コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第7回

2013年9月6日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第7回:世界一美しい本を作る男 シュタイデルとの旅

1950年生まれのドイツ人ゲルハルト・シュタイデルは、なぜか白衣を着ていて、几帳面な医師みたいな顔をしている。これから新しい本を出す写真家ジョエル・スタンフェルドに「タイトルはどうする?」「サブタイトルは?」などと細かくヒヤリングしながら、メモを取っていく。なんだか「本のお医者さん」といった雰囲気だ。

白衣をまとうゲルハルト・シュタイデル
白衣をまとうゲルハルト・シュタイデル

映画の中ではまるで精密な工芸品をつくるように、シュタイデルの手によって本が構築されていく。どの作品を収め、どのような形状の本にするのか。紙は何を使うか。厚さは。インクは。色味は。ていねいに工程が積み重ねられていく。日本でも鈴木成一氏や祖父江慎氏など名だたる装幀家たちは、そういう「匠の技」を体現するように本を作っている。だがシュタイデルが担当しているのではブックデザインだけでない。

創設者の名前をそのまま社名にしたシュタイデル社は、出版社だ。ブックデザインだけでなく、おおもとの本の企画から編集、さらに驚くべきことに印刷、製本も外注せずに社内でおこなってしまうのだ。印刷・製本までおこなう出版社というのはあまり聞いたことがない。ブックデザインも日本では新潮社装丁室などの一部を除けば、外部の装幀家に依頼するのが通常のやりかただ。

これは出版業界で働く人にとっては、理想のスタイルに見えるだろう。すべてにこだわり、妥協をしない本作り。印刷機械から出てくる刷りを一枚一枚チェックするほどの完全主義。そしてシャネルのカール・ラガーフェルドからノーベル賞作家ギュンター・グラスまで、ありとあらゆるアーティストたちが彼に本を作ってもらおうとやってくる。

スタンフェルドの新しい写真集制作が、本作の物語の軸となっている。彼はドバイやカタールのショッピングモールで撮影してきた写真を「iDubai」という本にまとめようと考えている。なぜドバイに「i」がついているかといえば、写真をiPhoneで撮影したからだ。

ジョエル・スタンフェルドがiPhoneでドバイを撮影した「iDubai」の色校
ジョエル・スタンフェルドがiPhoneでドバイを撮影した「iDubai」の色校

シュタイデルのスタッフに、スタンフェルドは説明する。普通に写真を撮ろうとすると、警備員に制止されてしまうことが多かった。そこでiPhoneの「Fake Caller」など偽の電話着信を受けられるアプリを使い、誰かと電話で話している途中で新しい着信があったように見せかける。「はて誰からだろう」とiPhoneを耳から外して手もとで画面を確認するふりをしながら、こっそり目の前の光景を撮影してしまうのだ。簡単なトリック!

興味深いのは、「iDubai」の制作の工程でスタンフェルドがとる行動だ。彼は出力された色校を見ながら、何度もiPhoneの画面と照合し、印刷された写真がiPhoneのデジタルイメージと同じ色味になっているか、iPhoneの画面のイメージが印刷で忠実に再現されているかを確認するのだ。

ソースがデジタルであり、コピーがアナログの印刷であるという逆転。紙の本にこだわる人であれば、「そんなものはリアルじゃない」と不愉快に思う向きもあるかもしれない。しかしスタンフェルドの「デジタルソース」へのこだわりに、シュタイデルはそんなことはひとことも言わない。ひたすら作家に付き合い、向き合い、寄り添いながら、作家が求める「色」を忠実に再現していくことに心血を注ぐのだ。

作家が求めるものを再現する「職人」シュタイデル
作家が求めるものを再現する「職人」シュタイデル

シュタイデルは徹底的な職人であることがよくわかる。そういう職人的精神においては、「アナログかデジタルか」「電子か紙か」というような宗教論争はほとんど意味がないのではないか。

本作の監督ゲレオン・ベツェルは、「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」という2011年のドキュメンタリで一躍名を馳せた。世界の美食家たちをうならせた超絶技巧のレストランと、世界のアーティストに愛される匠の技の出版社。

大量生産される書籍のマスマーケットが今後電子化されていく一方で、将来の紙の本はエル・ブリの美食と同じような精緻な工芸品となり、超絶の「匠の技」の世界で作られていくということになるのかもしれない。それは紙の本の進化であり、同時にマス的なメディアとしての終焉の時でもある。

画像4

■「世界一美しい本を作る男 シュタイデルとの旅
9月21日よりシアター・イメージフォーラムにて公開(全国順次公開予定)
作品情報

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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