コラム:二村ヒトシ 映画と恋とセックスと - 第2回

2022年8月18日更新

二村ヒトシ 映画と恋とセックスと

作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。第2回は、「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」。「心と体と」で2017年・第67回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したハンガリーのイルディコー・エニェディが監督・脚本を手がけ、「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥーが主演。ハンガリーの作家ミラン・フストの小説を原作に、出会ってすぐに結婚した男女の官能的で切ない愛の行方を描く物語です。


レア・セドゥーに翻弄される夫の苦悩の正体は…「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ

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ほぼ前情報を入れず、どんな映画か知らずに試写会で観させていただいたのです。そしたら、はい、とんでもない(ほめてます)映画でしたね。大当たりでした…。

なぜか観はじめるまでタイトルを「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」だと思いこんでて「あれ? でも同じタイトルの映画ちょっと前になかったっけ…?」くらいのテキトーな認識だったのです。ほんと、すいません。

事前に聞いてた「レア・セドゥーさんは独特なエロさがある女優で、ボンドガールやったと思ったらクローネンバーグ監督の新作に出たり、次はエマニエル夫人の現代版リメイクの主演が決まってるような人だから、きっと二村さんお好きですよ」って話にまんまと釣られて観にいったのは否定しませんが、そうやって釣られた結果すごい映画に出会ってしまうということも人生にはある。

パンフレットや公式ページにも書いてある導入部のあらすじは映画が始まる直前にちらっと読みました。「とにかく結婚がしたい、中年になっても独身なのは健康に悪い…」と考え始めていたおじさん(ハイス・ナパー)が、喫茶店にいるとき友人に「次に店に入ってきた女性にプロポーズする!」って約束しちゃって、そこにたまたま入ってきたのがレア・セドゥーだったらどうすんだ(笑)。そんなの「謎の女」に決まってるじゃないですか。そして彼女は初対面なのに(もちろん)なぜかOKしてくれるわけです。

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正体のわからない女を奥さんにしてしまったことで男の運命は変わってゆき、いろんな目に遭う…。 物語の類型として神話や昔話にもありそうなお話だし、この映画の舞台は今から100年前のヨーロッパですけど、人生が寂しいから美人なら誰でもいいから結婚したいってなんとなく思ってる中年男性は現代の日本にも沢山おられます。映画の「夫」は遠洋貨物船の船長ですが、これも現代の話に読み変えたら、女性のいない職場で独身のまま管理職になったという設定になるかもしれない。

ただ「謎の奥さんに翻弄されて夫は嫉妬に苦しむけれど、最終的に謎が解けてみたら、事件を起こしたりもしていた彼女も実は夫を本当に愛してはいた…」みたいな、いかにも映画っぽい感動的なオチでは終わらない映画だろうな、とは途中から思っていました。というのは、愛がテーマにしては、あまりにも映像が不穏なんです。

不穏といってもミステリっぽい不穏さじゃないし、ホラーっぽい不吉さや怖さでもない。愛がテーマだったことが最後になってわかるミステリとかホラーは結構ありますよね。そういうのとは、ちょっと違う。

この映画の感触、何に近いかというと「夢」に近いんですよ。 夢の中で再現される日常の、あるいは思い出の、あるいは非日常の出来事。いま何が起きているのかを夢の中の自分はわかってはいるのに、コントロールはできていない。だけど事態は夢の論理と倫理でどんどん進んでいってしまう。

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眠って夢を見ている自分の意識は「えっ、そっち行くの?」って、気持ちはついていけてないのに、なぜか夢の中の自分は「こうなるだろう、こうするしかない」って納得している。次に何が起きるのか全然わからないのに(あるいは逆に全部わかっていて「それをしたらアカンことになるよ!」って知っているのに)出来事が起きてみると、そう、これ以外は起きるはずがなかったと思う。夢の中では何も不思議ではないのに、目が覚めてみると不思議になる、あの感じ。

物語上の出来事としては不思議なことは何も起きないのです。現実的な物語。だから不条理映画ではない。ところが主人公と観客はそれをまるで夢のように体験している。

映画の中の景色で「これ、いつかどこかで見たことがある。…そうか、夢で見たんだ」という感覚を味わえるのは何といってもタルコフスキーの作品ですが、「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」で味わえるのは世界の終わりめいた荘厳な鈍色の景色ではありません。もっと個人的で下世話な、不倫とか、せこい悪事に手を染めてしまうとか、とりかえしのつかない夫婦喧嘩とか、すべての人が体験するわけではないけれど誰にでも起こりえる卑近なこと。

「夢にも思わない」という言い回しがありますけど、この映画で起きる出来事のような、いやな汗をかくような夢を見たことがない人って、いるんでしょうか。

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ちょっと小難しい話をしますね。心理療法家で精神科医の藤山直樹さんによれば、精神分析という行為は、生きづらさをかかえた人や心が病んでしまった人(患者、クライアント)の性格やトラウマや親子関係や、隠された性的欲望や夜の夢を、分析家(セラピスト)が一方的に見抜いたり解釈したりジャッジしたりすることではないそうです。

精神分析というのは、言葉を使ってセラピストがクライアントと「いっしょに夢を見ること」をして、クライアントが「ちゃんと一人で夢見ること」ができるようになるのを手伝うんだそうです。(精神分析家になることは簡単ではなく、てきとうに本で読んだ知識だけでできる気になって真似事をしては絶対いけないそうです。専門的な訓練を何年も積んで、当人も先達から徹底的に分析を受けて自分と向きあう修行をしなければ資格を得られないのです)

「ちゃんと夢を見ることができるようになる」と言っても、精神分析を受ければ毎晩悪夢を見てしまう理由がすぐにわかって翌日から見なくなるとか、すぐに前向きで明るいビジョン(「夢と希望」というときの「夢」)が抱けるようになって鬱が治るというような、即効性はありません。

そして藤山さんに言わせると、人間は眠っているときにだけ夢を見るのではない。目が覚めているときも、いつでも夢は見ている。つまり無意識は働いている。夢を見るというのは、自分の無意識(心の中にある、コントロールできない部分)が語りかけてくる声を聞いて、体験したことの「自分にとっての意味付け」を味わうことなんだそうです。夢を見て無意識と対話ができるようになって過去の体験が整理されると、トラウマに圧倒されて人生が不具合を起こしてしまうことが少なくなってくる。その補助をするのが精神分析だと言うのです。

じゃあ、どういうときに人間は「夢を見ていない」のか。つい行動によって他人をコントロールしようとしてしまうとき、なのだそうです。(藤山直樹・伊藤絵美『認知行動療法と精神分析が出会ったら こころの臨床 達人対談』より)

それは、おそらく「自分は自分の意志で、すべて制御できている」と傲慢にも思ってしまったとき、あるいは衝動的に暴力をふるうとき、ということなのでしょう。

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映画「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」の主人公である「夫」の職業が地に足のつかない「船の船長」であることは、とても象徴的なような気がします。彼は優秀な船長ですが、海や船をコントロールしているようには見えません。船長室でご飯を食べているシーンが多い(笑)。でも彼が乗っていると船の運航はうまくいくのです。

船長を務めている船が映画の中で一度ピンチに陥りますが、彼は最悪の事態を回避できます。それは彼の人生において「手腕」とか「経験の厚み」とか、あるいは「彼のリーダーシップと船員たちみんなのチームワーク」とか「みんなが彼を信じたおかげ」だとか、いろいろ社会的に意味付けされるのでしょう。そして、なんにせよ彼の手柄になりました。ところが彼はそこでも、意志や自意識で部下や船をコントロールしたのではないのです。いわゆる「勘が働いた」のですが、それはつまり無意識に「自分でもわけがわからないまま」船を救ったということなのです。

仕事をうまくやれてるときって(もしかしたら恋愛や結婚やセックスも、うまくいくときって)そういうものじゃないですか? 自分が明確に意識しているのではないところで、うまくいく。その人が何もしていないのではありません。意識できない部分を働かせているのです。逆に、自分の我(が)で何かを不自然にコントロールしようとし始めると、決まってうまくいかなくなる。

ところが船長は船の上で(せっかく、うまく夢を見れていたのに)何もコントロールしていない自分が寂しくなってしまったのでしょうか。身分の低い船員たちは生き生きと働いているのに、彼だけが蚊帳の外という船上の描写も印象的です。

それで結婚をしたくなる。そのきっかけも健康状態という、身体(無意識)からのSOSのサインでした。そして妻になる彼女と出会ってしまう。もちろん出会いも「ただの偶然」ではないです。友人(彼の存在も、船長の無意識の象徴でしょう。その不気味な友人はしばしば船長の人生に出現して、ちょっかいを出してきます)と変な約束をしたから結婚できたのです。

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ところが陸の上での結婚生活は、うまくいかない。妻は「海」でも「船」でもなく人間ですから、彼には妻が理解できない。言うことをきいてくれない他者であるという意味では海と「人間」は同じなのに、彼は妻に「ただ向きあう」ことができず、つい彼女をコントロールしようとしてしまう。

他人を(恋人や結婚相手を)コントロールしようとすることは暴力的なことであり、みっともないことです。

それをする人は、相手を「夢見ること」ができなくなっていき、人生が苦しくなっていく。でも恋愛や結婚の相手こそが「他者」であり、海という自然以上に絶対に言うことをきいてくれない人(そうですよね?)だからこそ大好きになったのではないですか?

愛してしまった「コントロールできない他者」が、自分の無意識が言いたがってることを教えてくれるのかもしれません。これは極論すれば、あらゆる恋愛映画や結婚をあつかった映画の(もしくは現実の恋愛や結婚の)たいへんなテーマだと思います。

ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」では、レア・セドゥー演ずる「妻」は夫にとってのファム・ファタール(フランス語で「運命の女」。男にとって魅力的すぎて、その人生を左右し、なんなら破滅させたりする女。映画にはよく出てくる)じゃないんだよ、とする批評や監督自身のコメントを見ました。なるほど。

彼女は映画中盤ぐらいから、謎の女ではなくなっていきます。むしろ観客にとって謎になってくるのは「主人公であるはずの夫が何を考えているか」です。 主人公自身が、自分が何を考えているのか、何をしているのかわからなくなる。妻以外の「いろんな他者」に翻弄されているのに頑固に「これは俺が自分の意志でやっているんだ」と言いたげな態度をとって、彼は妻とも海とも自分の無意識とも対話をしなくなっていく。嫉妬させられてしまうと、人間の頭の中は自意識ばかりになってしまうのです。

ヒロインが主人公にとってファム・ファタールである映画だと、彼女はラストまで謎に美しいままで、そしてフェミニストの女性の観客は「これは私の映画ではなかった、男のための映画だった」と失望するのでしょう。

でも「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」のレア・セドゥーの演技は人間的でした。彼女もまた「自分の無意識の象徴である夫」を途中までは愛しましたが、夫が彼女をコントロールしようとしたのと同じように、彼女も自分の人生を自意識で無理やりコントロールしようとし始めます。そんな二人がどうなってしまったか、ぜひ映画で確かめてください。

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女が謎なのではなくて、男であっても女であっても「生活を共にしていく相手」あるいは「好きになってしまった人」は全員、他者という謎です。

これは「男はこういうもので、女はこういうものだ」とロマンチックに決めつける映画ではなく、「男も女も、自分の無意識と対話しなかったり他者を支配しようとしたりすると、痛い目にあう」という映画だったように思います。恋愛も結婚もセックスも、わけがわかりませんが、無意識と対峙できる貴重で劇的な体験です。セドゥーさんが演じる新しい「エマニエル夫人」ますます楽しみになってきました。きっと、女としてではなく人間としてエロいぞ。エロいということは謎だということです。

そしてパンフレットを見て初めて気がついたのですが、セドゥーさんって2013年の「アデル、ブルーは熱い色」で青い髪の少女エマに扮して熱いレズビアン・セックスを見せてくれてた、あの人だったのか! 「アデル~」は僕すごい好きな映画で、拙著『あなたの恋がでてくる映画』でも彼女の演技についてたっぷり書いてたのに、ぜんぜん気がつかなかった! 言われてみれば同じ顔でした。

そしてそして、やはりパンフレットを読んで監督が、やはり僕が大好きな「心と体と」を撮った人だったということも知りました…。映画のタッチがぜんぜん違うんでこれまた気づかなかったけど、言われてみればテーマは共通していて「夢」と「無意識」と「他者」でしたわ。

つまり僕が「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」を観ることになったのは、やっぱり偶然ではなくて、無意識が「観ろ」と薦めていたということだな…。皆さんも、あまり興味なかったり前情報なにも入れてないのに、なぜか「なんとなく観たいかも」「これは観といたほうがいいかも」とふと胸騒ぎがする映画や、たまたま誰かが薦めてくれた映画は、なるべく観るようにしてみてください。すべての映画は夢ですし、あなたの無意識が「その夢を見なよ」と言っているのかもしれないですから。

筆者紹介

二村ヒトシのコラム

二村ヒトシ(にむらひとし)。1964年生。痴女・レズビアン・ふたなり・女装美少年といったジェンダーを越境するジャンルで様々な演出の技法を創出、確立したアダルトビデオ監督。
著書『あなたの恋が出てくる映画』 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 共著 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』 『欲望会議 性とポリコレの哲学』ほか多数。

Twitter:@nimurahitoshi

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