コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第58回
2018年4月26日更新
フランス文化をこよなく愛した高畑勲監督 大使館、映画界も巨匠死去に大きな悲しみ
去る4月5日、高畑勲監督が82歳で亡くなったニュースは、フランスでもTVや新聞、ウェブなどで大きく報道された。とくに70年代から彼の「アルプスの少女ハイジ」を含む日本のアニメシリーズがTVで放映され、現在もジャパニメーションやマンガの人気がうなぎ上りのフランスでは、スタジオジブリはディズニーやピクサーに勝るとも劣らぬ人気がある。そんな環境のもと、高畑は後輩である宮崎駿と並んでジブリを象徴する存在として認識されてきた。メディアには「日本のアニメを代表する巨匠」「スタジオジブリのもうひとりの父」といった形容が並び、リベラシオン紙は一面に、「高畑、“火垂る”が消えた」と銘打った。
世界的には、高畑は宮崎の影に隠れていた印象があったものの、フランスにおける人気はどちらかといえば逆ではないか、と思わせられることが少なくない。アニメ評論家兼フランス語翻訳家で、ジブリ作品の上映や展覧会をフランスで企画したことのあるイラン・グェン氏は、リベラシオンのインタビューでこう語っている。
「フランスは西洋諸国のなかで、宮崎作品と同じぐらい高畑作品が紹介されている唯一の国です。ほぼ全作品と言えるでしょう。(中略)宮崎は存在自体がアイコンだったが、高畑の場合は何よりもまず作品ありきでした。ですがその作品、『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』は誰もが知っている。わたしが思うに、彼こそ日本のアニメ界においてもっとも重要な人物です。戦後の日本のアニメ話法を根本的に変えた人物として。慣習を脱し、アニメが社会的、政治的もしくは悲劇的なものになれること、社会の共同体における生活を描きながら道徳的な問題に正面から取り組むことができることを証明してみせたのです」
さらに高畑作品の方が、映像スタイルも含めバリエーションが豊かであったことも、人気に影響しているようだ。初期のTVシリーズのような素朴で純粋なもの、「平成狸合戦ぽんぽこ」のような親しみやすさのなかに鋭い社会批評を秘めたもの、「ホーホケキョ となりの山田くん」や「かぐや姫の物語」のようにミニマルで純化された映像スタイルが豊かな詩情やイメージを喚起するもの、そして「火垂るの墓」のように戦争の悲劇を妥協なく描いた、暗く強いメッセージを発するもの。
たとえばフランスで高畑を語るとき、必ず引き合いに出されるもっとも評価の高い一作が「火垂るの墓」である。これはフランスにおいてアニメ文化というものが、子供向けに留まらない、立派な芸術分野として認識されていることの証でもあるだろう。ちなみにカルチャー誌のレザンロックプティブル誌は、高畑のベスト4として、「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ となりの山田くん」「かぐや姫の物語」を挙げている。
フランス文化をこよなく愛した高畑とフランスの関係も忘れられない。そもそも学生時代に強烈に刺激を受けた作品が、フランスのアニメ「王と鳥(旧題:やぶにらみの暴君)」だった。また詩人ジャック・プレベールを愛し、後に翻訳も手掛けたほど。ミシェル・オスロ監督の「キリクと魔女」などの字幕や原作翻訳を務めたり、マイケル・デュドク・ドゥ・ピット監督の才能に惚れ込み、ジブリが制作に参加した「レッドタートル ある島の物語」でアーティスティック・プロデューサーの役目も果たしている。
世界最大のアニメ映画祭と言われるアヌシー国際アニメ映画祭では、95年に「平成狸合戦ぽんぽこ」で最高賞を受賞し、2014年には「かぐや姫の物語」で名誉賞を授与された。さらに15年、フランス芸術文化勲章オフィシエを受章している。
今回の訃報に対して駐日フランス大使はツイッターで、「深い悲しみを覚えています(中略)高畑氏は、感嘆、敬意、友情を呼び起こす、両国の友好の架け橋でした」と述べ、また映画の殿堂と言われるパリのシネマテークの公式ツイッターでも、「高畑勲が亡くなって、僕らはひとりぼっちになった」とつぶやかれた。
あらためて彼の存在の大きさ、アニメという枠や国境を超えたその影響力を実感し、いまこの時代に、その喪失が惜しまれてならない。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato