Ryuichi Sakamoto | Opusのレビュー・感想・評価
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Ars longa, vita brevis.
故・坂本龍一さんの晩年の記録映画。
"async"、"PERFORMANCE IN NEW YORK" に続くシリーズ感覚で観た。
とにかく没入感が半端なく、時間が経つのを忘れそうになるほどだった。
モノクロの映像から
・スタジオ内の背景の明暗
・スポットライトの中での演奏
・教授がこだわっていたのだろう多くのマイクの配置
・譜面をめくる音まで聴こえてくる、本物のコンサートのような雰囲気
・それでも教授にしか出せない独特の世界観
が伝わってくる。
今回は福岡市内でドルビーアトモス対応の映画館での上映予定がなく、九州・山口エリアでリストアップされていたゆめタウン飯塚か下関駅横シーモール内シネマサンシャインのいずれかで観ることにしたが、スケジュールを観てシーモール下関で観た。
教授ファンの方であれば、遠出してでも観る価値が十分すぎるほどある。
芸術は長く、命は短し。
もの凄い満足感
ドルビーアトモスで鑑賞。多分教授のファンの方が見に行っている映画だと思うので、ここにいたるまでの経緯とかは、はしょって自分の雑感を書く。
ZAK氏の録音、ミックスがものすごく繊細な音、例えば鍵盤が沈んだ時の低音まで拾ってるので、そういうところは好き嫌いはあるのかもだが、2010年以降の「音の響き」自体を作品の一部として重要視して来た教授の作風を考えればマッチしているし、時に体力不足の影響からか、ほんの若干あるミスタッチも、ある意味そのような要素の一部として捉える事が出来、私的には気にならなかった。(ちなみにzak氏はambient kyotoというイベントのためにasyncのリミックスも担当されている)
それよりも教授が最晩年に残しておきたいと選んだ楽曲をその最晩年のアレンジで、映画館で聴いている満足感。一曲一曲の濃密さ、豊潤さに物凄い満足感を得た、とてもリッチな時間だった。
私にとって坂本龍一はもちろんYMO等80年代に名声を得たあの坂本龍一でもあるのだけども、その頃のイケイケの教授よりも実はalva notoらと共作しだした、エレクトロニカを経てからある意味新しい音楽の聴き方を手に入れた2000年代以降の彼の楽曲の方が、必死でポップミュージックやR&Bを取り入れようとして、もがいていた90年代よりも、彼が持っていた現代音楽の資質や教養と電子音楽出で経た経験の融合を作品として具現化出来ているように思っている。
もし90年代ぐらいで坂本龍一の作品を追いかけるのを止めてしまった人がいたとしたら、そこは非常にもったいない。私は彼の全盛期は最後の10年だったと本当に思っている。(それ故に、「ガンなのに命を削って作ってたから凄い」だとかそういう所でしか作品を語れないマスコミを残念に思っている。結局ゴッホやピカソの何が凄いのかわからないから、人生が壮絶だったとか言って、浪花節の物語として消費して評価しているのと同じだ。そういう部分にももちろん私は人間としてもちろん感動するが、それよりなにより、作品として凄いという事が残念ながら一般の人にあまり伝わっていないように思う。同様に現役で最重要の音楽家の一人であった事の方が何十年も前に戦メリ作った人、であるよりも遥かに凄いがそれを語れる音楽担当がマスコミにいない。未だに語るのはそこだけかよ、とうんざりする。)
映画に話を戻すと、鑑賞していて、なぜ私がこれほど坂本龍一の演奏、楽曲を素晴らしいと思うのか、というのを改めて理解する事ができた。例えば中期のシェルタリングスカイにしても、本当に必要な音の要素だけをミニマムに時間軸に置いていく、なにかミニマルな建築の柱が並ぶようにフレーズの繰り返しが続く楽曲の構造であるにも関わらず、その必要最低限の一音一音が同時に凄まじくエモーショナルに響く楽曲構成になっているという事が彼の楽曲を特別にしているのだと思う。大友良英氏も確か同じような感想を追悼等で述べられていたと思うが、その両方が同時に成り立っているという事が凄いのだと思う。
エモーショナルな楽曲を作ろうと思えば作れるが、それが坂本龍一の場合ドラマチックに楽曲が展開しているわけではなく(もちろん、ラストエンペラー等の例外もあるが)、限られた音の繰り返しによってなりたっているのだ。そしてそのような彼の資質が最初に述べた「音の響き」そのものを楽曲に取り入れるという引き算的な発想につながり、晩年のasyncやレヴナントのサウンドトラックに結実しているのだと思う。
