コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第30回
2015年9月8日更新
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第30回:ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏
ロシアという古くて大きな国の、暗い「底知れなさ」みたいなものが存分に描かれている。精神の内面をえぐるような映画だ。
18世紀から続くモスクワのボリショイ劇場。この劇場を本拠地にするボリショイ・バレエ団。チャイコフスキーの「白鳥の湖」が初めて演じられた場として、華やかなバレエダンサーたちが舞う大舞台として、世界にその名を轟かせてきた。膨大な数のスタッフたちが支え、ダンサーたちは気の遠くなるような鍛錬を続ける。そういう至高の世界のはずなのに、2013年にあっと驚くような事件がこのバレエ団で起きた。
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ボリショイ・バレエの元スターダンサーで、いまは芸術監督を務めている超イケメンのセルゲイ・フィーリンが、なんと街頭で襲われて硫酸を顔にかけられたのだ。病院に運び込まれたフィーリンの顔は焼けただれ、失明の危機に瀕する。この事件は世界を震撼させたが、しかし容疑者が逮捕されて、世界中の人々はさらに驚愕することになった。なんと同じボリショイ・バレエの人気男性ダンサー、バーヴェル・ドミトリチェンコが逮捕されたのだ。
背景には、フィーリンが専制君主のように独裁的にバレエ団を支配していたことと、労働組合のリーダーでもあったドミトリチェンコと彼を慕うダンサーたちの対立があったことが徐々にわかってくる。
でも話は、この単純な二項対立では終わらない。権威が地に墜ちたボリショイ・バレエを救うために、政府はウラジミール・ウーリンという人物を総裁として送り込む。ところがこのウーリンはかつて、別の劇場で運営をめぐってフィーリンと激しく対立した過去を持っていたのだ。そしてここに、片目を失明したフィーリンが復活し、ボリショイ・バレエへと戻ってくる!
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襲撃を受け、顔に硫酸を浴びせられたセルゲイ・フィーリン
暗闘、暗殺、密室、敵対、睨み合い、激しい応酬。とてもドキュメンタリとは思えない、迫真の映画である。
ロシアは、暗殺事件が実に多い。イギリスに亡命した元KGBのスパイ、リトビネンコが放射線物質ポロニウムで殺害された事件は衝撃的だった。プーチン政権を批判していたジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤが、自宅アパートのエレベーターで射殺された事件もあった。プーチンをめぐっては、元支持者の大富豪ベレゾフスキーが政争の挙げ句にイギリスに亡命し、最後は自殺している。ベレゾフスキーに対しても暗殺の計画があったとされている。そして今年に入ってからも、プーチンに対抗する野党勢力指導者ネムツォフが、モスクワの街頭で何者かに射殺されている。
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帝政ロシアの時代から、独裁者スターリンの暗黒時代、そしていまのプーチン政権にいたるまで、ロシアには「暗闘」「暗殺」「密室」という劇場的なドラマがつねにつきまとってきた。
それは西欧のようなロジカルな政治とはかなり様相が異なる。そして日本のように、派手な暗闘はないけれども、目に見えない空気の圧力で流されるように物事が決まっていってしまう政治風土とも、まったく違う。
暗く冷たい北の大地にそびえ立つ宮殿、その中で繰り広げられる荘厳なドラマ。人々は激しく愛し、激しく憎み、そこから政治が生まれてくる。そういう風土を感じさせてくれるのが本作である。
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■「ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏」
2015年/イギリス映画
監督:ニック・リード
9月19日から、Bunkamuraル・シネマほかにて全国順次公開
⇒作品情報
筆者紹介
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佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao