北米と肩を並べるほどの産業規模となった中国映画市場。注目作が公開されるたび、驚天動地の興行収入をたたき出していますが、皆さんはその実態をしっかりと把握しているでしょうか? 中国最大のSNS「微博(ウェイボー)」のフォロワー数280万人を有する映画ジャーナリスト・徐昊辰(じょ・こうしん)さんに、同市場の“リアル”、そしてアジア映画関連の話題を語ってもらいます!
消えつつある香港の“ネオン”に思いを馳せて サイモン・ヤム「香港の輝きは永遠に続くと思っています」
昨年末12月27日より、ウォン・カーウァイ監督のドラマ作品「繁花」が中国で放送・配信され、爆発的な社会現象となりました。80年代下旬~90年代上旬の上海を舞台にした本作は、主人公・阿宝が激動の時代に奮闘する様子、そして数々の出会いを描いた美しい“時代モノ”です。
物語は主に上海ネオンライトの名所「黄河路」で展開されていて、今や多くの市民や観光客が殺到。上海文化・歴史に新たなブームを巻き起こしたんです。多くの市民は、かつての“黄河路のネオン”について、自分の思い出をネット上で共有していました。
ネオンサインといえば、おそらく多くの方が“香港”を思い出すでしょう。
いまの香港からは、どんどんネオンサインが消えています。これからどうなるのだろう……多くの香港市民は複雑な気持ちを抱いています。2022年、新鋭監督アナスタシア・ツァンは“ネオンが消えた香港”を舞台にした素敵なヒューマンドラマ「燈火(ネオン)は消えず」を完成させました(日本公開は2024年1月12日)。
今回は、アナスタシア・ツァン監督、出演したサイモン・ヤムにインタビューを敢行。ネオン、そして香港について、さまざまなお話を聞かせていただきました。
建築法等の改正により、2020年までに9割のネオンサインが姿を消したと言われる香港。ネオンサイン職人だった夫ビル(
サイモン・ヤム)に先立たれたメイヒョン(
シルビア・チャン)は、夫がやり残した最後のネオンを完成させることを決意する。メイヒョンが夫の工房を訪れると、そこには見知らぬ青年の姿があった。メイヒョンは香港を離れて移住しようとする娘と反発しあう中で、伝説の吹きガラス製ネオンの存在を知り……。
●なぜ“ネオン”を題材に? 未亡人との共通点に「喪失」というテーマを見出す
――まずは“ネオン”を題材とした理由を教えてください。
アナスタシア・ツァン監督(以下、監督):もともと未亡人の物語を作りたかったのですが、香港を舞台にした映画なので、すぐに“ネオン”のことが頭の中に浮かびました。 おそらく世界中の人々は、ネオンを見たら“香港”を思い浮かべるでしょう。“ネオン”は香港の歴史とも深く繋がっていて、以前から“ネオン”が登場する香港映画もたくさんありました。
その後、脚本を書いた時に、未亡人と“ネオン”の共通点を見つけました。それは「喪失」というテーマです。“ネオン”は消えていくものでもありますよね。ですから、今回の物語の中で「妻は夫を失う」「“ネオン”は社会から徐々に消えていく」という2つの要素が融合していきます。
――監督は一時期香港から離れて、留学していましたね。ちょうどその時期に香港も激変しました。留学から戻り、香港という町に対して、どのように感じましたか?
監督:香港は常に変化が激しく、その変化の激しさゆえに社会の入れ替わりも激しい。“ネオン”も、その激動の時代に大きく影響を受けました。特に新型コロナウイルスが蔓延してから、香港では多くの老舗が廃業し、慣れ親しんだものが消えつつあります。
今回の映画は、“いま”の香港をどのように描くかという点で、かなり悩みました。いまの香港の“状態”“変化”“複雑さ”を描きたいと考えました。そこから、香港はいまどのような都市になったのか――いまの香港のアイデンティティを探りたかったのです。
●脚本を読む前から出演を決めていた サイモン・ヤム「“ネオン”は、それほど特別な存在」
――サイモンさんは初めて脚本を読んだとき、どのように感じましたか?
