コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第3回
2000年2月29日更新
「ディカプリオのインタビューがハワイで取れそうなんですけど」との連絡を受けて、僕はマウイ島行きの飛行機にとび乗った。新作「ザ・ビーチ」のハワイ・ジャンケットに参加するためである。普段ジャンケットはロサンゼルスかニューヨークのホテルで行われるのだが、大作の場合、趣向を凝らしてくることがたまにある。「アルマゲドン」はNASAでやったし、「マトリックス」は、宇宙船セットを使って行われた。だから「ザ・ビーチ」がハワイでジャンケットを催すのも、「わかる」選択である。
ジャンケットというインタビュー形式がハリウッドで一般化したのは、ここ10年ぐらいのことだ。インタビュー当日、ジャーナリストは指定のホテルに呼ばれ、10人程度の記者と同室に入れられる。同様の部屋がいくつもあって、インタビューされる側 (つまりタレントや監督) がそれぞれの部屋を約20分ごとに移動するという仕組みだ。「ノッティングヒルの恋人」でその模様が描かれていたけれど、紙媒体の場合、一対一で取材できることはほとんどない。テレビの場合ならそれも可能だが、それでも与えられる時間はわずか5分程度。挨拶して二、三質問すればもう終わり。お喋りなタレントの場合だと、一つの質問で終わってしまうこともある。
インタビューする側からだと、これは決して好ましい形式だとはいえない。たいてい僕は他の外国人記者と一緒のグループに入れられるのだが、国によって興味のあることは異なるし、媒体によっても質問が違ってくる。その結果、わずか20分のなかで、政治や宗教観からセックスライフまで、ありとあらゆる質問が飛び交うことになる。タレントにとっても、これにはかなりフラストレーションが溜まるはずだ。一日ホテルに軟禁され、訊かれるのはいつも同じことばかり。インタビュアーの顔が変わるたびに、同じことを何度となく繰り返さなくてはいけないのである。
それでもこのシステムがハリウッドで定着してしまったのは、やはり、限られた時間で最大の宣伝効果を得られるからだ。例えば一日テレビ取材をこなせばおよそ100番組、雑誌だったら150近い媒体に登場することになる。だから、ディカプリオ級のスターとロングインタビューを行うことは、いまではほとんど不可能になってしまったのである。
僕がハワイに入ったころには、ディカプリオはすでにアメリカ国内プレス向けに3日間、そして海外向けに1日こなしていた。「不機嫌だった」「ほとんど話してくれなかった」と、すでにインタビューした記者たちから聞いていたので、僕は自分のグループの記者たちと質問の流れを前もって決めておいた。そうしてのぞんだグループインタビュー、やはりディカプリオはやつれていたが、どの質問にも熱心に答えてくれた。「タイタニック」以降マスコミに好き勝手書かれてきたため、こういう機会に自分の口からはっきりさせておきたいという意志が見てとれた。それに、僕らの回がこのジャンケットで最後のインタビューだということもうまく作用したのかもしれない。この後、ディカプリオはLAに戻り「ザ・ビーチ」のプレミアに参加、それからドイツに飛んでベルリン映画祭に参加している。人気者とはつらいものである。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi