コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第73回

2021年3月9日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第73回:シード 生命の糧

農産物の「タネ」という、とても重要ではあるけれども多くの人がそれほど気にかけてないであろう存在に注目したドキュメンタリー。「種子」と言われると身近な果物のタネを思い起こすが、マメやコメ、コムギ、トウモロコシの粒なども広い意味では種子の仲間だ。本作の最初の30分は、人間がいかにして種子と一緒に生きてきたのかという歴史がアニメなどもまじえて面白く描かれ、一気に引き込まれる。

農産物の「タネ」に着目したドキュメンタリー
農産物の「タネ」に着目したドキュメンタリー

この序盤が終わると、内容は「種子の多様性」の話になってくる。この多様性の話で最もわかりやすいのは、本作にも出てくるがアイルランドのジャガイモ飢饉だ。中世まではあまり豊かな土地ではなかったアイルランドは、大航海時代に入って南米からジャガイモが輸入されるようになると、食料不足が解消して一気に人口が増えた。痩せた土地でも育つジャガイモが風土に合っていたのだろう。

ジャガイモ生産のピーク時には、実に人口の3割がジャガイモだけに食を依存する状態になっていたという。そこに突然の危機が訪れる。19世紀の半ばになってジャガイモの疫病がヨーロッパ全域で発生し、アイルランドのジャガイモも壊滅的な打撃を受けてしまったのだ。食料が絶対的に不足し、餓死者が大量に出た。当時の800万の人口のうち、一説には100万人が餓死。さらに200万人が国外に逃れたという数字もある。

このような事態になった原因は、アイルランドで栽培されていたジャガイモが収量の多い単一品種だったからだとされている。これに対して、もともとジャガイモを食べていた南米では多くの品種を混ぜて育て、病原菌にやられても壊滅的にならないようなセーフティネットが施されていたという。

生物的多様性が乏しかったことが、破滅の原因になったという非常にわかりやすい事例である。

バイオ企業「モンサント」の名がここでも登場
バイオ企業「モンサント」の名がここでも登場

そして本作はこの多様性の話から、現代の農業への批判に移っていく。20世紀になって、野菜の種子の数は94%が消失していると本作は指摘する。そしてその原因を気候変動に加え、「世界の種子の市場を多国籍企業が独占するようになった」からだと訴える。お決まりのバイオ企業「モンサント」(現在はドイツ企業バイエルに買収されている)の登場だ。

モンサントの名前は、この手のドキュメンタリー映画では常連といって言いほどに出てくる。たいていの場合は悪魔か鬼畜かといった扱いだ。こんな感じ。「世界の種子を独占しようとしている」「発がん性のある除草剤を販売している」「ベトナム戦争で使われた枯葉剤を製造した」

たしかに同社の除草剤ラウンドアップは国によって対応が異なり、販売を禁止している国もある。2015年には、世界保健機構(WHO)の外部組織であるIARC(国際がん研究機関)が、ラウンドアップの主成分のグリサホートについて「発ガン性の懸念がある」と発表して騒然となった。

しかし同じWHOと国連食糧農業機関(FAO)は、合同残留農薬専門家会議というところで「食事を介して発がんするリスクは低い」とも結論づけている。また日本の農水省やアメリカ政府は、発がん性を否定している。ドイツやカナダ、オーストラリア、EUなども同じ見解だ。これらの状況から言えることは、明快に安全性を断じることはできないが、同時に行き過ぎた陰謀論も間違っているということであり、より慎重に科学的に見ていくことが大切だ。声高に「悪魔が農業をダメにしている」と叫ぶことではない。

遺伝子組み換え技術などにも批判を展開
遺伝子組み換え技術などにも批判を展開

本作では遺伝子組み換え技術や農薬に対する非難も強調され、有機農業への回帰が語られる。しかし、この問題はそのような二項対立で語るべき単純な話ではない。

そもそも20世紀にアジアやアフリカで人口爆発が起き、膨大な数の人々が食糧難に陥ったときに、それを救ったのは品種改良であり、化学肥料であり、農薬だった。高収量のコムギが開発されたことで、同じ労働量で何倍もの収穫をあげられるようになり、化学肥料や農薬が安定した農業生産を可能にして、食糧難を防いだ。これがまさに「緑の革命」と呼ばれたイノベーションである。

世界人口はいま70億人になり、21世紀半ばには90億人にまで達してピークアウトすると言われている。この膨大な人口の食料を供給するために遺伝子組換えや遺伝子編集などの技術も進化してきている。

これらが農業技術のポジティブな側面だとすれば、もちろんネガティブな側面もある。あまりにも効果的だった化学肥料や農薬を使いすぎたために土地が痩せてしまい、水質汚染されたケースもあった。また大量の作物を供給するために特定の品種ばかりが栽培され、それが本作でも指摘されているように、種の多様性を乏しくする結果になっている。アイルランドのジャガイモ飢饉は今、決して他人事ではなくなっている。

物事には、つねにポジティブな面とネガティブな面がある。その両面をつぶさに見た上で、どう折り合い、調整し、バランスを取っていくのかということが求められている。片方に偏りすぎて、自らつくりだした悪魔や鬼畜を大声で非難しているだけでは、物事は決して解決しない。

本作には面白いシーンもたくさんある。たくさんのタネを保存し、後世に残そうとするシードバンクの取り組みや、世界中でさまざまなタネを探して探求し続けている「植物探求者」たちの行動など、どれもワクワクさせられた。それだけに、ありがちな陰謀論があちこちに顔を覗かせてしまっているのは実に残念でならない。

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■「シード 生命の糧
2016年/アメリカ
監督:タガート・シーゲルジョン・ベッツ
6月29日から、シアター・イメージフォーラムほかにて全国順次公開
作品情報 ⇒上映館検索

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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