「家族という呪い、恋という希望」52ヘルツのクジラたち パングロスさんの映画レビュー(感想・評価)
家族という呪い、恋という希望
本作で描かれた「壊れた家族」だけが、「呪い」なのではない。
すべての家族は呪いであり、呪われていない家族などないのだ。
そして、恋は希望だが、それは、すぐに愛という名の呪いに転ずる。
室町時代、観阿弥、世阿弥、元雅らが大成した猿楽能では「愛」は必ず「愛執」という名の煩悩だと説かれ、親子の愛ですら、闇の世界の迷妄へと誘う種だとされる。
本作が、アン(志尊淳)の口を借りて、序盤に「家族は呪い(にもなり得る)」というテーゼを明示したのは良かった。
本作の中核に据えられるべきテーマと言える。
そして、やはり杉咲花の圧倒的な力だ。
もはや演技力とか、憑依型の演技とかの言葉では形容が足りない。
あらゆるモノを飲み込むブラックホールのような、逆に、途轍もないエネルギーを発出する超新星のような、圧倒的な存在の力が杉咲花にはある。
だから、彼女だけ、作品のなかで、常に一人次元が違って見えてしまう。
監督は、あまりにも杉咲一人に本作のすべてを負わせ過ぎているのではないかと、疑わざるを得なくなる。
しかし、それは作品の構想段階から意図したものだったのか、はたまた、何ら意図せずして杉咲その人の力によって、そのようになってしまったのか、おそらく監督本人にも定かではなくなっているのではないか。
本作の柱をなす登場人物は、3人ないし4人の「家族によって呪われた」子どもたち=52ヘルツのクジラたちだ。
登場順にあげておこう。
(1)三島貴瑚 ‥‥‥. 杉咲花
(2)少年52=愛 ‥‥ 桑名桃李
(3)岡田安吾 ‥‥‥‥ 志尊淳
(4)新名主税 ‥‥‥‥ 宮沢氷魚
このなかでも、杉咲のキコ=キナコに次いで重要な役割を果たすのが、志尊演ずるアンだ。
表情豊かというより、上述したように無表情でも圧倒的な存在のオーラを放つ杉咲に対して、志尊の演技は、最後の最後で爆発するまで、感情を表に出さないことに徹している。
アンが、トランスジェンダーであることは、序盤過ぎたあたりで観衆には早くも示される。
が、そのあとも何故、彼がその事実を周囲の誰にも、キナコと呼ぶキコにも、伝えないかは謎として残る。
終盤、アンは新名の復讐としての母親(余貴美子)へのアウティングによって、それまで被っていた仮面を剥がされ絶叫する。
そのあとの彼の自死は、このアウティングのショックによるものか、一度は逃れた呪われた母親の呪縛に再び囚われたことへの絶望ゆえか、と観衆に思い込ませる。
ところが、彼の残した遺書によって、それはキナコへの愛が決して成就できないことを自覚したから、自分では愛するキナコを幸せにはできないと悟った、その絶望が選ばせた道だということが明らかにされる。
序盤では、謎に過ぎなかったアンの幻影が、ラストでは、キナコが「魂のつがい」だと真の愛を打ち明ける対象へと姿を変えていた。
中盤までは、杉咲=キナコの圧倒的な強さに対して、志尊=アンの存在感の弱さが気になって仕方がなかった。
が、このラストシーンによって、本作が、キナコによるアンへの鎮魂の物語だったことに気づかされ感動するのであった。
ただ、本作は、どうしてもバランスを欠き、ストーリーも少し欲張り過ぎ、詰め込み過ぎによる消化不良な点も目立つと言わなければならない。
発話障がい(直近でレビューした『ピアノ・レッスン』の主人公もそうだった)のDV被害の少年のエピソードは、プロローグで示されたあと、エピローグで回収される。
キナコが自分を投影せざるを得ない「呪われた家族」の被害者たる少年を救ったのは、
亡きアンが自分を救ってくれたことへの恩返しと、
親友ミハル(小野花梨)とのシスターフッドと、
それを踏まえてのオールドシスター村中サチエ(倍賞千恵子)の助力とであった。
ただ、俳優の演技に着目すると、この少年はキナコやアンに比べて、いかにも添え物的である。
同様の年代の少年を扱っても、是枝裕和なら最新作『怪物』においても、そして大出世作『誰も知らない』においても、少年俳優たちは大人顔負けの存在感と演技の力を発揮していた。
本作において、少年を発話障がいとしたのは、作劇の必然というより、監督の逃げの一手だったと疑われても仕方がなかろう。
そして、ちょっと酷かったのが、宮沢氷魚まわりの諸々である。
宮沢氷魚は、2020年の『his』で藤原季節とゲイカップルを演じ、その誠実で清新な演技に感心したものである。
ところが、本作で、宮沢にあてられたセリフはあまりにも杜撰だ。
DVの深層に「呪われた家族」または「家族の呪い」を見ようとする本作にあって、宮沢の役は、あまりにも類型に堕したクズ男、胸糞男子に過ぎなかったではないか。
かように、本作は、欠点も決して小さくはない、歪つな出来の不良品の側面がある。
しかし、その果たそうとした、目指そうとしたところは、『正欲』の大失敗を見事に克服し、『市子』で杉咲が示せなかった主人公の「その先」の希望を描くことに、いくがしか成功してもいる。
私も含め、シアターでは、終盤、すすり泣きの声が止むことはなかった。
大いなる意欲作だと評価したい。
またも杉咲によって、私たちは人間性の深淵を覗き見ることができたのだから。
本作に出会えたことを、まずは素直に喜びたい。
アンくんに一番寄り添えました。宮沢氷魚さんは最初から???の演技だったしキャスティングが良くなかったと思いました。「エゴイスト」の彼はどこに行ったの?でした。「ピアノ・レッスン」今日映画館で見て、やっぱり配信よりずっといい!と思いました。エイダ、そうか・・・