コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第49回
2017年4月28日更新
第49回:トトとふたりの姉
衝撃的にリアルであり、同時にとても感動的なドキュメンタリだ。
日本人にはあまり馴染みのない、東欧ルーマニアの首都ブカレスクの郊外が舞台になっている。古びて灰色で、旧社会主義国の殺風景を象徴したような集合住宅が建ち並んでいる。
主人公は10歳の少年トト。17歳のアナ、14歳のアンドレアのふたりの姉と一緒に、子どもたちだけ3人で暮らしている。部屋はゴミだらけで汚く、水道もコンロもない。アンドレアは「この部屋、ほんと臭いわね」と吐き捨てる。
トトたちの両親はどうしたのかというと、父親はそもそもどこの誰かもわからず、顔も見たことがない。母親は麻薬の売人をしていて捕まり、刑務所に入っている。3人が住む部屋は、母親のヤクチュウ仲間がたむろす場所になってしまっていて、夜な夜な男たちが集まって、クスリを打っている。これ以上酷いところはないだろう、というぐらい酷い環境だ。
彼らは、ロマである。北インドを出自とし、中世からヨーロッパで放浪生活を送ってきた民族。かつてはジプシーという呼び名もあった。そして今も、強い差別を受けている。
こんなところで、子供がまともに育つのだろうかと、恵まれた家庭にあった人たちは思うだろう。実際、長女のアナはヘロインに溺れ逮捕され、アンドレアとトトは孤児院に送られる。普通の子どもだったら光り輝く思春期だというのに、3人の人生は陰惨きわまりない。後半、長姉アナに突きつけられた運命の刃はあまりにむごく、正視するのさえ難しい。
この地獄のような家を、淡々とカメラは切り取っている。時にカメラは二女アンドレアの手にわたり、彼女みずからによって映像が積み重ねられていく。さらには警察が早朝、ドアを蹴破って彼らの家に踏み込むシーンさえ出てきて、驚かされる。しかもそれは、警察部隊の側から撮影された映像なのだ。
でも、それで話のすべてが終わるわけではない。その先に、新しい物語が待ち受けている。トトはヒップホップのダンスに夢中になり、選抜メンバーに選ばれ、大会に出場し、賞を得る。もちろん、この映画はフィクションではないから、ドラマチックなエンディングが待ち受けているわけではない。ステレオタイプなハリウッド映画のように楽しくハッピーに終わるのではなく、これからも厳しくたいへんな人生は続いていく。
それでも本作の後半は、切りひらかれていくであろう人生の予感に満ちている。
家庭環境だけが子どもの人生を決めるわけではない。どんなに酷い家庭であっても、子どもは力強く育つ。逆に恵まれた家庭だからといって、子どもはすくすくと真っ直ぐに育つとは限らない。そういうことに人生の不思議さはあるし、だから私たちはどんな陰惨なところにいても、ささやかな希望を持つことはできるのだ。
■「トトとふたりの姉」
2014年/ルーマニア
監督:アレクサンダー・ナナウ
4月29日からポレポレ東中野ほかにて全国順次公開
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao