コラム:どうなってるの?中国映画市場 - 第8回
2019年11月29日更新
北米と肩を並べるほどの産業規模となった中国映画市場。注目作が公開されるたび、驚天動地の興行収入をたたき出していますが、皆さんはその実態をしっかりと把握しているでしょうか? 中国最大のSNS「微博(ウェイボー)」のフォロワー数270万人を有する映画ジャーナリスト・徐昊辰(じょ・こうしん)さんに、同市場の“リアル”を聞いていきます!
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第8回:外国人記者として見続けた東京国際映画祭 発展のポイントは“開催地に住む人々”
「お待たせいたしました! ようやく海賊版のお話を――」と言いたいところなのですが……申し訳ございません! もう少しだけ延期させてください。今回、どうしても東京国際映画祭について語りたかったんです。中国の記者として、同映画祭の取材をするのは、今年(第32回)で9年目になりました。私にとっては縁のある場所であり、お世話になった映画祭でもあります。だからこそ、ひとりの外国人記者として、東京国際映画祭のことを話したいと思っていました。
初めて東京国際映画祭に参加したのは、第24回開催時のこと。まだ“グリーンカーペット”の時代ですね。当時、国際映画祭に参加することが少なかった私にとって、同映画祭は“おしゃれ”“スタッフの方々が非常に親切”というイメージでした。そこから9年間、イベントに参加するだけでなく、約60人ほどの個別取材も経験させていただきました。数多くの日本人監督、映画人とお話ができたことは、貴重な財産になっています。ただし「海外報道システムとの違い」「秋季開催の難しさ」といった改善すべき点を、年を追うごとに実感していったというのも事実です。
海外のマスコミとして、最も不思議に感じてしまったのは、報道の体制です。日本の芸能界には、様々なルールがありますよね。この事自体を批判するわけではありません。おそらく、どの国にも“その国なりのルール”があると思います。ただ、国際映画祭という場では、より“国際的な対応”をしていかないと、誤解を招くことになると思います。数年前、オープニングイベントで、ある国民的アイドルグループがレッドカーペットを歩きました。海外のマスコミにとっては、注目の話題。しかし、当時は“彼らの写真をネット上に掲載できない”という制約があり、海外のマスコミと取材担当者との間でトラブルが起こってしまいました。
この件について考えてみた時、映画祭サイドの問題ではなく、根本的に言えば“意識”の問題なのではないかと思いました。私は映画祭だけでなく、映画の公開を記念したイベントや舞台挨拶も取材することがあります。でも、日本では「取材可能」という返事を貰うことが大変で、大変で……色々な壁を乗り越えなければ、取材現場にたどり着くことができないんです。そんな時、ふと思うんです。多くの映画関係者は、海外を意識していない、もしくは無関心なのではないかと。
海外の媒体に作品が取り上げられるということは喜ばしいことだと思うのですが、日本映画界はその点について、あまり“意識”をはらっていない気がしています。東京国際映画祭という場には、多くの海外映画人やマスコミと交流できるチャンスが広がっています。たとえ“ルール”があったとしても、それを乗り越えて“世界”を目指すべきではないでしょうか。幸いなことに、近年、この状況は改善しつつあります。やはり、互いに“理解し合う”べきなんです。
現在は、5月に開催されるカンヌ国際映画祭の“一強の時代”になったと感じています。だからこそ、秋シーズンに開催される映画祭のコンペティション部門のセレクションは、今後さらに難しくなっていくでしょう。第31回(18年)の審査委員長を務めたブリランテ・メンドーサ監督は「作品の選定に疑問を持っている」と発言し、今年はチャン・ツィイー審査委員長が「かなりハイレベルな映画祭」と賛辞を送りつつも「この映画祭が、どんなキャラクター(性格)なのか、どんなカラーなのか、どんなDNAと歴史を持っているのか、どんな視点を掲げているか……どの映画祭でも、それが大事なこと。世界の国際映画祭のなかで、ポジションを獲得できることを願っています」と提言しました。
