コラム:二村ヒトシ 映画と恋とセックスと - 第14回

2023年7月13日更新

二村ヒトシ 映画と恋とセックスと

作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は、2021年カンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞受賞作で、第2次大戦後ドイツで男性同性愛を禁ずる「刑法175条」のもと、20年以上にわたり「愛する自由」を求め続けた男の闘いを描いた「大いなる自由」についてのお話です。


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※今回のコラムは本作のネタバレとなる記述があります。未見の方は、ご注意ください。

▼ポリティカルにコレクトしない、ハッテンの映画

思い出は8mmフィルムのようで、それが独房の夜にマッチの小さな焔とともに再生されるとか、監視の目を盗んで暗号のラブレターを出すとか、泣かせてくれる要素はいっぱいありました。けれど「大いなる自由」は最終的に「心の中の愛と絆(きずな)は永遠だ」みたいな安い寝言をいうための映画じゃなかった。たいへんな深みのある傑作でした。

映画で愛や絆を描くことは、そんなに難しくないんですよ。登場人物に愛を感じさせたり他の登場人物との絆を作ったりして、それをセリフで説明したり事件で展開させたらいいわけですから。

でも、映画で自由と不自由を描く、自由とは何かを考える、これは難しいです。自由が本当に人間を幸せにするのか、人は本当に自由を求めているのかという、あんまりみんなが考えないようにしてる、考えちゃいけないことになってるのかもしれないことに踏み込まざるをえないからです。

だからだと思うのですが「大いなる自由」は、ゲイである主人公が差別をうける物語であるにもかかわらず、けしてポリティカルにコレクトした映画ではなかった。

どういうことかというと、そんなこと公式の宣伝ページには一行も書かれてませんし書くわけにもいかなかったのでしょうが、観ればわかりますが「大いなる自由」はハッテンの映画なんです(カタカナの「ハッテン」が何のことかわからないかたに説明するのもめんどうくさいので、どうか各自でお調べください)。

いきなり公衆便所でのハッテン行為の盗撮映像から映画は始まります。それは主人公がかつて夏の日に恋人をまぶしく見つめたフィルムではなく、ナチスが退場した後の民主的な行政が「正しさ」のために、つまり善良な市民みんなのために、ふしだらでみだらな野郎たちを検挙するために盗撮したものでした。

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主人公が切望する「愛する自由」とは、善良な人なら眉をひそめる、ハッテンをする自由です。一般的な意味での「愛」なき恋の自由、欲望の自由のことです。

愛なき欲望の自由とか書くとゲイ男性じゃない人の中には、そしてまじめなゲイ男性の中にも、自分とは関係ないと思われる人がいるかもしれないですね。でも欲望の自由の中には、ワンナイトラブの自由や乱交パーティに参加する自由、不倫してバレて家族を苦しめる自由、ポルノを作ったり見たり出演したりする自由だけでなく、自らの意志でわざわざ不幸になる自由、あるいは不幸にならないために自らの意志で結婚や出産をしない自由もふくまれてるんだけどな、と僕は思います。

この映画は、いわゆる反差別を声高に叫ぶ映画じゃないし人種やジェンダーに配慮した映画でもないですが、LGBTかそうじゃないかにかかわらず、みだらなセックスを(もちろん、あくまでも相手との同意のもとに)する人間や、社会のモラル的には「まちがった」ふるまいをすることで呼吸できるようになって生きていける人間を逮捕して虐待したり自死させたりしないでくれと小声でささやいてる映画ではあるかもしれません。

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▼どんな環境下でもハッテンする欲望をもちつづける主人公と依存症者で乱暴者のノンケの男の出会い

主人公ハンスは、どんな環境下におかれてもハッテンする欲望をもちつづける、しぶとい、たいした人です。 本当にすごい人が往々にしてそうであるように、ハンスも無口です。そのふるまいは、ラストシーンにおけるショッキングな彼自身の選択もふくめて、なんとなくユーモラスで、でも笑いごとではなく切実で、痛くて、かっこいい。

もう一人の主人公ヴィクトルは入れ墨だらけの依存症者で乱暴者で、でもノンケです。ノンケという言葉は「その気(き)がない」、性癖という意味での「け」がないということでもあるし、ある種の「気配」がない、気配を感じることをしない人という意味でもあるのでしょうね。

つまりノンケであることは野暮(やぼ)なことです。最初は自分が同性愛当事者男性を差別してることに罪悪感すらないわけです。でも堅物(カタブツ)が堅物だから色っぽい(当人は自分が色っぽいことに気づいていない)ということがあるように、ノンケがノンケだから色っぽいということがあるのでしょう。

差別者ヴィクトルにもナチの強制収容所に入れられていたハンスへの同情や、自分はそういう目には遭わなかった側であるという戦後ドイツのマジョリティ市民としての(犯罪者ではあり長期服役者ですから彼の人生は彼の人生で大変で、ぜんぜんマジョリティじゃないんですが)うっすらとした罪悪感はあったのかもしれません。罪悪感の持ちようは、時代によって社会によって経験によって変わっていくものです。

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だからヴィクトルはハンスの腕の、強制収容所での認識ナンバーの入れ墨を消すために、その上からへたくそな別の入れ墨を彫ってくれます。これは彼の同情からくる親切であり、ハンスへのケアです。人は愛も理解も欲望の下心もないのに、思わず他人をケアしてしまうことがあるものです。

