コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第116回

2025年4月24日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第116回:わたのまち、応答セヨ

恥ずかしいことに本作を観るまでまったく知らなかったのだが、「綿」が日本に伝来したのは平安時代の初めというずいぶん古い時代のことだったらしい。愛知県の三河湾に「崑崙人」(インド人だったとも言われている)が漂着し、綿の種を持ち込んだと伝えられている。

繊維産業の街として知られる愛知県三河・蒲郡市にスポットをあてたドキュメンタリー
繊維産業の街として知られる愛知県三河・蒲郡市にスポットをあてたドキュメンタリー

ただ綿はインドの主産業だったことからもわかるように、亜熱帯や熱帯で育ちやすい植物で、日本の気候にはあまり向いていなかった。このため平安時代の崑崙の綿はそのまま途絶え、中世にいたるまでは衣類のほとんどは麻で織られていたのだ。貴族社会では絹も使われていたが、庶民の衣類というと圧倒的に麻だった。

江戸時代ぐらいになって、ようやく綿の栽培が本格的に日本でもはじまる。その中心になったのが、温暖で水も豊富で、東海道沿いにあって交通も便利だった三河地方だった。ここから「三河木綿」と呼ばれる綿織物の歴史が始まる。三河木綿は、わかりやすくイメージすれば柔道着の刺し子のような風合い。丈夫で摩擦に強く、素朴で、洗えば洗うほど風合いが出てくる。質実剛健なことで昔から有名な三河武士のような素材だったのだ。

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こうして三河木綿は日本全国に知られるブランドとなり、明治時代になってからは織機の導入とともにさらに産業として盛んになり、その繁栄は戦後まで続いた。ところが二十一世紀に入るころから、中国の安価な綿製品に市場を奪われ、産業として絶滅寸前にまで追いやられる。

ここまでが、本作の前提。映画のスタート地点はここからである。本作はひとことで言えば「斜陽になった地域の産業を盛り上げようとがんばる人たちを取りあげたドキュメンタリー」なのだが、そのような作品は過去にいくらでもある。この設定だけを目にして「ああ、またその手の映画か」と感じる人は少なくないだろう。

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しかし本作の企画・プロデュースは、日本テレビの伝説的な番組「電波少年」を手がけた土屋敏男である。彼がそんな凡百な作品を作るわけがないだろう、そう期待しながら本作を観てみると、みごとにその通りの突拍子もない作品にできあがっていた。これはすごい。

「斜陽になった地域産業」を描くために、いったい何を撮影すればいいのか。土屋と同じく日テレ出身の監督・岩間玄は、自転車を入手して舞台である蒲郡の街を走り回る。なぜかたいてい雨が降っている。「三河木綿って何ですか?」「どうして斜陽になったんですか」と多くの人に声をかけ続け、時に激しくネガティブな反応を受けて悄気かえりながらも、精力的に撮影を続けていく。その姿勢が、「応答セヨ」という本作のタイトルに反映されている。

「応答セヨ」に応えてくれる人たちが、やがて出現してくる。そこからは一気呵成で、まるでロケットのような見事な展開だ。蒲郡市博物館に所蔵されている江戸時代のデザインサンプル帳をもとに、三河木綿の伝統的なストライプ柄「三河縞」を再現するこころみが進められる。携わる人たちの顔が、表情が、物語が進むごとにどんどん変わっていくのがすごい。

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やがて物語は、ロンドンの街へと向かう。西欧の街で披露される三河木綿は、「日本の古い伝統」という表情を脱却し、まったく新しく斬新な風情へと進化しているようにさえ見える。そして最後には、驚くべき奇跡的な瞬間が訪れる。このラストを観るためだけにも、本作を観る価値はあるとさえ感じた。

日本の古いドキュメンタリー映画では、制作者は一歩引いて客観的な第三者として対象を見つめようとする作品が多い。しかし本作は「応答セヨ」と対象に迫り、コミットし、監督ら制作者の当事者性を前面に出して出演者らとともに物語を紡ぎだしている。そこには土屋敏男の「電波少年」以来の一貫した制作姿勢も感じられ、さらにそこから一歩踏み込んで、これこそが二十一世紀ドキュメンタリーの面白さであると強烈に印象づけられるのだ。

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■「わたのまち、応答セヨ
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2024年/日本
監督:岩間玄
5月2日から新宿シネマカリテほか全国順次公開

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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