“DNAを持つ”ということは、容易なことではありません。アート映画に限って言えば、中心地となっているのはヨーロッパです。誰もが、カンヌ、ベルリン(2月開催)、ベネチア(8月末~9月初旬開催)を目指しているという状況を変えることは不可能です。そうすると、その年の“目玉作品”の大半は、この三大映画祭でワールドプレミアを行うため、後発となる東京国際映画祭(10月末~11月初旬開催)ではセレクトできる作品は限られてきてしまう。では、どうすればいいのでしょうか。
私が東京国際映画祭で毎年興味をひかれるものは、コンペティション部門に選出される中国映画です。近年では「風水」(第25回)、「ミスター・ノー・プロブレム」(第29回)が素晴らしく、欧米よりも、アジア圏での共感を得やすい作品だと思いました。また、東南アジア映画の取り上げ方も、他の映画祭より力を入れている――このようなアジア映画の支援&発掘をさらに強化し、主に“アジア映画”の魅力を発信する映画祭になってもいいのではないかと思うことも。
アジアの中で、国際映画製作者連盟(FIAPF)が公認するコンペティティブ長編映画祭として認められているのは、東京、上海(上海国際映画祭)、ゴア(インド国際映画祭)のみ。しかし、上海は、中国国内の映画市場が“不完全な状態”のため、多くの新作が見られない。つまり、映画祭というよりは“特別上映会”のような存在となっています。一方、ゴアも上海と似ていて、その他の映画祭での受賞作、既に世間から注目されている話題作の上映が中心。コンペティション部門は、それほど注目されていないんです。この状況を上手くとらえることができれば、東京国際映画祭はステップアップできると信じています。
第32回東京国際映画祭の審査員会見では「今ひとつ盛り上がっていない。どうすればいいか?」という質問が飛び出しました。映画祭では、舞台挨拶、フォトセッションだけでなく、一般の観客と、監督や役者との交流が非常に重要な要素となってくるはずです。“映画を見る”だけでなく、“映画を体験する”ことが、最も理想的な形なのではないかと思います。
また、個性的でユニークな国際映画祭になるためには、国、地方の支援が必要です。それは単なるお金の問題だけでなく、開催地全体のサポートが関わってきます。東京国際映画祭の開催期間中、映画ファンは楽しめますが、一般の人々の関心度は低い(ハロウィンの方が注目されているような……)。この状況を変えるためには、やはりサポーターが必要です。
「今、日本で最も成功したと言われる国際イベントは?」と聞かれたら、私は「瀬戸内国際芸術祭」と答えます。本年度の動員は、歴代最高となる110万人を突破。最も魅力を感じたのは、同芸術祭の原点でもある「南瓜」です。世界的に著名な草間彌生さんの作品ですが、直島のある場所に設置することによって、その地域と流れる時間に“意味”を持たせています。そして「瀬戸内国際芸術祭」でさらに特筆すべきことと言えば“開催地に住む人々”の功績です。現地の大学生やデザイナーが積極的に作品を出していましたし、地元の方々は「瀬戸内国際芸術祭」を“自分のこと”としてとらえていました。開催期間以外でも、企画、宣伝プロモーションに注力する光景が目に入ったんです。
イベントは、開催地の人々が参加しているかどうかで、雰囲気ががらりと変わるはず。韓国・釜山国際映画祭も、成功例のひとつと言えるでしょう。東京国際映画祭との違いは、ラインナップではなく、参加者の割り合い。釜山市民をはじめ、長年多くの韓国の方々に支持されていますし、何より参加者には若者たちの姿が多いんです。どの上映会を見ても、観客の半分以上は20代の若者。彼らは、映画を見るだけでなく、積極的にイベントに参加したり、ボランティアとして映画祭をサポートしました。彼らの存在が、映画祭の素晴らしい雰囲気を作り上げていたんです。この点は、東京国際映画祭にとって“大きな課題”でもあると思います。色々小言を書いてしまいましたが、私にとって東京国際映画祭は、やはり“特別な存在”。素晴らしい国際映画祭へと発展することを期待しています。
筆者紹介
徐昊辰(じょ・こうしん)。1988年中国・上海生まれ。07年来日、立命館大学卒業。08年より中国の映画専門誌「看電影」「電影世界」、ポータルサイト「SINA」「SOHA」で日本映画の批評と産業分析、16年には北京電影学院に論文「ゼロ年代の日本映画~平穏な変革」を発表。11年以降、東京国際映画祭などで是枝裕和、黒沢清、役所広司、川村元気などの日本の映画人を取材。中国最大のSNS「微博(ウェイボー)」のフォロワー数は280万人。日本映画プロフェッショナル大賞選考委員、微博公認・映画ライター&年間大賞選考委員、WEB番組「活弁シネマ倶楽部」の企画・プロデューサーを務める。
Twitter:@xxhhcc