この映画を観た僕の知り合いのあるゲイ男性は「あの入れ墨を彫るシーン、男っぽくてエロかったよね……」と興奮してました。唾液も垂らしてたしね。もしかしたらハンスもそう感じて、びっくりしながら静かに興奮していたかもしれません。そしてヴィクトルには、その興奮は理解できないでしょう。野暮なノンケだから。差別者だから。差別者による親切。差別者がしてくれるケア。親切とディスコミュニケーション。(ちなみに僕にも、あのシーンをエロいと感じる感性はぜんぜんなかった。残念です)

差別をすることは「お前を理解したくない」と宣言することです。ゲイにだってノンケが考えてることは理解したくてもできないでしょう。理解しあわない二人が理解しあえないまま(セックスではなく、共感でもなく)つながる行為。体に傷を彫ってくれて、それが死ぬまで残る親切。

ヴィクトルは刑務所のルールは守りませんが、ある意味まじめです。劇中で詳しくは語られませんがヴィクトルが犯した罪は、彼がノンケだから犯してしまったわけではなく(恋や愛のあげくに思いつめて、あるいは衝動的に、彼と同じ罪を犯してしまう同性愛者だっているでしょう)、しかし彼が愛にまじめすぎる人間だったから犯してしまった罪なのだとは言えそうです。

収監された後もヴィクトルは、犯した罪への後悔からか薬物に依存しつづけています。保釈寸前になっても彼は未来への恐怖から娑婆(しゃば)に出ることができません。全部を自分でぶち壊してしまう。何かに依存して破滅するのは決まって、まじめで弱い人間です。

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▼まじめなヴィクトルと欲望に生きて生き残ることに恥じないハンス

前にもこのコラムで書いたような気がするのですが、僕は「すべての人間はじつは両性愛者で、ノンケというのは自分が本当は同性とも愛しあいたいという欲望を奪われてしまった、抑圧された人間なんじゃないか」と考えています(逆のこともまた言えるような気もするのですが、それを言うと差別だと怒られてしまうのでここでは言いません)。

まじめなヴィクトルは、誰かに自分の罪を許して欲しかったのに、そして本当はもっとハンスに甘えたいのに、その欲望を自分で認めることができなかったのかもしれません。

同性愛当事者ですからヴィクトルほど野暮ではありませんが、やはりまじめであることで苦しむゲイたちも刑務所の中にいます。ハンスの若い日の恋人オスカーは、まじめだったからこそ死んでしまいました(ヴィクトルが抱きしめてくれたケアでオスカーの死を乗りこえられたからこそ、あるいは乗りこえられていないからこそ、ハンスはハッテンに依存するようになったのかもしれません)。

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ハンスのハッテンのお相手レオも、まじめだからこそ「ゲイであることが世の中にバレてしまった。もう、おしまいだ」と、しょんぼりしています。そういうふうにまじめであることは、とてもつらいことです。

この映画は、たしかに宣伝文句のとおりゲイとノンケのあいだの差別や性の欲望をこえた絆と愛を描いてもいます。ですがそれ以上に、まじめ人間であるヴィクトルやレオやオスカーと、欲望に生きて生き残ることに恥じない奇妙な人間(強い人間、というわけではないでしょう)ハンスとの、差異を描いているとも見てとれました。

▼娑婆に出て、自由を手にしたハンスが求めるものは?

本当にすごい人は、往々にして奇妙な人です。驚くべきことに男だけの刑務所は、ハンスにとって、男だらけの世界なのです。ハッテンし放題というわけにはさすがにいきませんが、すくなくとも欲望を抱き放題です。そして、その欲望をきびしく禁じられ放題の場所でもあります。抜け穴はあるのですが。

欲望を禁じられるということは、どういうことなのでしょう。それは非人道的なことです。でももしかしたら同時に、とても興奮することなのではないでしょうか。抜け穴さえあるのなら。

やがて時代は変わり法律も変わり、差別がなくなったわけではないけれど人類は月に着陸し、どんどん民主的に新自由主義的になっていく娑婆では合法ハッテン場の営業が許されるようになりました。許可したほうが、公衆便所でハッテンする男が減るからでしょう。ゲイとノンケ双方にとって安全な管理された社会です。ハンスが刑務所を出るシーンのタイムスリップ感というか、強烈な別世界感。

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ハンスが娑婆のあのハッテン場で見たものは、何だったのでしょう。彼はあそこでは、ぜんぜん興奮できなかったのでしょうか。

ハンスは、死んでいくだろうヴィクトルのケアをしに戻るのでしょうか。それとも欲望を禁じられる興奮を再び味わうために帰るのでしょうか。その両方でしょうか。

あなたにとって大いなる自由、命がけでも守りたい自由、そして小さな自由、せこい自由は何ですか? あなたにとって人生でいちばん大きな欲望は、せこい欲望は、小さいけれど生きていくうえでどうしても必要な欲望や、とらわれているダメな依存は何ですか? それを禁じられたら、あなたはどうなってしまいますか?

筆者紹介

二村ヒトシのコラム

二村ヒトシ(にむらひとし)。1964年生。痴女・レズビアン・ふたなり・女装美少年といったジェンダーを越境するジャンルで様々な演出の技法を創出、確立したアダルトビデオ監督。
著書『あなたの恋が出てくる映画』 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 共著 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』 『欲望会議 性とポリコレの哲学』ほか多数。

Twitter:@nimurahitoshi

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