上々の出来栄えになっていました。 両者のラストシーンも異なっていましたが、これは両者とも味わいがありました。アダムも異人になってしまったのかしらと思わせる本作の締めくくりも良かったですが、個人的には”夏”=”お盆”=”あの世の人との邂逅”という日本ならではの雰囲気を醸し出していた大林版にやや軍配が上がりました。まあこの辺は、文化的、宗教的な基盤が異なる国で制作されたので、致し方のないところかなと感じたところです。 最後に役者ですが、主人公のアンドリュー・スコットは、イギリスBBCのドラマ「SHERLOCK シャーロック」で、ホームズの宿敵・モリアーティー教授を演じていました。その際の薄気味悪く、ねちっこくも、どこかお洒落な演技が余りにも印象的で、本作を観ていてもモリアーティーが演じているように観えてしまいました。同作がNHKで放映された際は、村治学が吹き替えを担当していましたが、本作の吹き替え版を創るとして、村治学の声だったら笑っちゃうなと、勝手に想像したところです。 そんな訳で、同じ原作を持つ2本の作品を連続して堪能することが出来ました。そんな本作の評価は★4とします。
アンドリュー・スコットで星一つおまけ
日本版は遠い昔に鑑賞記憶あり ラストのネタバレも知っていたことが鑑賞を少し妨げたかも シックスセンス的な伏線が無いかと見ていたので 都会で孤独に暮らす男が、子供の頃になくした両親に出会い、心を取り戻していく物語 いくつかのドラマなどで注目していたアンドリュー・スコットが期待通りの演技、そこは満足 だけど同性であろうと異性であろうと濃厚すぎるラブシーンがちょっとノイズになってしまう・・・ 監督的には必要だったのだろうけど
残念ながら…
いい話なのかなぁ〜… なによりも、愛情に飢えていたとはいえ何十年も一人で生きてきて、両親の幽霊に会ったらあんな風にいきなり甘えちゃうもんなんだろうか、ってのが一番飲み込めない。両親の気持ちも考えず、ゲイの恋人連れてってさ… そりゃあね、何十年もの愛情の空白を埋めて、自分のことを性的指向も含めて認めてほしい、って気持ちは分かるよ。でもさ、親なんて生きてたって分かり変えないことの方が多いんだと思うよ。そんなもんだよ、悪いけど… そういう甘ったれた感じが、どうしても理解できなかった。残念ながら…
2世帯マンション
ロンドンで独り暮らしをする脚本家の男が、12歳になる前に交通事故で亡くなった両親と再開するファンタジー…? オリジナルを知らずに観賞したけれど、情報後出しで進んでいくから、あらすじ紹介を読んでいないと、誰?夢?どういうこと?となる序盤。 そしてあらすじ紹介を読んだ情報だけで観賞したけれど、同性愛者にしてメンヘラな主人公の恋愛物語がメイン…というか殆どそればっか。 一応両親に言えなかった自分のこととか思いとかそんなものもあったけれど、自分の苦手なヤツだった。
ものすごく悲しいファンタジー
山田太一の原作や邦画版には触れずに本作を鑑賞しました。 アンドリュー・スコット演じる主人公アダムの何とも切なく悲しいファンタジー作品。 アダムの両親はどうやらアダムが12歳のときに事故で亡くなっているらしいのですが、 その割には両親は生きているじゃないか!?という見せ方。 でも、物語が進むに連れ、やはり亡くなっているのだということがわかります。 ただ、アダムが両親にゲイであることをカミングアウトし、受け入れてもらえるまでに相当の時間がかかったりと 亡くなった両親と過ごしながら、子どもの頃に突然訪れた別れ〜現在に至るまでの時間を 愛情で埋めていくような、そんな描き方をしています。 その両親との別れのシーン(ファンタジーですが)が実にグッときます。 そしてアダムの彼氏であるポール・メスカル演じるハリー。 すごく仲良くなってお互い欠かすことのできない存在になっていくな〜と思って観ていたら なんとハリーも亡くなっていたということがわかります。 それがわかっても、亡くなったハリーとのコミュニケーションがとれるアダムとの 最後のシーンが実に心に沁みます。 なんて悲しい・寂しい主人公なんだ!!と思いながらも、 実に心に沁み入る作品で、私は何とも言えない温かい気持ちになれました。 冒頭の夜景〜朝焼けになっていくシーンが実に美しいです。
親の願いはただ子どもが幸せであってくれること。
暗い。ただただ暗い。 主人公がゲイの設定になってるのはなるほど頷けるけど、まさかゲイのおじさんたちのセックス見せられるとは思ってなかった。 息子にゲイであることを告げられた時の母親の反応が正直なところなんだろうな。 相手が男でなく母親役のクレア・フォイみたいなきれいな女の人だったら、また面白かっただろう。 風間杜夫は華があったんだな。
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