サイモン・ヤム:実は脚本を読む前に、すでに出演を決めていました(笑)。なぜなら“ネオン”を題材にしているからです。私にとって“ネオン”は、それほど特別な存在です。“ネオン”は、ある意味人生を象徴しています。
“ネオン”の中のフィラメントは“心”だと考えています。これは最新技術にはないものです。“ネオン”でしか出せない色があります。今の香港の経済は少し低迷期に入っていますが、きっといつか“ネオン”が光る。私は、そう信じています。香港は本当に美しい町です。香港の輝きは永遠に続くと思っています。
――サイモンさんをキャスティングするというのは、素晴らしいアイデアでしたね。
監督:ビルおじさんという役は、香港のネオン職人なので、職人的な雰囲気が必要です。一方で、
シルビア・チャンと夫婦のように見えるといった感じもほしかった。もちろん演技も非常に重要です。この条件を満たす香港の俳優は、実はたくさんいます。私たちは一人一人の写真と、
シルビア・チャンさんの写真をあわせて“カップル写真”を作りました。最終的に、
サイモン・ヤムさんにビルおじさん役をお願いすることにしました。2人は若い頃、同じ映画に出演したことがありましたが、正式に共演するのは、これが初めての機会です。それなのに撮影現場で2人を見ていると、いかにも老夫婦という感じが出ていました。
サイモン・ヤム:いまの香港は若い監督がたくさん出てきましたね。私とチャン姉さんも新人監督をずっと応援しています。だから、私も、チャン姉さんも今回はノーギャラで出演しています。撮影現場では、私はちょっとわがままで、脚本通りではなく、自分が思ったビルさんを演じました。監督と違う意見の時もありましたよね(笑)。まぁ、監督は“あの時代”を経験したことがないので、私は実体験を丁寧に説明し、チャン姉さんと一緒に“ネオン”の魅力を最大限に引き出すことにしたんです。
監督:未亡人を主人公にした作品をいくつか見ていて、すぐに
シルビア・チャンさんが今回の役にピッタリだと思いました。もちろん、チャンさんにお会いしたことはなかったですし、本人が脚本に興味があるかどうかはわからなかった。そこで、プロデューサーを通じて、彼女に台本を送りました。 それを読んだ彼女は、すぐにOKを出してくれました。 彼女は脚本とキャラクターをとても気に入っていて、“ネオン”に対しても「とても懐かしく思っている」と言っていました。
正直、こんなに順調に決まるとは思ってもいませんでした。ちなみに、プロデューサーがチャンさんに台本を送った時、私のビデオメッセージも一緒に送りました。チャンさんを説得したかったので、数え切れないほどのビデオメッセージを、満足いくまで撮ったんです(笑)。最終的にOKをいただいた時は、まるで自分がチャンさんが行っていたオーディションを通過したかのような嬉しい気持ちになりました。
監督:大スターなので、初めて会ったときは少し震えました。いくつかのシーンを撮影した後、彼女に何かアドバイスやアイデアがあるかと尋ねると、彼女は「私は俳優です。他のことはすべてあなたに任せる。あなたを信頼している」と言ってくれました。 彼女の言葉を聞いて、私はさらに自由になり、自分のやりたいことを信じて、撮影を続けました。
でも、実際のところ、チャンさんはちょくちょく私にアドバイスをくれました。脚本を読んだ後、キャラクター設定について、自分なりの考えをシェアしてくれたり、作風に関して意見を出してくれました。「近年やってきた役は、悲しすぎる。息子が死ぬか、旦那が死ぬ設定なので、今回は悲しい雰囲気をあまり表に出さないように、楽しく幸せな映画を作りましょう」と言っていましたね。
サイモン・ヤム:チャン姉さんは私の女神です(笑)。彼女は香港出身ではないですが、非常に香港映画のリズムがわかっています。我々は最初から意気投合し、すぐに香港映画の世界に入りました。全体的に撮影は非常に順調で、18日間で終わりました。
また、この作品を撮った時、ちょうどコロナは収束していなく、大変な時期でした。私は大陸でも仕事があったので、この映画のために、合計30日間以上も隔離されました。それでも、私はこのストーリーが大好きだったんです。この作品のためなら、何でもします!
●消えつつある香港のネオン文化について
――本作を通じて、ネオン文化の“深さ”に驚きました。撮影前には、色々調べたんでしょうか?
