コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第77回
2019年10月18日更新
第77回:アメリカン・ファクトリー
アメリカ・オハイオ州の工場が不況で閉鎖されてしまったが、そこに中国企業が進出。工場を再開させて地元の人たちは喜んだが、やがて中国とアメリカの文化や思想の違いが表面化して……というストーリー。
中国の価値観にアメリカ人たちがとまどう様子が、実にていねいに描かれている。工場稼働後、アメリカ人従業員の主要メンバーが研修のため、福建省にある中国企業の本社へと招かれる。中国の従業員たちの的確かつなめらかな動作に驚き、そして軍隊のような朝礼と点呼に驚き、労働歌みたいなのが歌い踊られる社会主義的な社内パーティーに驚き……。
これらのシーンを観ていて、思わず1986年のアメリカ映画「ガン・ホー」を思い出した。こちらは日本企業がアメリカに工場をつくり、文化的衝突を描いたコメディ。本作と同じように、この作品でもアメリカ人たちは日本人の異様な礼儀正しさと真面目さに驚き、懇親を深めようと野球の試合をすることにしたら、日本人全員がずらりと統一された野球ユニフォームに着替えるのに驚く。
本作ではアメリカにやってきた中国人スタッフたちが、アメリカ人についてみんなで議論するシーンが出てくる。「自由で服装もみんな気にしない」「論理的であいまいさがない」「表裏がなくて驚かされる」といった評が出てきて、これもまさに日本人がアメリカ人に抱いているイメージそのもの。
この相似形を見ると、日本も中国も同じような東アジア的価値観を共有していることを改めて感じさせられる。一方で、日中で異なる点もある。それが明白に出ているのは、本作で描かれる労働組合のエピソードだ。
中国にも労働組合はあるが、それは会社と対決する存在ではない。本作には福建省の本社の労組オフィスが出てくるのだが、毛沢東や鄧小平、習近平などの肖像画がずらりと並んでいるのに驚かされる。しかも看板には「労働組合・共産党本部」と書かれている。社会主義国は労働者による国家であり、労働者と国家は同一であるという建前だから、労組も国や会社と一体なのである。
ブルームバーグが本作について報じた記事「米国発のドキュメンタリー映画、中国で議論白熱――複雑な心情の吐露も」によると、中国の労働組合は「給料や手当の交渉には直接関与せず、チーム作りの活動や祝日の贈り物配りなどの計画が中心作業となる」のだという。
アメリカ人従業員には、このようなあり方はもちろん賛同されない。しかも会社側は、工場従業員の安全を犠牲にしてでも生産性を向上しようとし、長時間労働も求めてくる。これにアメリカ人たちは反発し、労働組合結成の動きが出てくる。対立と分断は高まってくる。
本作の素晴らしいのは、この対立と分断の片方に依拠してしまうのではなく、双方の論理と心情をきちんとフラットに描いていることだ。中国人の経営者やスタッフは、昔の映画のように「無表情で不気味なアジア人」としてでなく、家族もあってアメリカ人との融和にも心を砕く人たちとして描写される。そうやって双方が人間の気持ちを持ち、互いに歩み寄ろうとしているのだけれども、でもそこには決して飛び越えられない深い川があり、どうしようもない世界観の違いがあることがていねいにつづられていく。
21世紀に入って中国の経済力は高まり、遠くない未来にはアメリカを抜き去る可能性が高い。軍事力でもアメリカと拮抗する存在になっていくだろう。その時にこの異質で巨大な国とどう向き合うのかというのは、非常に重要な問題だ。そういう時に、本作がNetflixから登場してきたということには大きな意味がある。先ほどのブルームバーグの記事によれば、本作は中国で公式に観る手段はないのにも関わらず、あらゆる手段を使って、多くの中国人に観られているという。
このような映画をきっかけにして、互いの歩み寄りが少しでも進めば……と思う。しかし本作のラストシーンは、そういう淡い期待を吹き飛ばすようなディストピア感に溢れていて、それも本作の面白さのひとつとして引き受けるべきであろう。
■「アメリカン・ファクトリー」
2019年/アメリカ
監督:スティーブン・ボグナー、ジュリア・ライカート
Netflixで2019年8月21日から配信中
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao