「忘れてしまうことの罪悪感と忘れられないことの苦悩」君の忘れ方 Tofuさんの映画レビュー(感想・評価)
忘れてしまうことの罪悪感と忘れられないことの苦悩
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ラジオ局で放送作家の仕事をしているスバルには結婚間近な恋人のミキがいたが、交通事故で急逝する。突然の喪失にしばらく仕事も手につかず、取材相手のカウンセラーにも突っかかる始末。心配した母親の勧めで実家の山間の町に戻り、取材がてら参加したグリーフケアの集まりで、死んだ妻の姿が見えると言う変わり者の池内と出会う。一方、スバルの母親も20年前に夫をバイクの轢き逃げで失っており……。
自分はそれなりの年月をこれまで生きてきて、かなり様々なことを経験してきてはいるが、まだ人生で未経験のこともある。その一つが(ある意味幸運なのだろうが)一親等の死だ。とは言え、親しくしていた人の死に直面した経験は当然ある。また、一般的に、仏壇にご飯を供えながら亡くなった配偶者に声をかけるような様子を見ても特段おかしく思うことはない。
そう考えると、亡くなった妻が見えると言う池内の言動も実はそこまで変わっているとは言えないのかも知れない。
事故、病気、災害、戦争などで親しい人を失う喪失感に人はどう向き合っていけばいいのか?その人のことを忘れるからつらいのか、それとも忘れられないからつらいのか?
忘れてしまうことの罪悪感と忘れられないことの苦悩という問題のはざまの感情を本作を観ながら抱いていた。
なかなか正面から向き合いたいとは思わないことだが、避けては通れな問題。いまだまだ「グリーフケア」という概念が日本で浸透しているとは言い難い一方で、「我慢は美徳」とか「時間が解決する」などとは別の次元での向き合い方を考えてもいいのかも、と思えた。
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