コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第12回
2014年2月5日更新
第12回:ドストエフスキーと愛に生きる
とてもとても静かな映画。描かれているのは、ウクライナ出身の女性翻訳家スベトラーナ・ガイヤーさん。彼女は1923年に生まれ、2010年に87歳で亡くなった。この映画は、彼女が84歳のときに撮影されたものだ。
淡々と描かれる翻訳家の日常は、静謐で美しい。古い自宅はすみずみまで磨かれて清潔で、掃除が行き届いている。彼女がみずから料理をするシーンがたびたび出てくる。バディム・イェンドレイコ監督はインタビューでこう語っている。
「彼女は料理の天才で、どれも本当に美味しかったですね。料理はロシアとドイツのそれぞれの伝統料理をベースにしたものが多かったと思います。また、彼女はお茶の時間を大切にするティー・ドリンカーで、スイーツ作りも素晴らしい腕前でした。りんごとルバーブで作るケーキが絶品で、レシピをわけていただいたほどです。友人に出すと、その美味しさにびくりされる自慢の一品です。レシピは秘密ですが……笑」
とても構築的な生活だ。ひとつひとつの所作、ひとつひとつのおこない、ひとつひとつの道具が積み重ねられて、おだやかな生活をつくりあげている。
しかしそういう随筆的な生活ぶりのあいだにはさまれる、翻訳家の人生は恐ろしいほどに激しい。ウクライナの首都キエフで生まれ、タバコ畑を育てていた父親は彼女が思春期のころにスターリン粛正に遭い、投獄された。130万人余が投獄され、うち68万人が死刑判決を受けたという史上稀に見る巨大な政治弾圧である。父親は18か月の拘禁生活ののちに運良く釈放されたが、健康を害して間もなく亡くなる。
そして1941年には、ドイツがウクライナに侵攻してくる。キエフ近くの峡谷でわずか1か月の間に3万3700人のユダヤ人が殺害されたバビ・ヤール大虐殺。彼女のユダヤ人の友人も犠牲となった。
しかしドイツ語を学んでいた彼女は、ドイツ軍に通訳の職を得る。そしてドイツ軍がキエフから撤収したのに合わせ、彼女と母親も出国しドイツのドルトムントに移り、フンボルト財団から奨学金を受けてそのままドイツで学問の道へと進んだ。ドイツ人と結婚し、1950年代なかばからはロシア文学のドイツ語への翻訳に取り組むようになる。
翻訳家の名声を高めたのは、1990年代になってから刊行したドストエフスキーの新訳だ。「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」「未成年」の5作の新訳は、19世紀の小説に新しい息吹を吹き込んだとされている。
そういう波乱の生涯の最後にたどり着いた、静謐な生活。キエフを出て「敵国」ドイツに移り、故郷に戻らないまま年を重ねた彼女は、故郷に対してどのような思いを持っていたのだろうか。罪の意識?
それは明確に語られない。でも自分の息子が工場で事故に遭い、半身不随の重傷となり、仕事を休んで息子のための食事を用意していて、彼女の頭の中に思春期のキエフが突如として甦る。拘禁生活を終えて出所してきた父親に食事を作っていたのを、思いだしたのだ。父はそのとき、「何も質問するな。ただ聞け」といって拘禁生活のことを彼女に語った。しかし彼女は父が何を語ったのかをなにも覚えていない。
忌まわしい記憶として、無意識のうちに封殺されてしまったのだろうか。彼女は60年ぶりに「捨て去った故郷」キエフに足を踏みいれることを決意し、孫娘とともに列車に乗り込む。
「亡命者である」ということの葛藤とはどのようなものなのだろうか。この苦悩はチェコ出身の作家ミラン・クンデラなど、過去に多くの人たちによって描いている。
本作の終わりに近く、ドストエフスキーの「罪と罰」を彼女が「罪と贖罪」と呼ぶシーンがある。彼女にとっては故郷を喪失し、ドイツで暮らしたということが罪であり、それに対する贖罪がずっとテーマだったのかもしれないと感じた。
■「ドストエフスキーと愛に生きる」
2009年/ スイス=ドイツ合作
監督:バディム・イェンドレイコ
2月22日より、渋谷アップリンク、シネマート六本木ほか全国順次公開
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao