コラム:二村ヒトシ 映画と恋とセックスと - 第22回

2024年3月26日更新

二村ヒトシ 映画と恋とセックスと

作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は第66回アカデミー賞主演女優賞・助演女優賞・脚本賞を受賞、第46回カンヌ国際映画祭では、女性監督として初のパルム・ドールに輝いたジェーン・カンピオン監督の「ピアノ・レッスン」(92)。公開当時は繊細な愛の物語と大胆な官能表現が話題を集めました。現在4Kデジタルリマスター版が劇場公開中の本作の魅力に迫ります。

※今回のコラムは本作のネタバレとなる記述があります。


ピアノ・レッスン」30年前に撮られたすごい映画 普通とはちがうコミュニケーションで発情する二人、それぞれの人生の孤独

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▼30年前に撮られたすごい映画

30年前に撮られた映画ですが、すごい映画でした。しかもエロかった。「30年前に撮られたとは思えない」のではないです。むしろ、これは30年前だから撮れたんだと思います。

エロい描写が過激というわけではないです。描写はおとなしいんですけどシチュエーションがやばい。

主人公エイダ(ホリー・ハンター)は口をきかない人です。きけない、のかもしれません。しゃべらない代わりに手話と筆談をし、ピアノを弾きます。映画の冒頭で「私は6歳で口をきくのをやめた」というナレーションがあります。そして、それがなぜなのかは最後まで描かれませんし、本人も自分でなぜなのかわからないと言う。

言葉で伝える(つまり嘘をつくこともできる)と、なにか大切なものを伝えそこなうのではないか。ある人間の人生やセックスや恋愛は、言葉では語れないのではないか。これから始まるこの映画は、口をきかない私が主人公なのだから、私は映画の観客であるあなたを説得することはできないし、しようとも思わない。だけど(だから)この映画は(すくなくとも私にとって)真実である。そんなメタメッセージを僕は映画の冒頭でいきなり受けとってしまったのですが、同時に、エイダが6歳の時に何が起きたのだろうという疑念も湧きます。

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エイダにはちょうど6歳くらいの娘フローラ(アンナ・パキン。天才子役です)がおり、ナレーションは「これから私は娘とともに、顔も知らない人のもとに嫁ぐ。夫になる人は、私が口がきけなくともかまわないと手紙に書いてきた」と続くのですが、じゃあフローラの父親は誰なんだ。

映画が作られたのは今から30年前ですが、物語の舞台はそれからさらに百数十年前、19世紀の半ばです。エイダとフローラ母娘はイギリス人で、貴族とまではいかないけどお金持ちの家に生まれたのでしょう。エイダがフローラをつれて嫁いでいく先は、はるかニュージーランドの植民地です。同じような身分のイギリス人たちが入植しており、彼らは純粋な白人の子供をどんどん産める花嫁および先住民から土地を奪う資金になる花嫁の持参金がほしいのでしょう。

▼非言語的な表現の秀逸さ、一筋縄ではいかない細部がたまらない

フローラの父親である男がまったく登場しないように、エイダの結婚を決めてきたエイダの父も画面に登場しないのですが(もしかしたらエイダの父とフローラの父親は同じ男で、エイダが6歳の時に起きたことはフローラが生まれるまで続いたのかもしれません。というか、そういう裏設定なのかもしれないと僕は勝手に解釈したのですが)エイダの父は口をきかない未婚シングルマザーである娘を、とにかく遠い海の彼方に厄介ばらいしたかったのでしょう。エイダはいつも怒ったような顔をしています。この彼女の表情を見るだけでも、この30年前の映画を今、観る意味があります。

航海の末にエイダとフローラとエイダのピアノはニュージーランドにたどり着きますが、浜辺まで迎えに来た、ここで初めて会う夫スチュアート(サム・ニール)は「服や食器のほうが大切だろう、ピアノは重いから置いていこう」と言ってしまい、もちろんエイダは激怒します。ピアノで奏でる音楽はエイダの心の嘘のない言葉だからです。

フローラはまだ小学校低学年くらいですが、エイダと同じビクトリア朝の女性のおめかしをしてて、この二人は母娘というより分身のように見えるカットがあります。じっさいエイダの手話がわかるのは初めはフローラだけで意思の通訳のようなこともします。いっぽう妻になる人に愛されようと髪をなでつけたりしてるスチュワートのうしろには、半裸におんぼろシルクハットをかぶっておどけた先住民の若者がくっついててこれまた分身にしか見えないカットがあり、こういう説明をしちゃうとヤボなんだけどとにかく非言語的に「なんかある…」と思わせる異常に印象的なカットだらけで、この監督、ただ者じゃないです。

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先住民の人夫たちのなかに、もう一人奇妙な男がいます。白人なんだけど顔に先住民たちと同じ刺青(いれずみ)を入れてて、人足の頭(かしら)のようですがスチュワートの友達みたいな態度です。ハーヴェイ・カイテル演じるベインズです。やはりイギリスから入植してきて、なにかの理由で西欧人として生きるのをやめたのでしょう。その理由も説明されません(妻はイギリスに置いてきた、みたいなセリフは後であります)。逆にスチュワートたちの一族は、郷に入って郷に従わず、英国文化にこだわって生きています。

いちおう夫婦としての生活が始まりましたが、エイダはスチュワートに心を許しません(たぶん、体も許していません)。フローラに弾いて聴かせてあげたいのに、ピアノは浜辺に打ち捨てられたままです。

スチュワートの叔母(この女性が実質スチュワート家を支配していて、嫁に来たエイダのことは産む機械としか思っておらず、スチュワートは一種のマザコンであることがわかります)に、フローラは「自分のお父さんはお母さんのピアノの先生だったけど、お父さんは雷に打たれて炎につつまれて焼け死んで、それから私が生まれたの」などと、エイダからそう聞かされているのだろう明らかにフィクションであるエピソードを語ります。言葉で語られる自分の嘘の出自。こういう一筋縄ではいかない細部がこの映画、本当にたまらないんですよ。

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エイダはベインズに、ピアノをスチュワート家まで運んでくれないかと頼みますが、ベインズは何を思ったのかスチュワートに「先住民から買える土地を紹介するから、替わりにあのピアノをおれにくれ」ともちかけ、自分が一人で住んでる小屋に運びこみます。そしてエイダに「おれもピアノが弾けるようになりたいんで、教えてくれ。最初はあんたが弾いて見せてくれ。今このピアノはおれのものだが、おれにピアノを聴かせてくれたら、そのたびに少しずつ、鍵盤のキーひとつぶんずつ、あんたに返していこう」と提案します。こうしてレッスンが始まります。

▼ピアノのレッスンを介し、官能的に深まっていく二人の関係

ピアノを弾くときエイダの感情は揺れます。美しい音色を聴きながらベインズは、そんなエイダをガン見しています。そして「弾いてるときの腕が見たいから上着を脱いで弾いてくれ」と言って、そのエイダの腕に触ったり、ぜんぜんピアノと関係ないのに「スカートをめくったまま弾いてくれ」とか、いろいろエッチな要求をしていく。エイダはそれに少しずつ応じることで少しずつ、本来自分のものだったピアノを取り戻していく。

このニ人の、恋というよりも、ある取引を通じて欲情していく展開。エイダは言葉は発しないわけですからこれも僕の解釈にすぎないのですが、ベインズにいろいろ求められながらピアノを弾いているときエイダ自身も発情していると僕は思います。僕は「ピアノ・レッスン」は純愛のドラマとか不倫の恋のドラマとか呼ぶよりも、普通とはちがうコミュニケーションの仕方をするニ人の発情のドラマと呼ぶべきだと思うのです。その発情から、二人それぞれの人生の孤独が見えてくる。

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ベインズは強引なことはしませんしニ人の仲が深まっていく過程はとても繊細に描かれていますが(ベインズは自己嫌悪に陥ったりもします)、それでもエイダはピアノを取り戻すためにベインズに逆らえないといえば逆らえないわけだし、言葉でエイダの同意をとれてないベインズの誘惑は威圧的だと感じる人もいるでしょう。いきなりちんこも見せるし。ピアノを弾く行為そのものを性のメタファーとして撮ってるこのシーンを「けしからん」と感じる人もいるかもしれません。そもそもピアノを弾いてる女性にボディタッチをする男というのが不謹慎です。

30年前だから撮れたのでは、と言ったのはそういうことなんですが、監督のジェーン・カンピオンは女性です。女性が創作しているから不謹慎(であると現代の感覚では判断されかねない)エロでも許されるとはまったく思いませんが、公開当時世界中で大評判になった「ピアノ・レッスン」は、エイダに感情移入した多くの女性観客を(こういうエロが好きな男性観客も)さぞや興奮させたことでしょう。

▼エイダとベインズのその後は……

ベインズと関係してしまってからエイダの人生はさらに思いもかけない展開をとげます。嫉妬した夫による激しいDVのシーンもありますのでご注意ください。この夫がそこまで悪い人ではなく報いも受けないというのも現代の映画だと怒られちゃうとこなんだよな…。

ラストカットでエイダの耳にひびいている音の静けさが何を意味するのかの解釈は、完全に観客に委ねられているとも思いました。そういう深い味わいまでふくめ、今こそ観られるべき映画だと僕は思います。むかし観たことある人も初めて観る人も、ぜひご覧になってください。

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筆者紹介

二村ヒトシのコラム

二村ヒトシ(にむらひとし)。1964年生。痴女・レズビアン・ふたなり・女装美少年といったジェンダーを越境するジャンルで様々な演出の技法を創出、確立したアダルトビデオ監督。
著書『あなたの恋が出てくる映画』 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 共著 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』 『欲望会議 性とポリコレの哲学』ほか多数。

Twitter:@nimurahitoshi

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