コラム:大崎清夏 スクリーンに詩を見つけたら - 第4回
2022年4月21日更新
古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。(題字・イラスト:山手澄香)
今回のテーマは、第40回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した「ベルリン・天使の詩」(ビム・ベンダース監督)です。
第4回:平和なもののみが主人公の物語――「ベルリン・天使の詩」
子供は子供だった頃、
腕をぶらぶらさせて歩いた、
小川は川になればいいのに、
川は急流になればいいのに、
水たまりは海になればいいのにと。
子供は子供だった頃、
自分が子供だとは知らず、
どんなものにも魂があり、
すべての魂はひとつだった。
子供は子供だった頃、
物事に対する意見などなく、
癖もなく、
足を組んで座ったり、
駆けまわったり、
髪にはつむじがあって、
すましもせずに写真を撮られた。
ペーター・ハントケ「幼年時代の歌」より
詩を愛する多くの人にとって、知を愛する多くの人にとって、「ベルリン・天使の詩」は特別な映画だと思う。太いペンで文字を紙に書きつける手元のクローズアップとともに、天使を演じるブルーノ・ガンツの低い柔らかな声でこの詩が朗読される冒頭シーン。声は淡々と詩を読むかと思えばときおり思い出したように節をつけて童謡を歌う調子になり、また平読みに戻る。まるで声が声のまま書かれてゆくようなこの冒頭に、私も一瞬で魅了され、それからこの映画を何度も見返すことになった。
オーストリアの詩人、ペーター・ハントケの「幼年時代の歌」。冒頭で読まれるのは3連目までだけれど、詩は映画の随所で同じ天使の声によって朗読され、通奏低音のように続いてゆく。全体は10の連からなり、そのすべての連が「子供は子供だった頃……」で始まる詩だ。この言葉に呼応するように、映画の中では子供だけが天使の姿を見る。まるで、永遠を垣間見る能力が、子供にだけは残されているかのように。
2019年のノーベル文学賞を受賞したことで、この詩人の名前は世界に知られることになった。受賞の際、ハントケがユーゴスラビアへのNATO空爆に反対したボスニア紛争時の言動が物議を醸した。空爆に反対することはセルビア人による大量虐殺を容認することだと判じた欧米メディアが、一斉に授賞を批判したのだ。
けれども、紛争や戦争がいつもはっきり分かれた敵と味方の間で行われるわけではないことを、ロシアによるウクライナ侵攻で私たちは目の当たりにしている(いつになったら私たち人間は、このことから学ぶのだろう?)。ハントケ自身、スロベニア人の母をもち、ドイツ語で書く。文化も血も感情も、国境を越えて複雑に絡みあっていて、一筋縄ではいかない。そして、NATOが落とそうが、ロシアが落とそうが、爆弾は爆弾だ。それが落ちた場所では街が破壊され、罪のない人も死ぬ。
久しぶりに「ベルリン・天使の詩」を見返して、路上に延々と並ぶ死体を市民が確認する記録映像が挟まれていることに、初めて気づいた。小さな子供や、眠るような顔の乳児の死体も映る。「誰ひとり 平和の叙事詩をまだ うまく物語れないでいる」と、ひとりの老人が図書館でアウグスト・ザンダーの写真集「20世紀の人間たち」を捲りながら憂う。第二次世界大戦で空襲を受け、壁によって分断され、無人地帯となったポツダム広場を彷徨う老人を、映画は追いかける。「ここがポツダム広場なものか!」と老人は心の中で言う。天使だけがそれを聴いている。
天使たちは傍観者だ。自殺に向かう若者を止めることも、交通事故で死に瀕した男を救うことも、戦争を止めることもできない。天使にできるのはただそっと触れること、触れられた人がその感触に気づく可能性に賭けることだけ。それは、図書館で読まれるのを待つ本のありかたに、よく似ている。
図書館に大勢の天使が棲みついているのは、そのせいかもしれない。図書館には、自ら感覚を研ぎ澄まし、知の遺産から何かを受けとろうとする人が集まる。世界中の言語で読まれ、生きた人間のものになろうとする言葉のざわめきが満ちる。図書館では歴史が呼吸されるから、天使たちは嬉しいのかもしれない。
ビム・ベンダースにとって「幼年時代の歌」は、自分の故郷の街ベルリンで撮る映画にふさわしいテーマソングだったのだろう(劇作家としても著名なペーター・ハントケは詩を提供しただけではなく、ベンダースの熱心な依頼を受けて脚本にも参加している)。
「幼年時代の歌」の引用部分だけでなく、映画全体を通じて叙事詩のように織りなされる言葉を浴びたくて、私はこの映画を見る。創世から現在までを見つめ続けてきた天使たちのひとりごと。街の人たちが誰にも言わないまま抱えている、大小さまざまな喜びと悲しみ。
映画の終盤、人間に堕した元天使は、愛する人のもとに向かって子供のように嬉しそうにベルリンの壁の脇を歩き、壁に絵を描く人に「美しい!」と呼びかける。きっとこれこそが、あの老人が夢見た「勇壮な戦士や王が主人公の物語ではなく、平和なもののみが主人公の物語」なのだろう。
参考文献:映画の思考徘徊 第4回 監督ヴィム・ヴェンダースによる『ベルリン・天使の詩』音声解説から知ることができる50の事柄
https://members.thecinema.jp/article_features/TlD9J」
筆者紹介
大崎清夏(おおさき・さやか)。神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業。映画宣伝の仕事を経て、2011年に詩人としてデビュー。詩集『指差すことができない』で第19回中原中也賞受賞、『踊る自由』で第29回萩原朔太郎賞最終候補。詩のほかに、エッセイや絵本の文、海外詩の翻訳、異ジャンルとのコラボレーションなども多数手がける。2019年ロッテルダム国際詩祭招聘。
Twitter:@sayaka_osaki/Instagram:@chakibear/Website:https://osakisayaka.com/