コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第114回
2024年12月4日更新
第114回:大きな家
「児童養護施設を描いたドキュメンタリー」と聞くと、観なくてもだいたい想像できてしまう。虐待や育児放棄されたかわいそうな子どもたち。子どもとたまにしか会いに来られない親の辛さ。親子の別れ。見守る心温かい大人たち……。テレビのニュース特集や凡百のドキュメンタリー映画は、そういうステレオタイプに塗れている。ひと言でいえば、押しつけがましく古くさいのだ。
しかし本作はまったく違う。児童養護施設を舞台に、信じられないほど鮮やかな映像と的確に配置された音楽、そして徹底的に子どもたちの目線に落とし込まれたリアルすぎる描写と物語の数々。これはまったく新しい、21世紀の日本ドキュメンタリーの金字塔だ。
本作が向き合っているのは、「家族とは何か」という大きなテーマである。タイトルに「大きな家」とある通り、舞台となっている東京の児童養護施設は家になぞらえている。しかしそこで暮らしている子どもたちは、口々に「家ではない」「家族ではない」と語るのだ。「ここは家とは言わないもん。預かっている場所?」「しっかりした家族じゃない。ここのみんなは、一緒に暮らしている他人?」
そうやって施設の仲間たちを突き放しながらも、作品の中ではクリスマスや節分、夏の植物への水やり、誕生日のお祝いなど、一年を通したみずみずしい暮らしの彩りが描かれている。その折々に仲間たちと転がるように遊びながら、楽しげに笑顔を見せる子どもたちは、映画を観ているわれわれにはやっぱり家族に見える。それでも子どもたちは言う。「兄弟だったらケンカしない。施設ではケンカする。やっぱり他人だから」
そこには、家族というものへの強い憧憬とともに過剰な思い込みのようなものが見える。家族であるからには、友人や仲間とは違う崇高な関係性があり、特別な親密さがなければならず、誕生日のお祝いにしても、普通ではないもっとスペシャルな盛り上がりがなければならない。子どもたちはそう思っているのではないかと感じる。だから施設であまりにもふつうに暮らしているわれわれは、「スペシャルさが足りない家族未満」なのだと。
小学生のころは人とほとんど話せなかった女の子は、だんだんと打ち解けるようになってついに高校入試にも合格し、料理人を目指すことになった。ずっと彼女を支えてきた女性スタッフは、喜びのあまりに泣きじゃくりながら言う。「彼女の成長を見てると泣けてくる、ああ普通に生きてると思って」
普通の暮らしが続いていくことの素晴らしさ。平穏な日常の美しさ。持続するそういう平穏の地平にこそ、実は「家族」がある。そういうメッセージをわたしは本作から受け取った。
そしてこのメッセージはありがちな「親子の衝突」のような、激しいけれどもステレオタイプな古い演出へのアンチテーゼにもなっているのだと思う。施設での日常の美しさを極限にまで追求した本作の映像は、だからこそ素晴らしいのだ。
なお本作は子どもたちのプライバシーへの配慮から、今後ネット配信もDVD発売も行われないという。ぜひ映画館で観てほしい。
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■「大きな家」2024年/日本
監督:竹林亮
12月6日から東京・WHITE CINE QUINTO、名古屋・センチュリーシネマ、大阪・TOHOシネマズ梅田で先行公開。12月20日から全国順次公開
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao