コラム:佐藤嘉風の観々楽々 - 第1回
2008年1月29日更新
第1回:「ミスター・ロンリー」
“不協和音”を愛する
はじめまして、佐藤嘉風です。
普段は歌を創り歌を歌っている僕が、大好きな映画についてのコラムを綴る。これはとてつもなく嬉しい事です。まずはこの素晴らしき機会を与えてくれたeiga.com編集部の皆さんに感謝!
このコラムでは、まさに曲を書く姿勢で映画作品からインスピレーションを受け取りつつ、詩を書く上での「下書き」的に、はたまた「なぐり書き」的に綴っていきたいと思っています。
記念すべき第1回の今回、僕が見た映画は、2月2日公開の「ミスター・ロンリー」。「ガンモ」(97)で知られるハーモニー・コリン監督の8年ぶりの復帰作品です。
幼い頃から自分に違和感を覚え、他人を演じる事でしか生きる事が出来ず、“マイケル・ジャクソン”になりすまし、マイケルとして日々を送る男と、同じように“マリリン・モンロー”として生きる女が出会い、繰り広げる愛おしいラブストーリー。ボビー・ビントンの「ミスター・ロンリー」という名曲を冒頭に聴き、それぞれが孤独と向き合っていく。
僕が感じたこの映画のテーマとは「対比」。映画の中で、「対比」する事の美しさを何度も思い知らされました。例えば、群衆と孤独、社会と個人、男と女、都会と田舎、自分と他人、本物と偽物、モノクロとカラー、大きいと小さい、などなど。それらの対比は、共鳴する関係もあれば、「不協和音」となる関係性も含まれています。自分が今置かれている現状あるいは自分が属している社会において誰しもがどこかでその「不協和音」を体感しているはず。その違和感をごまかして逃れようとするケースが多いけれど(特に日本人は多いかもしれませんね)、しかしその違和感こそが、ユーモアであり愛すべき個性であり、その人自身なのだとこの映画を観ていて思いました。
大切に大切に、不協和音すら愛してあげられたら自分自身の事も愛する事が出来るかもしれない。だからこそ、この映画に潜んでいる違和感を存分に味わってもらいたいです。
感動すべきは何気ないBGMが随所で歪みを聴かせてくれるところ。そのサウンドの絶妙なよじれ方に、僕は思わず「ワオ!」と感嘆してしまいましたよ。
また、主人公がマイケル・ジャクソン風の服装を何着か着用するが、豪華そうに見立てているものほど、何故かちゃちな物に見えてくるという違和感にも、またまた胸を震わせられます。まさに絶妙!
しかし、この映画のミソというか要は、主人公のなりきる対象がマイケル・ジャクソンである事ですね。映画の中で少し笑わせて、心を綻ばせてくれるのもマイケルの動きがあってからこそ。またマイケル・ジャクソン御本人様も自身への極度のコンプレックスを抱いていて、そこからの脱却として自分自身を限りなく偶像化させてきた方ですからね。「本当の自分で!」とか「素顔が素敵!」とか「君は君のままで!」とか、そういうキャッチコピーからの距離たるや世界最高水準をキープされている事間違いなしです。そういった意味で、この映画の中で、主人公が偶像化するべき対象としては最適。ただ、この映画を見た後に、本物のマイケル・ジャクソンのダンスを見ると、腰抜かしますよ。追求のレベルが違い過ぎます! 偶像もダンスも歌も、追求していくとここまでの奇跡を起こせるのか!と感動してしまいます(ちなみに、僕のお薦めするビデオクリップは「BAD」「Thriller」あと名作が「They Don't Care About Us」)。
さらにこの映画にはもうひとつ、“副旋律ともいえる”物語が存在しています。その物語は見てのお楽しみですが、副旋律の映像美や、主旋律との対比も見事。この(“主旋律”と“副旋律”の)対比は、ある意味では共鳴していたと思います。
筆者紹介
佐藤嘉風(さとう・よしのり)。81年生まれ。神奈川県逗子市在住のシンガーソングライター。 地元、湘南を中心として積極的にライブ活動を展開中。07年4月ミニアルバム「SUGAR」、10月フルアルバム「流々淡々」リリース。 好きな映画は「スタンド・バイ・ミー」「ニライカナイからの手紙」など。公式サイトはこちら。