監督:“ネオン”に関しての公式文献はかなり少なかったんです。幸いなことに、香港理工大学の教授が“ネオン”に関する本を書いていました。香港の“ネオン”の歴史やデザインについて、詳しく書かれていました。この本が私にとって“ネオン”への入門ガイドとなり、とても助かりました。それに加えて保存団体やメーカーを訪ね、この業界に入ったきっかけや、個人的な経験について、さまざまな取材を行いました。
香港のネオン業界はすでに斜陽となっており、職人も高齢者ばかりで10人足らずの状況です。弟子も募集していますが、ある意味、生涯をかける職業なので、リスクも大きいですし、成功できるかどうかもわからない。ですから、ネオン職人はどんどん減っていっています。更に“ネオン”自体も消えていく状況です……。しかし、いま若いネオンデザイナーは、いわゆる広告としての“ネオン”ではなく、インスタレーション・アートにしようとしています。皆さんが新たな形で、“ネオン”の文化を継続できないかと模索しているんです。
――今回のキャストの方々も“ネオン”の制作に関して、勉強や体験をしたとお聞きしています。
監督:経験豊富なネオン職人のもとで、制作を学んでいただきました。
シルビア・チャンさんと
サイモン・ヤムさんはもちろん、 プロデューサーと私も講習を受けました。ただ、私は少し体験しただけ。自分でも“ネオン”を作ってみましたが、あまり上手くできませんでした(笑)。美術チームのメンバーのほうが、小道具を作るために、しっかり講義を受けたので、いい“ネオン”を作っていましたね。
サイモン・ヤム:私も一週間授業を受けました。とても楽しかったです。先ほど監督も話したように、ネオンサインを作るより、私は“ネオン”をインスタレーション・アートにしました。かなり難しかったのですが、作れるようになりました。改めて言っておきますが、“ネオン”は過去のものに見えるかもしれませんが、その魅力は永遠に変わらないのです。私も最近色々整理しながら「自分には何ができるのか」を考えた結果、写真や絵画に挑戦することにしました。
●東京国際映画祭でワールドプレミア 反響は?
――本作は東京国際映画祭でワールドプレミアされました。日本での上映はいかがでしたか?
監督:もちろんとても緊張しました。いつも思っていることなのですが、海外の映画祭に行くと、海外の観客は私の作品を理解してくれるのだろうかと心配になります。ところが意外なことに、日本の観客は“ネオン”をとても気に入ってくれたそうです。SNSでも「感動した」というコメントをたくさん見かけました。最初から最後まで涙を流している観客を見ていると、香港の“ネオン”が大好きなんだなと嬉しくなりました。
●いまの香港映画界について サイモン・ヤム、新人監督には「自分が好きな物語を撮ってほしい」
――近年、香港映画は少しずつ復活しつつあります。多くの新人が素晴らしい作品を撮っていますよね。新人監督として、いまの香港映画界についてどう思われますか?
監督:香港政府の資金援助が手厚いですね。もちろん業界を支援するためのさまざまなアプローチや政策があったほうが、さらに良いと思いますが、それでも今はとても良くなっていると思います。 私が交換プログラムでタイに行ったとき、タイにはそのような政府の補助金がないことを知りました。
香港映画界を振り返ってみると“ネオン”のように輝いていた時代もありましたが、今は昔ほどの“輝き”はなく、製作本数も年間100~200本から、現在は20~40本程度にまで落ち込んでいます。 このような状況下で、我々は産業から芸術へ転換するのか、それとも産業から新たな道を見出すのか、という問題に直面せざるを得ません。かつて私たちが誇った警察映画やカンフー映画、更にアクション映画は、もう流行らない。しかし、香港映画人は香港の観客に向けて、常に新しい作品を送り続けています。
昨今、香港の新人監督がとても多くなっていますが、問題は彼らが最初の2本を撮り終えた後、どうなるのかということです。予算は同じぐらいの作品が多いせいか、新人監督たちは皆似たような作品を作っていますし、しかもヒューマニズムを重視した作品ばかりです。映画産業全体がこのまま進むのであれば、香港映画はもっとジャンル映画を発展させる必要があると思っています。
サイモン・ヤム:役者の私としては、新人監督の皆さんにもっと頑張ってほしいですね。一歩一歩をしっかり積み重ねて、香港映画界のために良い作品を作ってほしいです。興行収入のため、映画賞のためではなく、自分が好きな物語を撮ってほしい。そうすれば、きっと素晴らしい作品になると、私は信じています。