そのような楽曲であるが故に、最晩年の一音一音の音を丁寧に響かせて聞かせる彼のピアノのスタイルが当然のように合うわけで、私にとっては本当に至福の時であった。本当に最後のライブを目の前で拝見するかのように一音一音を噛みしめて味わう事が出来た。映像、カメラワークも美しかった。終わってから、家に帰るまでの時間もずっと心が満たされていた。
今作に限らず、asyncのライブや彼のピアノ演奏を劇場のしっかりとした音響設備で定期的に聴けたらなと思った。あ、それと、教授が審査委員長だった大島渚賞を「セノーテ」で受賞された小田 香さんが撮影班に(メインの撮影担当ではないが)いらっしゃったことを最後のクレジットで知り、それもうれしく思った。
静寂さえも音として。
濃密な100分間
とてつもない感動があった
坂本龍一氏最後の演奏に触れる贅沢な時間
坂本龍一
ソロコンサート。
正直感じた印象はこれだった。
ただコンサートとは違い
映画と言うメディアを通してのソロだし
ドルビーアトモスと言うサウンドシステムも備えていた
ので、マイクが高性能で、息遣いも漏らさず聴ける。
と言う、ある意味別の臨場感を得られる仕立であった。
故に、演奏するピアノに添付された楽譜が
ピアノの振動を受けて振れる音も同期し
不思議な音響効果を感じたソロコンサートでもあった。
CODAもそうだったが、教授がただの演奏を行う
音楽家ではなく、真の「音」学家であったことが理解できるシーンは映画ならではの良さであると思う。
公開初日の客入りを見て、ここまでの告知広報の少なさ
(おそらく君いき、に倣った手法?)
と制作サイドの戦略性のなさが気になるね◎
sayonara skmt
お別れに行った。教授プロデュースの音響設備。間違いなく日本唯一の音場。左小指と薬指の距離感が音としてわかる。ペダルを踏むだけのフェルト音が放つ繊細かつ濃密な音。曲終わりのピアノ倍音の消え方。とにかくハイスペック。違う劇場でも聴いてみようと思う。最後のシーンで感極まる。さよなら教授。
坂本龍一の最後にふさわしい偉大な作品
坂本龍一が音響監修を務めた109シネマズプレミアム新宿にて、坂本龍一が選曲した 20 曲で構成された最後のピアノ演奏を記録した長編コンサート映画。
作品はモノクロで坂本龍一が20曲を演奏するだけの単純な構成。しかしそれでも感動せずにはいられない。カメラは坂本龍一の細部の息遣いからシワやシミ、痩けた顔を哀れもなく撮らえている。また演奏は精細を欠いて、失敗したところもそのまま映し出している。NHK「last days」を観た後に観たため、この時、坂本龍一の指先の痛みなどもあったとわかる。
これまで坂本龍一は前衛的でスタイリッシュなイメージで世間には自身の生活感は見せてこなかった人だと思う。しかしlast days含め、最後にこれほどまでに、決して完璧で美しくないが必死に死と音楽に向き合う美しい姿を見せてくれた。そこに死とは何か?生きるとは何か?この単純な構成の中に死期を悟った坂本龍一からの様々なメッセージが伝わる作品であった。まさに坂本龍一の最後にふさわしい偉大で最後まで前衛的な作品を残した。
教授が追い求めた美に聞き入る
タイトルなし
音楽はあるが映画はない。
すでに言われてるとおり、これはただの演奏記録映像にすぎず、ここには音楽はあっても「映画」はありません。著名な音楽家はピアノの前から一歩も動かず、カメラはその指先と表情をピアノの前や横から、PANやズームを繰り返して撮っているだけです。演出というほどの演出はなく、正直言って「監督」がこの作品において何に貢献したのかもよく分からない。
すでに死の半年前を切った時点での記録がときとして胸を打つことは確かで、筋と骨が浮かび上がった痩せこけた指が、鍵盤の上で音を探ってゆく姿が感動的ではあります。
感動的ではあるんだけど、それは「記録」としての感動であって、演奏そのものへの感動ではないんですよね。彼は著名な作曲家であって偉大な演奏家ではなかったのだから、これは仕方がない。仕方がないが、それならなぜこんなに延々と演奏をきかされるのか。
そしてその「記録」としての感動も、やはりさしたる演出もないまま延々とつづくので白けてくるのです、正直言って。かなり熱心なファンでも、「もうちょっと何とかならなかったかな」と微かに不満を抱くような気がします。坂本氏のコンサート映像はたくさんあって、それらを上回って見る価値があるかというと、個人的には疑問ですね。
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