コラム:芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第3回

2014年6月2日更新

芝山幹郎 娯楽映画 ロスト&ファウンド

ああ面白かった、だけでもかまわないが、話の筋やスターの華やかさだけで映画を見た気になってしまうのは寂しい。よほど出来の悪い作り手は別にして、映画作家は、先人が残した豊かな遺産やさまざまなたくらみを、作品のなかにしっかり練り込もうとしている。

それを見逃すのは、本当にもったいない。よくできた娯楽映画は、知恵と工夫がぎっしり詰まった鉱脈だ。その鉱脈は、地表に露出している部分だけでなく、深い場所に眠る地底の王国ともつながっている。さあ、その王国を探しにいこうではないか。映画はもっともっと楽しめるはずだ。

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第3回:「グランド・ブダペスト・ホテル」と黒い影に縁どられたエレガンス

40代後半から50代半ばぐらいにかけて、私はミッドマンハッタンのあるホテルで、ずいぶんコンシェルジュのお世話になった。いつも1週間ほど泊まるだけなのだが、彼は最初から親切にしてくれた。名前は仮にジムとしておこう。大柄な中年男で、人当たりは柔らかいのだが、眼の奥にはどこか狷介な色も潜んでいる。つまり、一筋縄ではいかない体質がときおり滲み出ていて、私もそこに親しみを覚えたのだった。

ジムは魔法のランプを持っていた。プレーオフのヤンキース戦? イエス。トニー賞受賞直後の「シカゴ」や「ヘアスプレー」? イエス。〈ル・バーナディン〉や〈グラマシー・タバーン〉のテーブル? イエス。どれも見事に手配してくれる。しかもべらぼうな値段はつけない。額面の3割増しか、高くても2倍どまり。

「うーん、むずかしいかな」と首をかしげることはたまにあったが、当日の夕方になると、ほぼ予約が取れている。あるいは、チケットの現物が来ている。その手際があまりに鮮やかなので、私は秘訣をたずねたことがある。

「いやあ、蛇の道は蛇で」

とジムは笑った。「ネットワークがあるんですよ。地下水道みたいに」

ウェス・アンダーソンの新作「グランド・ブダペスト・ホテル」に出てくるグスタフ(レイフ・ファインズ)の言動を見ながら、私はジムの顔を思い出していた。

粋で優雅でいかがわしくて

グスタフは、東欧の架空の国ズブロフカにある高級リゾートホテルのコンシェルジュだ。糊のきいたシャツを着て、従業員の立居振舞にきびしく眼を光らせる一方で、どこか遊び人風で、いかがわしい気配も漂わせている。

実際、彼に会うのが目的でホテルを訪れる裕福なご婦人も少なくない。グスタフも高齢のご婦人方の要望に応えて、部屋の扉をそっとノックする。ベルボーイのゼロ(トニー・レボロリ)はそんな彼に心酔する。「彼女たち、80歳を過ぎても活火山だよ」などと耳打ちされて、腰を抜かしそうになる。つまりグスタフは、粋で優雅で、サービス精神の豊かな快楽主義者だ。スケコマシにはちがいないが、権威や富に媚びない骨っぽさも備えている。

「グランド・ブダペスト・ホテル」
「グランド・ブダペスト・ホテル」

そんなグスタフが、急死したマダムD(ティルダ・スウィントン)から高価な絵を遺贈される。もちろん、ねんごろに情を通じ合っていたからなのだが、マダムDの強欲な息子ドミトリー(エイドリアン・ブロディ)は遺言の内容を知って逆上し、グスタフに殴りかかる。殴られたグスタフは、壁にかかっていた絵をこっそり盗み出してしまう。

かくてグスタフは、軍事警察とドミトリーに仕える殺し屋の両方に追われることになる。逮捕され、投獄され、脱獄し、殺し屋に襲われ、危機一髪の場面に何度も遭遇する。

とくに私が身を乗り出したのは、脱獄したグスタフが、コンシェルジュたちの秘密結社〈クロスト・キーズ協会〉(ゴールデン・キーズ協会というコンシェルジュたちのネットワークは実際に存在する)と連絡を取り合い、逃走経路を確保する場面だった。コンシェルジュたちのネットワークは完璧に機能する。最低限必要な単語だけを使って、価値ある情報がもたらされるのだ。

魔法のランプを持つジムの顔が浮かんだのはこの場面を見たときだが、同時に私は、エルンスト・ルビッチの名作「極楽特急」(32)の一場面も思い出していた。そう、ご承知のとおり、この映画には「イエス、マダム」と「ノー、マダム」の反復だけで、裕福なコレ夫人(ケイ・フランシス)の立場を説明する有名なシーンがある。

「極楽特急」
「極楽特急」

省略の極致というか、「みなまでいうな、みなまで聞くな」のお手本のようなこの会話術は、ルビッチの得意技だった。アンダーソンも、機会があればこの技を使ってやろうと考えていたにちがいない。「イエス、アイバン」の台詞をきっかけに、コンシェルジュたちの連絡網が阿吽の呼吸でつながっていくこの場面には、ビル・マーレイボブ・バラバンワリス・アルワリアといったアンダーソン映画の常連がつぎつぎと登場し、眼と耳を楽しませてくれる。

ルビッチの拝借はこの場面にとどまらない。そもそも、東欧の架空の国を舞台にするという設定は、昔からルビッチ映画によく使われていた。「ラヴ・パレード」(29)ではシルバニア、「陽気な中尉さん」(31)ではフラウゼンターム、「メリー・ウィドウ」(34)ではマルショビア。シルバニア以外は舌を噛みそうな名前だが、主演は3本ともモーリス・シュバリエだ。にやけた色男のシュバリエは、パリからシルバニアへ呼び戻されたり、ウィーンを訪れたフラウゼンタームの王女に惚れられたりして、休む暇もない。「極楽特急」の怪盗ガストンを演じたハーバート・マーシャルほどクールではないが、どちらも筋金入りの快楽主義者であることはたしかだ。女が好きで、女に好かれやすく、トラブルに見舞われても優雅な立居振舞を崩さない。

そう、「グランド・ブダペスト・ホテル」でファインズが扮したグスタフは、シュバリエやマーシャルが演じた伊達男を原型にしている。粋で、優雅で、いかがわしく、犯罪に巻き込まれても軽々と身をかわす。ただ、あきらかに異なるのは背景の空気だ。シュバリエやマーシャルは、男女問題や盗みの手口に頭を悩ませるものの、根は楽天的だ。一方、グスタフの背後には殺し屋の魔手やファシズムの暗い影が忍び寄る。

>>次のページ:「西欧的旧世界への惜別」

筆者紹介

芝山幹郎のコラム

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

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